人類の退化

メクラウオという魚がいる。光のない洞窟に生活しながら世代を重ねるうちに目が退化してなくなった魚である。どうして目がなくなったのか?それは暗い洞窟では目は必要がないからであろう。「不必要な構造、機能は退化する。」というのはあらゆる生物に共通の原則である。
そしてヒトという動物も又その原則の例外にあるわけではない。
人間を含めてあらゆる生物は、進化と退化の複合を繰り返しながら現在に至り、そして未来へ向けての進化と退化の途上にある。これらは決して止まることのない流動的な営みであり、10万年前の人類が今の人類と形態、機能が異ったように、10万年後の人類が今の人類と形態、機能が同じであることは有りえない。では人類はどのように進化退化して行くのだろうか?
結論を先に言うと、人類はあらゆる機能をひたすら退化させていく結果になると思う。筋力、視力、聴力、呼吸、循環、消化、知能すべてが退化すると思われる。
現代社会における人類は真っ暗な洞窟に閉じ込められた魚と似た環境にあると言える。真っ暗な洞窟の中で、目のある魚は餌を見つけ、異性を見つけ、生殖をし、次世代をつくって来た。そうやって世代を重ねるごとに、多くの遺伝子に突然変異が起こったはずだ。ある個体は、嗅覚に大切な遺伝子に突然変異し、ある個体は生殖に大切な遺伝子に突然変異し、またある個体は目の形成に大切な遺伝子に突然変異し、またある個体は筋肉に、骨の形成に、消化器官に、、、といろいろ起こったはずだ。ここに挙げた突然変異の例は、普通の川の魚にとっては生存し生殖し次世代をつくるために全て不利な性質である。しかし、洞窟の魚にとってはそうではない。この例の中で、目の退化だけは、洞窟の生活に不利ではない。そのため、目の退化した突然変異個体は他の目のある個体と同じように次の世代を作る。この突然変異は子供に遺伝し、存続して行く。正確に言うと、目の退化は洞窟の魚にとって、不利ではないだけではなく、有利であったのだと思う。多くの魚の脳の中で視覚を処理するスペースは膨大である。視覚刺激がないと、そのスペースは発達しない。だから、余分なエネルギーを使わずにすんだり、または、嗅覚など他の機能を発達させる余地を与えたかもしれない。そのようにして目の退化という突然変異は、洞窟の魚のなかで「優位の形質」として拡がって行ったのであろう。
さて、ではなぜ現代社会の人間は洞窟の魚なのか?それを説明するために原始社会の人間との比較をしてみる。
原始社会においては、ヒトの死亡率は現在と比べて非常に高かったはずだ。特に乳児、幼児の死亡率は顕著に高かったと考えられる。この違いは現在の医学の発達や、食料の充実が原因であろう。そういった環境の厳しい原始社会では、体の機能に不利な突然変異を持った子供は選択的に死んで行ったはずだ。そこで激しい自然淘汰が行われていたわけである。
また、大人の男の生存率もかなり低かったのではないかと思われる。人類は有史後に見られるように、有史以前も個体同士、集団同士で闘いを繰り返して来たであろう。現代でこそ、戦争に爆弾や銃などを使って、その場に居合わせる人全てが平等に死んで行くわけだが、原始社会での戦争や個人のいさかいでは、素手もしくは棍棒か石などで闘っていたと思われるから、個人の運動能力、判断力がその生存、勝利を大きく左右したはずだ。つまり、そういった能力に不利な突然変異はそこで自然淘汰されて死んで行ったことになる。
また、原始社会はハーレムタイプの生殖形態をとっていた傾向があるように思われる。つまり、優位の雄が複数の雌と生殖し、他の雄は生殖のチャンスがない、という状態である。ここでも、戦闘能力や指導力などに不利な突然変異は生殖のチャンスを失うという形で自然淘汰されたと思われる。
これらの例で言いたい事は、原始社会のヒトは、他の動物達と同じように、激しい自然淘汰の圧力にさらされることによって、世代ごとに起こり続ける沢山の不利な突然変異を排除し、その結果として退化を免れてきたのだと言うことである。淘汰圧があるレベル以下に下がれば退化は確実に起こる。
それが現在の人類の置かれた状況であると思う。乳児、幼児に起こった不利な突然変異の多くは充実した医療、食料によって守られている。戦争も激減したし、ハーレムも多くの国では法律的に禁止されている。ここまで淘汰圧が減少した現代社会において、原始社会では淘汰されていたあらゆる突然変異が蓄積することは明らかである。
進化はとてもゆっくり起こるが退化は急速に起こる。それは、ある進化を引き起こす突然変異の出現頻度は退化を引き起こす頻度と比べて非常に低いからでる。トランプをランダムに13枚めくって、すべてがハートである頻度はそうでない頻度より非常に低い、というのと全く同じで、ある偶然の変化がなにか意味のある統一性を生み出すことは非常に稀である。
魚が目を作るのに数億年かかったとして、洞窟に入った魚が目を失うのに数万年で十分だったにではなかろうか。数万年後の人類が身体能力と知能を退化させて、最低限生殖器だけが正常に残っている不思議な生き物に変化していてもおかしくはない。というのは冗談半分で、生殖は医学により最も簡単に補助できる機能の一つなので、やはり退化の圧力を免れないだろう。

この退化への道を回避するためには、原始社会への回帰もしくはさらなる医学の発達による遺伝子治療、の二つの道しかありえない。

我々は退化はしたくないだろう。
でも原始社会に戻りたくもないだろう。
遺伝子をいじるのも恐ろしい気もする。

だが人類はこのいずれかの道を選択することになるだろう。
そしてその選択の分岐点は以外と近い未来にあるのかもしれない。なぜならば、突然変異の結果はすぐには現れない。人は遺伝子を2セットずつ持っているからである。だが、突然変異の蓄積は目に見えない形で既に始まっている。我々は既に退化への道を着実に歩み始めていると言える。



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