hemi_top.gif (1797 バイト)
nav_home.gif (1613 バイト)nav_arch.gif (1437 バイト)nav_blank.gif (1180 バイト)nav_blank.gif (1180 バイト)nav_comment.gif (1682 バイト)

建築 1


目次


世界最初のアルシヴィスト

「マッシブ」…
 『古代ローマ遺跡IV』、そこに描かれたサン・タンジェロ城の礎石にも見られるような、圧倒的な石のマッスを越えるものには、そう出会えるものでもないだろう。
 18世紀に生きた一人の、建築に、石に、憑かれていた男、ピラネージ。そのマッスへの解析、遠近法の意のままの修正、動的な照明、それらがバロックの精神に負うているものであるとしても、銅版画に刻まれる彼の時空を貫く線がそれでは語り尽くせぬ力を孕んでいることも疑いない。
 ローマに陶酔し、製作に陶酔するこの情熱家は、当時には訪れる人もない不衛生なローマ平原、ハドリアヌス離宮跡やアルバーノ、コーラの古代遺跡に長期滞在する。週に一度だけの粗末な食事のための火を起こしたほかは、冷飯を喰らい、探索と製作のために身を没頭させたのだという。彼が建物の残骸をほじくりまわしたのは、何よりも建築の基礎工事の秘密に迫るため、それらが建てられた工法を研究し実証するためであった。考古学者という語が一般に通用していなかった時代に、彼は考古学者であったのだ。
 そしてその情熱は、実作をつくる建築家として身を立てることも困難であったその時代にあって、しかしいくぶんは彼の気質に合っていた所為もあって、当時において唯一手軽に複製を作ることの出来るテクノロジーとしての、銅版画へと限定されることになる。

 そしてあの『牢獄』、高熱にうなされた末のものと言われるその薄っぺらい版画集に存在する、土を欠き、植物を欠き、ほぼ石のみによって構成されるメガロマニアックな空間は、ただそれが広大であるだけでなく逆に恐ろしくも幽閉された世界、我々の想像のなかの「牢獄」からはほど遠い世界ながらも、その圧倒的な深淵と苦悶を伝える。
 不安げに突き出したアーチ石、その起拱点は階段や梯子の上の方の段を覆い隠して、目に見えるところよりもさらに高い場所のあることを暗示している。一方では我々のいるレベルよりもさらに低く降りて行くもうひとつの階段は、画の余白を越えて深い奈落のあることを警告している。奇妙にねじられたパースペクティブ、それを見入って我々が感じる眩暈は、じつは尺度の欠如によるものではなく、その偽りの空間がどのように見てもそこに成立している計算の正確さ、多様さにあるのだ。そしてそこに描き込まれる18世紀的人物のあまりの小ささ、その彼らの、あまりの無関心さに。
 この虚ろな空間は鳴り響く。これら空中楼閣のなかに迷い込んだちっぽけな人物たちのかすかな足音、かすかなためいきが、石の建築の隅から隅まで響きわたりそうなほどの、恐るべき静寂が聞こえてくるのだ。この牢獄はディオニュシスの巨大な耳のように設計されている。

 この『牢獄』第一版(Invenzioni Capric di Carceri)が描かれたのが、彼が弱冠22歳であったことも記憶しておいていいだろう。同時期に製作された『種々の建築作品』等がほとんど義務的に華麗な技巧的作品となっているのに比べ、『牢獄』の「気まぐれ」(Capric)が熱病の発作から生まれたのだとすれば、ローマ平原のマラリアは、ピラネージの天才に有利に働いたと言うべきだろうか。

・参考:
Marguerite Yourcenar, "Le cerveau noir de Piranese"
マルグリット・ユルスナール『ピラネージの黒い脳髄』多田智満子訳


■塔について

塔の語源がストゥーパだという話は有名だからここでは特にしないけれど、でもひとつ多宝塔の話だけは触れておきましょう。
多宝塔は天台・真言密教が入ってきたときに初めて造られた塔です。
面白いのは、あの丸いドーム状のものが露出した部分を「亀腹」と呼ぶことです。亀腹とは本来は当麻寺本堂に代表されるように、建物の礎石と縁束の礎石との高低差が高い場合に使われる、基壇のうち漆喰塗りの盛り上がり部分としてあるわけですが、それが建物の高さの中程にあるというのは、すなわちそれより上がその建物の本来の部分であるということを示しているのではないでしょうか。それで実際に、多宝塔は「一重であり、それに裳階の付いたもの」と理解されているのです。「亀腹」よりも下の空間を覆っている部分を裳階と認識しているわけです。その意味からすれば、多宝塔は確かに本来のインド的ストゥーパの形を最もよく再現したものであるということができるでしょう。

…というところで多宝塔の話は措き、僕の「好きな」塔の話をします。自分の「好み」で判断するのも大事なことだと足立先生が言われていたのが最近ようやく理解できかけているような気がします。複数の人間のいる間での相対的な価値基準なんですね。以前はそんなもの(自分が対象を好きか嫌いかなど)は徹底的に排除しようと考えていたから。

そんなわけで僕のいちばん好きな塔は、室生寺五重塔です。
土門拳の写真でご覧になった方も多いかと思いますが、室生の素晴らしい自然と抜群の伽藍配置のもと、訪れるひとはまず石段の下からその瀟洒な姿を仰ぎ見ることになる。五重それぞれの軒先に胡粉(白)のラインがすっと廻されているのがたいへん印象的で、美しい。そして近づくに連れて明らかになる、その塔全体のあまりの小ささ。

細部に目を移しても、ひとつには相輪のデザイン。法隆寺や薬師寺に見られるような圧倒的な水煙に比較して、この塔の宝傘の何という繊細さ。

それから、逓減率の問題。法隆寺に代表されるように、一般に日本建築は古いものほど逓減率(上層にいくごとに小さくなる比率)が大きい。そのほうが、見上げるパースペクティブが強調され、より安定感を与え、また一方で男性的、威圧的になると言えるでしょう。また、逓減率が大きいということは上層にいくごとに柱スパン(柱と柱との間隔)をせばめなければならないわけですが、法隆寺の場合には最上層で三間に納めることが出来ずに、二間となっている。当麻寺三重塔の場合には二層目三層目がともに二間になっている。
ところが二間の架構でひとつ問題になるのは、その真ん中の柱の柱頭を繋ぐべき桁が、心柱が邪魔をするために架け渡すことが出来ないことです。平面的に言えば、十字形に架けたい桁なのだが、そのクロスする部分に、塔の最も重要な部材である心柱が存在している。
また、二間の立面、中心に柱が立っている立面というのは意匠的にも落ちつかないものです。
そこへいくと室生寺は五層すべてが三間で建てられている。それにともない、逓減率は小さくなっているのですが、僕はこちらのほうが威圧感がなく、女性的で、鳥のようで、美しいとおもいます。

…多宝塔の話に戻って、もっと細かい話をしましょう。
多宝塔のその亀腹の上の屋根、その軒先を出すのって、考えたら、根元の「円形」から、軒先の「方形」に向かって形を変形しながら出さなきゃならないという、非常にアクロバティックなものなのですなあ。手許にある「満願寺」(世田谷区、設計:水澤工務店)の多宝塔の資料からすると、これはなかなかすごい。大斗がまず全部いびつな四角形。その上に載っている肘木も当然亀腹のアールに従ってラウンドに造られている。そして手先を出した先にある一つ一つの斗が、すべて違う形をしている!。すべてというのは大袈裟だが、方形の軒先と中心からの放射状の線を取り込む形にすべていびつな四角形に造られている。キチガイじみた仕事ですねこれは。すっげー。


■風の建築。

スタティックな建造物でさえ、四六時中風による荷重を受けているに他ならないわけであり、
とくにこの関西新空港の翼のような形状が
それから大きな負力を生じるものであるとするならば、
建築はパッシブな航空機であるに他ならない、
と、氏は言う。
外的な風に関する綿密な計算のうえに、
スパン82.8M、天井高20Mという巨大な空間の内部空調の計画を加え、
CGシミュレーションやや大型の模型実験も行い最良解をはじき出し、
意匠的にもそれらがかなりの比重として扱われている。
飛行場にそびえ立つもう一つの巨大な航空機。
24時間型の空港となることから、
自然光/人工光の綿密な制御も加わって、
朝の光の中に旅立つ日も近い。

…「ソフト・エンヴァイラメント」岡部憲明、建築文化6月号に基づく。


■ヴォーリーズの建築

建築家ヴォーリーズの名は知らなくても、「メンソレータム」と「近江兄弟社」だったら、みんな知っているでしょう。何の関係があるのかと思われるかも知れないけれどもこれがおおありで、どちらもヴォーリーズが中心となって組織された「近江ミッション」の事業活動の一部分にほかならない。

彼の活躍した明治の終わりから昭和の初めにかけて、もちろん建築の分野でもめざましい仕事をした人の名はいくつも残っている。だけれどもヴォーリーズに関していえば、あれだけのクオリティをもった建築を驚異的な数(1,500にもなるという)残しているにしては、あまり一般には広く知られることのない建築家である。だけれどもそのことがヴォーリーズという建築家の一番の特徴/特質なのだと思う。

もちろんみんなも身近に彼の作品を見たこともあるはず:
東京では「お茶の水スクエア(主婦の友社)」「山の上ホテル」、横浜では「横浜共立学園」「大同生命横浜支店」、京都では「同志社」「東華菜館」、大阪では「大丸心斎橋店」「大同生命」、西宮では「関西学院」「神戸女学院」、神戸では「LIB LAB WEST(ニューヨークシティ銀行神戸支店)」「カナディアン・アカデミー」、九州では「九州女学院」「西南女学院」等々…

そのなかで例えばLIB LAB WEST(現在はサザビーのAfternoon TeaやICLなんかが入っている)の入口にはオリジナルの図面のコピーが掲げられていて、彼の事務所のサインはこんなかんじ:

・W・M・VORIES・&・CO・
・ARCHITECTS・
・OMI・HACHIMAN・JAPAN・

東京でも大阪でもなく、近江八幡という一地方に本拠を構えて仕事をし、結局は「一柳米来留」という名前にて、日本に帰化を果たす。

生きるということは結局「倫理」と「美学」だから、そういう意味でヴォーリーズの持っていた、アノニムであること、文章を書かないこと、社交的であること、そのような特質を、倫理の一つの型だとして参考にしていいんだと思うんだよね。もちろん、そこにはミッションとしての倫理観が大きく背後にあることも疑いないが、それも含めてね。


■「ヴォーリーズの建築見学会・その1」

というわけで、「ヴォーリーズの建築見学会・その1」を、執り行いましたので、その顛末。

そんなわけで、三宮から地下鉄で県庁前まで。今日はこの付近にあるという「旧頌栄保育学院校舎」を見ておこうというわけなのです。
目指す建物は「相楽園」に面してあるらしいという情報は得ていたから、迷うことなく相楽園の方向へ歩く。しかしながら、たまには近くを歩いてもいたはずなのに、とくにそのような具合の建物を見た覚えはなかったわけです。まあ、きっと見落としてんだろうというわけで。

それがどうも…、ない。「相楽園の門に向かい合って」あると書いてあったのに、南東角にある門に向かい合っているのは、単なる空き地…?、空き地?、いやそうではない、震災で何かが崩れた後…。まさかああもしや…。
相楽園の東隣にあたる「山手小学校」の敷地内に、何やら煉瓦でできたような瓦礫が積まれている。もしかしたらこれかもと写真に撮っておく。

見つからないので取りあえず、諏訪山の方に散歩。諏訪山神社。諏訪山公園。ハードな坂道だ。

で、帰りは一応、さっきと反対側、西側に沿って歩く。でもこっち側って山手女子短大があるだけなんだよ。そんなヴォーリーズっぽいやつなんてない筈なのだけど、いちおう。

でもって、その短大の前に来ると、日曜日だというのに何故かざわざわと人が居る。なるほど、「オープンキャンパス会場」などと書いてある。ふーむこれはいい日に来たと思って、女子高生に混じって(女子高生のフリをして?)、僕も勝手にすたすたと入ってみる。というのは、ここは確か、(竹中工務店の)柏木さんの設計の筈だからね。

…うーむなるほど。なかなか芸が細かいよ柏木さんというかんじ。こじんまりとした学校ではあるけれど、全体を幾つかの棟に分割することでさらに親しみやすさと「隙間」の快適さがあり、窓を開けるとなかなか心地よい風も入ってくる。全体の敷地と外部との境界の感覚も曖昧に処理されている。…ガラスを多用していて明るく、例えば東側の棟の南の突き当たりは「トイレ」なのに、そこにはガラス越しの風景しか見えず、ぱっと見には階段室だとしか思えない。突き当たりにまで行ってちょっと左を向けばそこがトイレ、…なのだと思う。女子トイレだからむやみに近づけなかったけれど。…幾つかの場所に45度に振った部分(階段の踊り場やEVタワーなど)を組み込んで、単調さを回避している。外壁面のデザインも、層ごとに開口(ガラス)の分量を変えていて、心地よく納まっている。
あとこれはきっといかにも柏木さんな芸だろうなと思ったのは、前述のEVタワーの頂上を、単に切ってしまうのではなくて、RCのフレームとして突き立たせている。それがこのキャンパスの小宇宙を纏めるシンボリックな(といっても全然気取りのない)「塔」に、なっているわけ。

そんなわけでふーむなるほどふふふと思いつつ、結局「頌栄」には会うことが出来ないまま、帰途につく。

で、帰ってみてから改めて資料を見てみると…

1. 写真を見ると、建物の前面の道路が右上がりである。
…とするとこの建物は(神戸の地形でいけば)東を向いているというわけだ。とするとおかしいな、「頌栄」は相楽園の「西側」にあることになる。

2. 住所も確認できた。中山手6丁目だ。
…中央区の地図を見てみる。あれ、その山手短大のある付近が6丁目なのだけれど、まさか…。

3. そして決定的な瞬間。その「旧・頌栄」の写真をよーーく見ると、なんとそのプレートには「神戸山手女子短期大学」と書いてあるではないか!!!。

そう、つまり目指した「頌栄」の場所とは、さっき見てきた「山手短大」に、他ならなかったのです。うーむ確かにこの短大の建物は新しい。でもよりによって柏木さん、「頌栄」を、ヴォーリーズを、つぶしやがったわけ??…、と、少々複雑な、気持ち。

でもここの頌栄は木造だったというし(装飾的な場所にのみ人造石を使ったりしている)、建て直さざるを得ないものではあったのかも知れない、それに規模の関係から、もとのまま再現することも難しかったかも知れないしね…、ということに、しておきましょう。

以上

hemi_btm.gif (1068 バイト)

[TOP] [HOME]

最終更新日04/09/10