北アイルランド留学日記
このページでは、北アイルランドについて、また、私が
北アイルランドで経験したことなどを紹介しています。
外国ならではの笑えるエピソード満載ですので、
ちょっと覗いてみてください。
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北アイルランドってどこ?
北アイルランドが、どこにあるのかご存知ない方も多いのではないでしょうか?私も、
実際留学しようと考えるまでは、全く、北アイルランドに関する知識はありませんでした。
北アイルランドは、現在は、イギリスの一部です。イングランド、スコットランド、ウェールズ
があるブリテン島のアイリッシュ海を隔てた西側に、ひとつの島があります。その島の北東
の端が北アイルランドで、残りの地域がアイルランド共和国です。

北アイルランドの政治的背景

アイルランドは、何百年にもわたってプロテスタントであるイギリスに支配され、カトリック
であるアイルランド人は蜂起を繰り返しました。その間に、北東部のアルスター地方には
多くのイギリス人が入植し、プロテスタント勢力がマジョリティーになりました。大きな問題は、
入植したプロテスタントが支配者としての地位を占め、土着のカトリックを奴隷のように
扱ったことでした。

イギリスは、1920年に「アイルランド統治法案」をアイルランドに提示し、アイルランドの南北
分割を提案しました。カトリック勢力であるアイルランドは、アイルランド全体としての
イギリスからの独立を目指していたので、その提案を拒否しました。一方、アルスター地方
のうち、プロテスタント勢力が多数を占める地域(現在の北アイルランド)は、イギリスとの
統合を望んでいましたが、次善の選択として、その提案を受け入れ、1921年に
北アイルランドが成立しました。それ以降も北アイルランド内では、カトリックとプロテスタント
の対立は続き、1972年にはデリーで、カトリックのデモ隊に対してイギリス部隊が発砲し、
14人の市民が亡くなるという、いわゆる「血の日曜日」事件が起こりました。アイルランド
出身の人気バンドU2の「Sunday Bloody Sunday」は、この事件をモチーフとしています。

1998年には、「Good Friday Agreement」と呼ばれる和平合意がなされ、いわゆる北アイルランド紛争は、平和的話し
合いへと段階が移っているようにも思われます。しかし、長年の争いによる、カトリック・
プロテスタント相互の不信感は根強く、最終的な和平には、まだしばらくの時間が必要
でしょう。

参考文献
鈴木良平「アイルランド問題とは何か」丸善ライブラリー


北アイルランドの気候

最初こちらに来て空を見上げた時感じたのは、「雲が(あるいは空が)近いなあ」ということ
でした。日本では、横浜に住み、東京に勤務していましたので、普段「空」を意識することは
ほとんどありませんでしたが、北アイルランドの第一印象は「空」でした。(日本では気持ち
にゆとりがなく、空を見上げることすら忘れていたのかもしれませんが…。)

北アイルランドは1日に四季があるといわれていますが、まさにそのとおりです。ずっと晴れ
ていたり、雨だったりすることはまれで、ずっと雨が降っている日でも夕方には日が差したり、
ずっと晴れていても急に雨が降ったりします。8月には、日中に急に雹が降り出した日も
あってびっくりしました。

気温は、夏でも、夜には日本の初冬のように寒くなります。日本から半袖の服をたくさん
持っていきましたが、全て無駄になってしまいました。渡英する前、「イギリスにはエアコンが
ない」と聞いていましたので、猛暑が来たらどうすればいいのか不安でした。私は、人一倍
暑がりかつ汗かきなのです。しかし、その不安も杞憂に終わりました。ロンドンでは、夏の間
には、汗ばむような日もありましたが、北アイルランドでは「アツー!」と感じるような日は
1日もありませんでした。冬の間は、そこそこ寒いですし、毎日曇っているか、雨が降って
います。私が滞在していた、2000年〜2001年の冬は数年来の大雪だったらしく、20センチ
ほど雪が積もりました。曇り空のせいで、若干、憂鬱な気分になる日もありましたが、私は、
日本海側の冬の気候に慣れていましたので、問題ありませんでした。ただ、「夏大好き」、
「寒いの嫌い」という人には、ちょっと辛いかもしれませんね。

何故北アイルランド?
私が何故留学先に北アイルランドを選んだのかを、お話ししたいと思います。留学先として
は、アメリカ、あるいはイギリスでも、イングランドやスコットランドを選ぶのが、ごく普通の
選択ですよね。私もアメリカの大学院でジャーナリズムが学びたかったですし、実際に、
いくつかの大学院にも合格しました。それでも、2000年の時点では、あえて北アイルランド
を選びました。

積極的な理由としては、どうしても紛争報道が学びたかったということです。私はあらゆる
種類の差別が大嫌いでしたし、人種的優越意識というものについても嫌悪感を持っていま
した。そんな私にとって、戦争・紛争というものは、差別意識、人種的優越意識が最悪の
かたちで具現化されたものであるように思われました。ですから、当該国の民意に大きな
影響を与えるマスメディアが、どのように戦争・紛争を報道してきたのかを学ぶことによって、
メディアが紛争解決に果たし得る役割を探りたいと考えました。その点で、University of UlsterのMedia Studiesの中の、Reporting International Conflictが非常に興味深い科目であったことが、北アイルランドで学ぶことを決める上で、
大きな要因となりました。

消極的な理由としては、情けないのですが、自分の英語力が、アメリカの大学院で
ジャーナリズムを学ぶだけのレベルにはないと思っていましたので、もう少し英語のレベル
を上げてからジャーナリズムを学びたいと考えました。英語力の向上に比例して、授業の
理解度も深まると思っていましたので。その意味では、イギリスの大学院は、8ヶ月ほどで
コースワークを修了することができるので、ちょうど良い「修行」の機会だと考え、第一
ステップとして北アイルランド行きを決めました。また、どうせアメリカで学ぶなら、
トップスクールで学びたいとも考えました。トップスクールには、優秀な学生が集まりますから、単に授業からだけではなく、そうした優れた人物達からも学ぶものがあると考えたからです。2000年の時点で合格したアメリカの大学院は、まずまずの学校でしたが、決して上位校ではありませんでした。ですから、もう少し英語力をつけ、イギリスでのMAの肩書きを持ってアメリカのトップスクールに出願すれば、チャンスが広がるのではないかとも目算もありました。

結果的には、北アイルランドでのプログラムは満足できるものでしたし、アメリカで有数の
ジャーナリズム・スクールにも合格できましたので、目論見どおりにことが進んでいます。
時間的、または費用的にみれば遠回りをしているのかもしれませんが、現在のところ、
私自身は、正しい選択をしてきたと考えています。

北アイルランド初日

私にとって、北アイルランドでの一日目は、一生忘れられない日になりました。夜の9時過ぎ
にベルファストの空港に到着し、不安な気持ちのまま、ピックアップに来たスタッフにバスで
連れられて、Pre-sessional English Courseの間住む予定の寮に、まさに「連行」というような感じてつれて行かれました。
その寮も、何か暗い感じの印象で、不安に拍車をかけました。「ちゃんとやっていけるのかな
?」。英語力に自信のなかった私は、押し寄せる不安を隠せませんでした。

シャワーでも浴びて気分を変えて、ゆっくり休もうと思い、共用のシャワールームへ向かい
ました。個室に入り内開きのドアを閉めようと思いましたが、ドアが重くて閉まりません。で、
足で蹴って無理やり閉めました。これが悲劇の始まりとは、その時は気づきませんでした。
シャワーを浴びて気分がすっきりし、大分リラックスすることができました。シャワーを終えて、
いい気分で個室のドアを開けようとしたところ、ドアが開きません。無理に閉めたので、ドア
と床が完全に密着して、ぴくりとも動きません。しかも悪いことに、このドアには取っ手がつい
ていないので、内側に引く術がありません。

さっきまではあれほど気分が良かったのに、シャワールームの暑さと、あせりからくる発汗で、
蒸し暑く感じ、息苦しくなってきました。爪を剥がしそうになりながらドアを開けようとしました
が、まったく効果がありません。少し冷静になろうと重い、呼吸を整えていると、外から、他の
個室でシャワーを浴びる音が聞こえてきました。もう深夜だったので、誰もシャワーを浴び
ていないと思っていましたが、どうやら誰かいるようです。これ幸いとばかりに、ドアをガン
ガン叩き、「ヘルプ、ヘルプ」と叫びました。しばらく叫びつづけたのですが、何の応答もあり
ません。でも、外からのシャワーの音は聞こえ続けていたので、絶対助けてもらえると思い、
叫び続けました。

どれくらいそうしていたでしょう。一向に外からの反応がありません。30分くらい経過したとこ
ろで、希望はあきらめへと変わりつつありました。シャワールームはひどく蒸し暑く、うまく
呼吸ができません。その時マジで、「あー、俺はここで死ぬかもしれないな」と思いました。
それほど息苦しかったのです。最後まであきらめてはいけないと思い返し、ドアをたたき、
叫び続けました。しばらく経ってから、外から人の気配が感じられました。偶然トイレに来た
中国人の留学生が、異変に気づいて声をかけてくれたのです。結局彼に救出され、
「北アイルランド第一日目に死す」という結果は回避できました。時計で確認すると、1時間
以上も閉じ込められていたようです。

後で気づいたのですが、私が聞いていた外からのシャワーの音は、誰かが出しっ放しにし
ていたシャワーの音でした。「なんだよー!!」。こうして私の北アイルランド生活は幕を
開けました。

University of Ulsterについて PART 1
北アイルランドで、私は、University of Ulster(M.A Media Studies)のColeraineキャンパスに在籍していました。この大学は、北アイルランドに、
Colerain、Belfast、Magee、Jordanstownと4つのキャンパスを持つ総合大学です。

日本では、横浜に住み東京で働いていましたので、緑にあふれたキャンパスは新鮮であり、
心にゆとりを与えてもくれました。もともと新潟の田舎のそのまた山奥で生まれましたので、
本能的に緑が好きなようです。

私が学んでいた、メディア・スタディーズは、視野が広く、知識にあふれ、かつ面倒見の良い
講師に恵まれ、留学生にとっては最高といえる学部でした。講師達の多くは、留学生達を
クラスでの議論に参加させようと、しばしば私達留学生に質問してくれ、それによって私達
もリラックスして授業に参加することができました。

私は、前期は、National CinemasとMedia, Culture and Identityを、後期は、New Media, Cyberculture and SocietyとReporting International Conflictを履修しました。中でも、留学前からもっとも関心があり、留学後ももっとも力を注い
だ、Reporting International Conflictは、私には非常に有意義でした。このクラスでは、大雑把にいえば、歴史上の様々
な戦争を、メディアはどのように伝えてきたのか、また、権力側はどのように情報統制しよう
としたのかを学びました。そのような戦争の事例を通して、ジャーナリストのあるべき姿が、
権力側によってどう歪曲されたのか、あるいはどう全うされたのかといった、ジャーナリスト
の倫理についても考察し、かつ、それについてクラスメイトと議論することもできました。
というわけで、北アイルランドでの留学生活は、学業に関していえば、大満足でした。

University of Ulsterについて PART 2
上述のとおり、こと学業に関しては、素晴らしい講師達、興味深い授業のおかげで、大変
充実したものになりました。ただ、それ以外の部分では、必ずしも大満足とはいきませんで
した。というのも、大学のスタッフ等の人たちが、必ずしも十分な仕事をしてくれなかったから
です。

例えば、Accommodation Officeのスタッフに対しては、多くの留学生達が不満を抱いていました。私は、日本を出発
する前に、大学所有のフラットの一つに応募していたのですが、現地についてもまだ、住む
場所が決まっていませんでした。空きがないということであれば、しようがないことなのです
が、彼らの対応には閉口しました。私にはどこも空いていないといっていたのに、友人が
尋ねたら空きがあるといってみたり、しつこく交渉すると、突然、空きがあるといいだしたり
して、全く当てになりません。結局、彼ら自身も、状況を把握していない(というか、しようと
しない?)ようでした。これは、後でお話しますが、彼らの労働に対しての意識が、日本人
とは違うためだったのかもしれません。

フラットの問題は、最終的には住む場所が決まりましたので、今考えれば、それほど大きな
問題ではなかったのですが、その後、今でも忘れられない悔しい思いをしました。
コースワークを修了した後、2001年の夏に、Jordanstownキャンパスの近くに住んでいた時
のことでした。当時住んでいたフラットには洗濯機がなかったので、いつもオンキャンパスの
コインランドリーまで行って洗濯していました。そのコインランドリーは基本的には、オン
キャンパスのフラットに住んでいる学生のためのものなので、オンキャンパスの学生用の
IDカードがないと、ランドリーには入れませんでした。ですから、私はいつも友達のカードを
借りて入っていました。ある日、友達がいなくてランドリーに入ることができず、雨も降って
きたので、正直に近くにいたセキュリティーのスタッフに、「オフキャンパスに住んでいる学生
なのですが、洗濯したいので、ランドリーをあけてもらえませんか?」と、学生証を見せなが
らお願いしてみました。彼女は、使ってはいけないといったので、アイリッシュにしては厳しい
人だなと思いあきらめたのですが、その後彼女が言った言葉に耳を疑いました。「他の人の
カードを使って入ろうとしてもだめだからね。ちゃんとモニターで見張っているんだから!!」
。確かに、オフキャンパスに住んでいる私にランドリーを使う権利がないと言われれば、それ
は正しい見解です。しかし、私は泥棒ではないのです。正真正銘の学生なのです。しかも、
ランドリーは有料ですし、私が使おうとした時は、一人も使っている人がいませんでした。
そうした状況で、なぜそんな意地悪を言うのか理解できませんでした。これは、大学の
スタッフの問題というより、属人的な問題なのでしょう。しかし、この出来事は私を深く傷つけ、
多くの留学生がこぼしていたように、「もうこんな国うんざりだ」と強く感じさせるきっかけに
なりました。

留学の一番の目的は、もちろん勉強することですよね。そういう意味で言えば、学業の点
では、私は十分満足できたわけですから、それで十分だとも言えます。後でお話しますが、
生活などの点でもろもろ不満はありましたが、総体的には納得いくものだったと思います
(自分に言い聞かせている?)。

北アイルランドの悲哀
日本では、日本銀行しか通貨を発行できませんが、イギリスでは、各地方の銀行でも、
通貨を発行しているところがあります。北アイルランドでも、地元銀行が発行した通貨と、
イングランドと同じ通貨が混在しています。地元銀行が発行した通貨であっても、イギリス
全地域で使えるというのが原則です。

ロンドンへ旅行したときのこと、友人がタクシー代を北アイルランドの銀行の通貨で払おう
としたところ、「それはアイルランドの金だ」といって運転手は受け取りません。友人は
「これはあなたの国で使えるはずの通貨ですよ!!」と食い下がりましたが、まったく相手
にされず、結局イングランドの通貨で払わざるを得ませんでした。

この運転手が、イギリス当局の通貨に対する見解を知らなかったのか、知っていたけれ
ども、現実論として、彼らの間では使えないため受け取らなかったのかは定かではありま
せん。しかしこの出来事が、北アイルランドの悲哀を象徴的に表していると思えました。
(北アイルランド以外の)イギリス人にとっては、北アイルランドなんて、テロなど物騒な事件
を引き起こす、厄介者でしかないのです。ですから、彼らのうちの過半数は、イギリスが
北アイルランドを保有する必要はないと思っています。北アイルランドのカトリックにとって
は、イギリスから独立したいし、イングランド人などからは厄介者扱いされているにもかか
わらず、政治的背景から、それが果たせずにいるという、非常に気の毒な状況になってい
ます。

相手から嫌われても、かつ自分たちもそうした相手から離れたいと思っていても、それが
できない。こうした北アイルランドの人々の悲哀は、いつまで続くのでしょうか。

食べ物
イギリスにはおいしい食べ物はない、と思っている人が多いですよね。確かにそれは正しい
です。イギリスの名物は、フィッシュ・アンド・チップスですが、それらは、単に、あまりおいしく
ない魚のフライとフライドポテトに過ぎません(イギリス人は喜んで?食べていますが…)。
ある日、スーパーに買い物に行った日のこと、缶入りのパスタソースと思われるものを発見
しました。缶にパスタのラベルが付いていたので、迷わず購入しました。ところが、あろう
ことか、缶の中には、ソースだけでなくパスタも入っていました。そうです、当然パスタは
ふにゃふにゃでした…。イギリス人あるいはアイルランド人は、アルデンテという概念は
持っていませんね、おそらく。

そんな北アイルランドにも、おいしいものはありました。それはサンドイッチです。
サンドイッチ専門のレストランがあって、そこでは、好みのパンと、チキンやハム、卵など
好みの具を選んで注文できます。これが、すごくおいしいんです、しかも安いですし。
大学構内にもサンドイッチ屋さんがあって、私は、ほぼ毎日そこで昼食をとっていました。
店員さんとは顔なじみになっていましたので、彼らは私のために、思いっきり具を詰めてくれ
ました。それでも、「more?」とか聞いてくるので、それをいいことに、普通の倍くらい詰めて
もらっていました。イギリスの食べ物に愛着はありませんが、あのサンドイッチ屋さんには
また行きたいですね。

ドアが…ない!!
アイルランドのトイレでは、紙がない、鍵がない、便座がないというのはそう珍しいことでは
ありません。その生活に慣れていた私も、クイーンズ大学の学生会館でトイレに入った
ときはびっくりしました。大きい方の用を足そうと、個室に入って座ろうとしたところ、妙に
開放感にあふれていました。最初は何でなのか気が付かなかったのですが、すぐに分かり
ました。そうです。ドアがなかったのです。さすがにドアなしで用を足す度胸もなく、別の個室
に向かったところ、大方の個室がドアなしなのです。幸い、数少ないドア付きの個室が空い
ていたのでそこで用は足せましたが、今もって何でドアなしの個室があんなにたくさんあった
のかは謎のままです。男性用トイレだったので、小用のために開放してあったのかもしれ
ません。ひょっとして、トイレが改装中だったのかもしれません。是非もう一度現地に行って、
今はどうなっているのか確認してみたいですね。

とここまで書い後、クイーンズ大学出身友達に事実を確認してみました。彼曰く、昔、個室の
壁に穴があいていて、隣から誰かが覗いていた、という事件があったそうで、それ以来、
個室はひとつ置きにドアを外してある、と聞いたことがあるとのことでした。しかし、最後に
北アイルランドを離れるときに、現地に行ってみたところ、全ての個室のドアがついていま
した。私が見たものは一体何だったんでしょう。思い違いをしていたのでしょうか。いまだに
事実は不明のままです。

最善は尽くす? 
北アイルランドの交通機関に「時間どおり」を要求してはいけません。運が良くて5分、悪い
と1時間くらい待つはめになります。そういう生活に慣れていた私も、ベルファストでの経験は
笑えるけど厳しいものでした。

冬のある日、Jordanstownの友達を訪ねた時のこと、駅でBelfast行きの電車を待っていまし
た。いつものように定刻に電車は現れません。そのうち、アナウンスがあり、10分ほど遅れる
とのことでした。10分なら幸運です。でも、10分を過ぎても電車は来ません。次に、30分ほど
遅れるとのアナウンスがなりました。しかし、30分を過ぎても電車は来ません。最後に「as soon as possible」というアナウンスがあった時は、こけそうになりました。コントかよ!結局電車は、
1時間ほど遅れて到着しました。

厳しい寒さの中、1時間も外で電車を待っていたので、ブラジル人の友達は風邪をチョー
悪化させ、後に手術のためブラジルに一時帰国することになってしまいました。私も、長期間
引きずっていた風邪が一気に悪化しました。

うーん、奥が深いぞ北アイルランド。その時そう思いました。

何処へでも!!
悪くいえば時間にルーズな交通機関も、良い面を見れば、すごく柔軟だともいえます。

深夜にみんなでパブに出かけようということになり、外にいたところ、ちょうど1台のバスが
現れました。私たちが行こうとしていたところは、Port Stuartという、パブがいくつかあるところだったので、運転手さんに、「このバスはどこ行きで
すか?」と訪ねてみました。すると彼は、「どこへ行きたいんだ?」と訪ね返してきました。
って、行き先はないのかよ!!私が、Port Stuartのパブの名前を告げると、どうやら行ってくれるようです。

結局、一緒に行くことになっていた友達がまだ来ていなかったので、彼を待つためにその
バスは利用しませんでした。でも、日本できっちりした、ある種余裕のない交通システムに
慣れていた私には、そのおおらかさが、何かとても気分良く感じられました。せかせかして
いない。これが北アイルランドの魅力のひとつです。
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