■Ethics, and
Aesthetics. 98.09.04 昨夜、よく聞いた歌を、あらためてその歌詞の日本語訳を見ながら聴いてみた。歌詞が、美しかった。歌詞になる程度の詩的な感覚さえ、僕から遠のいていた。世の中にはもっと素晴らしい詩的な言葉も、たくさんたくわえられていた筈なのに。 ■CITY OF ANGELS 98.09.16 六甲アイランドMOVIX六甲(初めて行った)にて、"CITY OF ANGELS"を、観た。 天使のいる街。男の天使たちが、高速道路の案内標識の上から、高層ビルの屋上から、静かに街を見下ろしている。天使たちの視線を模倣する、流れ行く空撮の映像。 その時点においてすでに我々は、もう一本別のフィルムの存在を思い出している。 いうまでもなく、ヴィム・ヴェンダースによって収められた奇蹟的な詩篇というべき、Der Himmel Uber Berlin、である。 その思いは、天使たちの集う図書館という存在の登場、または「元・天使」で現在人間になっている男という存在の登場において、確信へと変わる。この映画はDer Himmelの変奏に他ならない、と。 そして実際のところ、映画が終わった後のスタッフロールをぼんやりと見ていたら、こんな文字が並んでいるではないか。"BASED ON THE FILM <<WINGS OF DESIRE>> BY WIM WENDERS"。言うまでもなく、"WINGS OF DESIRE"はDer Himmel Uber Berlinの英語版タイトルほかならない。確信は正しかったのである。日本ではさらに甘ったるく『ベルリン・天使の詩』とされてしまって、原題のもつ垂直な空間性が失われてしまったので、ここでは用いない。 恐るべしアメリカ。Der Himmelでは多国語〜言語の嵐ともいうべき圧倒的な図書館の光景が、ユルゲン・クニーパーの手による音楽を伴って出現していたものが、現代的で小奇麗な図書館に判りやすく天使たちが並んでいるにとどまり、音楽に至っては、ヒロインが手術中のリラクゼーションに要求するのはなんとジミ・ヘンドリクスである。また、その飄々とした風貌がなんとも元・天使であることを確信させたピーター・フォークは、大食漢でビル現場作業員のおっちゃんに取って代わられ、そしてヒロインは、空中ブランコを浮遊するFRAGILEな女性から、アメリカ的職業権限をもった外科女医へと。NICK CAVEが"I'm not going to talk about a girl, I'm not going to talk about a girl..."と心の中で呟きながら"I'm gonna talk about a girl."と観衆の前で宣言し歌い始める、文句なしに美しいシーンにいたっては、ついぞ登場しない。 そこにあったのは、件のフィルムが、アメリカ風メロドラマに咀嚼され、ハリウッド的クリシェによって再構成された、姿であった。 これもありとはしよう。映画の観方も、その価値も多様にあるわけだから、淀川長治さんのようにどんな映画も誉めることも重要なことである。 ただ個人的には、咀嚼されたこちらのほうの映画を観て「感動した」と言われることはちょっとつらい。そこにある、例えば「男女間の恋愛」は、アメリカ的に殆どイデオローギッシュに構成された「人工的な物語」であって、本来的なものではないはずだからである。「もっといいものを食べましょうよ」というと同レベルで、「もっといい映画を観ましょうよ」と言わなければならなくなる。最後にヒロインがあまりに無意味な死を迎えることもいただけない。人はそんなに簡単に死を迎えるものではない。映画『ゴースト』で、とにかく主人公二人は愛し合っているのだが、その理由が一切説明されていないという構造と同じレベルである。 映画に基づいた映画というものがあるということは今回初めて知った。 そのエッセンスの、あるいはコンテントのより広いマーケットへの紹介という意味では、意義もあろう。 |
最終更新日04/09/10