医療機関連絡委員会の見解

医療機関連絡委員会メンバーのグループによる発言


医療機関連絡委員会(Hospital Liaison Committee, H.L.C.)は、世界の大部分の地域において、エホバの証人が無血治療に協力的な医師を見つけるのを援助する目的で、協会によって設けられました。医師たちとの交渉を通じて、彼らは、協会の血に関する方針の明らかな矛盾や一貫性の欠如にしばしば直面してきました。その中で医療機関連絡委員会の兄弟たちの1つのグループが、血の問題に関して自らの考えを述べるために、進み出ました。彼らは、わたしたちにエホバの証人の全てと、特にニューヨーク、ブルックリンの「病院情報サービス」に向けられた次の情報を公表するように依頼してきました。 この情報は医学や法律の専門家たちにとっても興味あるものでしょう。

私たちは現在、世界各地の医療機関連絡委員会で働いている八人の兄弟たちのグループです。私たちは、互いに自分たちの仕事に関して話し合って情報を交換し、様々な経験を紹介してきました。私たちは兄弟たちのために、多くのよい仕事ができたことを大変うれしく思っています。この制度はエホバの証人でない人々にもためになるものでした。

血が危険な治療であることは医者によってさえも広く認められています。様々な病院でわれわれの立場を説明するにあたり、多くの場合われわれは、医者が人間の血を使う治療を回避するために、全力を尽くしていることを明瞭に示す発言をしばしば聞きます。そして、このような発言が血液学の領域において働く医者から起こることは注目に値します。

医療機器、手法、医薬が飛躍的に進歩してきたことを否定することはできません。このことが、血液製剤の必要を減らすことの主な理由となり、それに貢献してきたのです。これに加えて、多くの会社が血液凝固機能を改善したり、循環血液量を保つための製剤を開発してきました。高圧酸素療法もまた一つの重要な技術で、多くの医師はその使用に抵抗を持ってはいますが、急性貧血の治療に効果があることを認めています。

また協会は、赤血球の生産を刺激するエリスロポエチンの使用を強調し、これは鉄デキストランと共に使用されて、エホバの証人の患者を治療するに当たり、より大きな効果があがる証拠があります。

血を使用しない代替療法には多くの良い点があることは否定できません。そしてそれと同時に、もし医学が血に代わる治療を発見していたなら、私たちの仕事は必要がないであろうことも事実です。しかし1997年のこの時点では、血はいまだに命を救う貴重な製剤であり、私たちは時にその使用の重要性と利益を見失いがちです。医療機関連絡委員会のメンバーの中にさえ、その任務の長年の経験にもかかわらず、なぜ血が使用されるかについて全く無知である者がいます。これらの兄弟たちは、この任務にあたり、セミナー第一、第二をとって訓練されてきましたが、彼らが血に関して知っている唯一のことは、それが危険な治療法であり、避けなければならないものである、ということだけです。そしてその理由は、聖書によるのでなく、単にそれが悪い治療法であり、それに代わる良い治療がある、と信じているからなのです。

臨床家の間には、ヘモグロビンの値が10以下に下がった時、あるいはヘマトクリットの値が30以下に下がった時に、患者が輸血を受けるべき可能性があるという指針、あるいは「法則」があります。これは「10/30の法則」とも呼ばれています。多くの医師が今日でもこの指針を使い、悲しいことに、ある医師たちは他に医学的理由がないのに、早まった輸血をしています。 更に難しい質問は、患者の命を危険な状態にさらすことなく、どれだけ血液の値を下げることができるか、という問いです。私たちはセミナーにおいて、ブルックリンのエホバの証人病院情報サービスの三人の兄弟の講義の後で、病院や医療機関をいくつか訪ねるのが恒例になっています。そのような機会に、副部長であり、ブルックリンにおける血の問題の主な発言者であるメージャー・スプライ兄弟は、10/30の法則は時代遅れであり、「この値はもっとうんと下げて欲しい」という意向を伝える努力を常にしています。しばしば、医師たちはこれに同意するにあたり、「この値を下げることは結構ですが、これは患者の年齢や状態に大きく依存することを忘れるべきではありません」と言います。若い健康な人間は、貧血で栄養の悪い老人に比べれば耐久力があるのです。従って、それぞれの患者は個別に考慮されるべきであり、一つの立場あるいは一つの方針を決めることは容易にはできないのです。

ブルックリンの兄弟たちはその仕事によって、大変よい結果を達成していることも確かです。そのような進歩の良い例が、「The American Journal of Surgery」170巻、6A号(Suppl)、(1995年12月)に掲載されている、コンセンサス会議:血液管理外科治療ガイドラインでしょう。ここでは外科的血液管理の11に上る指針が提案され、それぞれの指針の目的とする結果を達成するための実践方法が提案されています。それによると、「この指針は次の四つの臨床的な結果を達成するべく考案された。すなわち、酸素運搬力を最大化する、輸血による副作用を経済的に最小化する、医師や患者の教育、特殊な外科患者グループすなわちエホバの証人の外科管理、である。」

この同じ「The American Journal of Surgery」の14ページには、「エホバの証人の血液管理の指針」と題する部分があります。その指針2は次のように述べています。

一般に、 エホバの証人は、全ての同種血(別の人間の血)による血液製剤と、体から分離された自己血を拒否する。このことは、大部分のエホバの証人が人工心肺によるバイパス、透析、術中の血液採集と再注入の使用を受け入れることの禁止を意味しない。何気なく見れば、これらの方法と、体から分離された自己血との区別はつかないが、エホバの証人は、受け入れられる治療と受け入れられない治療を、体の外に出た血が循環系の部分であるかどうかに従って区別する。透析と人工心肺によるバイパスでは、血は循環の一部のままである。自己輸血装置では、血液採集装置から患者まで静脈内のラインを使って閉鎖回路を維持することでこの基準を満たすことができる。血液希釈はこの方法により簡単に受け入れられるものに修正され得る。

エホバの証人は、鉄デキストラン、アプロティニン、デスモプレシンや、合成の代替血のような大部分の薬剤は、これらが人間の血液成物を含まないので容易に受け入れる。ヘモグロビンに基づいた代替血は、それが人間血あるいは動物血を含むならば、エホバの証人には受けつけられない。

エホバの証人は、免疫グロブリンのような少量の血液成分を含む血液製剤のあるものを、良心の問題として受け入れることもある。エリスロポエチン・アルファ (少量の人間のアルブミンを含む)は、大部分のエホバの証人に受け入れられる。アルブミンは、循環血液量を増加させる目的で使われる場合には、多分良心的に拒絶されるであろう。しかし エリスロポエチン・アルファに含まれる量は少なく、従って一般に受け入れられる。

血とは何か

上に書かれた、組織としてのわれわれの立場は確かに正確です。しかしながら、ここには医療機関連絡委員会メンバーが取り組まなければならない2、3の問題があります。第1の質問、そしてこれはしばしば尋ねられる質問ですが、それは、血とは何か?です。これは、簡単に答えられる質問のように思われるかもしれません。しかしそうではありません。というのは、協会がエホバの証人に受け入れることを許可しているいくつかの血液成分があるからです。これらの成分もまた同じく血ではないのでしょうか。そしてどの血液の成分は受け入れてよく、どの血液成分は受け入れられないということをどのようにして決定するのでしょうか。このように、「許される成分」をわれわれの体に取り入れることが許されるのなら、エホバの証人も医療従事者もともに、われわれの立場に関して混乱することは当然ではないでしょうか。この質問は多くの兄弟の心の中にありましたが、だれも、この問題を公に取り上げる勇気はありませんでした。なぜでしょうか。

血液希釈

血液希釈と術中自己輸血に関する限り、医療機関連絡委員会のメンバーは、これらの技術がいかに機能するかを正確に理解する努力をほとんどしませんでした。これらの体外の装置や方法はすべて、血液がまだ体の一部であるかどうかに関しての疑問を引き起こさざるを得ません。しかし兄弟たちは協会がそれらを禁じないという単純な理由で、これらの技術を受け入れます。

医学的な解答を見つけようと努力している兄弟が「産科婦人科学72巻6号『術中自動輸血のための単純化された装置』(1988年12月) 」の記事を見てどのように反応するかは、興味あります。この記事が紹介され、兄弟たちがその装置を見ていかに血液が採集され、体の下にぶら下げられた血液バッグの中に蓄えられるかを見れば、彼らの最初の反応は、一般にこの装置を拒絶することです。

この装置は次のように機能します。手術の間、医者は血液吸引装置と抗凝固剤自動混合装置を使い、血液は血液貯蔵装置に集められます。その血液は重力によって体の下にぶら下げられた血液バッグに集められ、それが一杯になるまで、下にぶら下げられています。血液バッグが一杯になると、バッグは支柱のてっぺんに上げられ、血液は再注入されます。この血液がまだ循環系の一部であると見ることは困難ですが、いったん協会がその使用を認めたこと、そしてそれが聖書の教えに反しないことを告げられれば、兄弟たちはこの装置を受け入れるのす。

アルブミン

アルブミンはもう一つの問題です。われわれは、アルブミンを良心に関わる問題として受け入れますが、血液にはわれわれが拒絶しなければならない白血球よりも、より多くのアルブミンが含まれるのです。多くの医者は、この立場に関して同じく混乱します。しかし大部分の医者はわれわれの立場を尊重し、明瞭な矛盾が存在するにもかかわらず、そこには特別な宗教上の教義があると考えます。しかしここで医者が知らないこと、そしてわれわれが説明することを許されていないことは、この立場が明らかに、メンバーに指示された組織の規則であって、そこには何の論理的理由もなければ、また聖書の裏付けもないことです。

EPO(エリスロポエチン)

アルブミンの使用について、医療機関連絡委員会の多くのメンバーが語るもうひとつの興味ある点は、われわれが兄弟たちの良心的な決定について決して判断を下したり干渉したりすべきでないことです。しかしここで問題なのは、協会がエリスロポエチンの利益を非常に強調する余り、二つの最も一般的に使用されるエリスロポエチン、EprexとRecormonの間で、Eprexは、アルブミンを含むことを通知することを、医療機関連絡委員会メンバーが、しばしば忘れたり、怠るということです。しかし、通常、医療機関連絡委員会メンバーは、このことを通知する責任を感じません。 もう一つの悲しい点は、多くの兄弟たちは、医療機関連絡委員会のメンバーでさえも、実際にエリスロポエチンがいかに働くかを理解しておらず、従ってエホバの証人の治療に際してそれを過大評価することです。

エリスロポエチン ( EPO )は、ヘマトクリットを増やすための治療であり、酸素を輸送する赤血球の生産を刺激します。医療機関連絡委員会のメンバーの中には、協会がエリスロポエチンの利益を過度に強調していると考える者がいます。救急治療の場合に推薦された投与量は、一日200-1000 国際単位/kg、そして明らかな反応が見られた場合には、週に3回の投与に変えます。ある製薬会社は、より多くの国際単位を推薦しています。残念な事実は、今日エリスロポエチンの真の効果に関する科学的根拠は漠然としていることです。この治療は、腎臓の機能障害を持つ患者に最も頻繁に使用され、また手術の4週間前に自分自身の血液を前もって貯蔵しておいた患者は、EPO治療を受けられます。しかし、患者が健康であり、重い感染症の兆候も全く現れていないならば、EPOを通常は必要としません。医療機関連絡委員会メンバーの間でさえも、その真の効果について混乱があります。あるメンバーは大量の投与を提案しますが、それは何もエホバの証人患者がそれを必要とするとか、EPO治療がヘマトクリットが低い限りは重大な禁忌にはならないという理由ではなく、もし治療がうまくいかず、何か重要な問題が起こった時、少なくともEPO治療を使用しなかったからではないと考えることで、より安心感を得るためなのです。医療機関連絡委員会メンバーの間に知識と科学的裏付けが欠如していることは、兄弟にとって懸念されるべき問題です。まず第一に、多くの兄弟はEPO治療の真の効果は通常2-4週間後に来るということを知りません。まず約3日でわずかの網状赤血球の反応が見られ、7日以内にヘマトクリットの反応が起こり、最終的に必要とされる効果は、通常2-4週間の後に来ます。 この理解は、特に急性の出血例において重要です。

EPO治療のもう一つの問題は、費用に対する効果の比較です。ある医師たちは、1週間当たり80国際単位/kg/3日のようにEPOの小さい投与量を推薦しました。一方医療機関連絡委員会メンバーは、科学的あるいは、医学的な理由なしに、最初の週に連日600 国際単位/kgの投与を推薦するかもしれません。多くの場合、患者は、自分自身でこの費用を負担しなければならないでしょう。費用は場所によって異なるかもしれませんが、しかし控えめに見積もっても、医療機関連絡委員会メンバーによって推薦された大量投与の費用は約4,000ドルに登ります。しかも、EPOの最適投与量が確立されていない現時点では、この大量投与法は、なんら科学的に正当化することができないのです。

臍帯血

エホバの証人と医療機関連絡委員会のメンバーの間で提起されたもう一つの疑問は、臍帯血に関する問題です。 今日、医学研究者は、臍帯血の使用に関する研究をすすめており、そこには命を救うことのできる医学的な利益がある可能性が示されています。しかし、他の多くの例と同様、協会はエホバの証人がそれを受けつけることのみでなく、臍帯血を提供することすらも反対しています(ものみの塔誌、97年2月1日号、読者からの質問参照)。しかし、協会は臍帯血の中に見つけられる血液成分を製造し、使用することを認めているのですから、この禁則は論理にかなわない、また聖書的な裏付けのないものなのです。

「血に代わる非血液治療」の問題点

血を回避することは、質の高い医療を目指す一つの方法です。しかし血に代わり得る治療法を提供することは、現時点では単純に不可能でなのです。医師たちはこの状況に気づいており、何か輸血に代わる治療が必要であることを知っています。血に代わる良い治療法が存在するならば、医者はそれを使うでしょう。今日、われわれの実際上の選択肢は、外科医の技術、ある種の薬物治療、いくつかの病院で使用可能な特殊な装置と技術、そしてもちろん安全性の限界を超えて手術をする危険を冒すこと、しかないのです。

われわれ、医療機関連絡委員会メンバーは、われわれの仕事が単に協力的医者を見付けることだけかどうかを自分達に尋ねるべきでしょう。次の医療機関連絡委員会メンバーの中のある兄弟たちの間で語られたコメントは、インターネット上の www.noblood.comの、'Bloodless Coordinator's Corner’からとられました。

時に病院や医者は、われわれを血に代るもので治療する挑戦を受け入れます。しかし、もし病院や医者にその準備ができていないならばそれは、致命的なことになり得ます。時に、医者はエホバの証人で実験を行うことに、非常に興味を持っています。 'Bloodless Coordinator's Corner'で述べられた次の論説を考えて下さい。この状況は、多くの国で現在、病院が適切な準備もなしにわれわれに協力することを決定した時に多くのエホバの証人が直面する問題なのです。医療機関連絡委員会のメンバーとして、われわれは自分たちの経験からこれを確認できるのです。次の記事に注目してください。

われわれの客員論説は、ワシントン州RichlandのKadlec医療センターの無血医療と手術のためのコーディネーターBernice Goldstienから頂きました。Berniceの協力に感謝します!

無血手術は、実際に血から無縁ではありません。血は流されます。 「無血」は、輸血のない医療に適用された言葉です。 無血手術は、輸血に代るものがあるということを認識する患者の増加に伴って要求が増えています。

過去においては、輸血を治療計画の一部として使わないことに同意する医者を探すことがせいぜい私たちのできることでした。心臓血管外科医であり、無血医療の医学主任であるDr.Estiokoはこう語ります。「輸血をしないことの約束だけでは十分ではありません。協力的な医者はあなたを殺すことにもなります。」彼は何を言いたいのでしょうか。医者が輸血なしで治療することに同意するならば、彼はそれに代わるものとして何を提供できるのでしょうか。彼ができることは実に多いのです。

確かに血を使わない医療管理の設定は、医者からの血を使わないという約束をはるかに越えたものがあります。それは、病院全体の真の取り組みを必要とするのです。;

確かに協会は、血に代る治療に関する情報を提供することに優れた仕事をしています。しかし現実には、多くの国において、医者も病院も、代替治療のための準備が常にできているとは限らず、場合によってはそのようなケースを扱うことを希望しないこともあります。われわれの兄弟が、協力的ではあるがその資質もなく、そのような症例を扱うのに必要な経験もない医者によって治療された場合、多くの例が悲劇的な結果に終わりました。しばしば、医者は輸血治療に代わる十分な治療を提供することができなかったのです。悲しいことには、多くの医療機関連絡委員会メンバーが、エホバの証人患者が病院側の取り組みの欠如と代替処置の使用が不可能なためにしばしば死ぬことを認識していないことです。唯一の実際的な協力は、しばしば簡単に患者に死なせることであり、これは容認しがたいことです。医療従事者は協力しあい、もしかしたら他の病院、他の医者が役に立つであろうことに気づくべきです。しかし、これは常に起こるとは限りません。そして悲劇的なことは、多くの医療機関連絡委員会メンバーが、実際にこれらの状況を評価し、いかに対応するかを知る本当の資格がないことなのです。

小児患者の問題

医療機関連絡委員会のメンバーであることの最も心を痛める問題は、われわれの子供が関係している時です。なぜ、協会は子供が関係した例では、法廷において一度も勝訴したことがないのでしょうか。酸素を輸送する手段として人間の血以上に効果的なものは何もなく、今日、医療の現場でそれに置き換えられるものが存在しないことは、明白な事実です。われわれは、司法機関がわれわれの子供を保護するという事実を認めなければなりません。医療機関連絡委員会のメンバーであるわれわれにとっても、子供についての規則と法律を知っている医者と共に仕事をすることは、はるかに容易であることを知っています。確かに、エホバの証人の両親がこれに反対して行動した場合もありましたが、全てのエホバの証人は、親の子供に対する権利は絶対的ではないこと、そしてエホバの証人の子供に関しては、一般的な無血治療の保証はあり得ないということを知っているべきです。エホバの証人は、州や国が子供の生命と健康を保護するために必要であると考えられる治療をする権利があることを理解するべきです。

効果的な代替治療が入手可能であり、実現可能な選択肢がある時は、確かにその選択は、医者や、ソーシャルワーカーや裁判官ではなく、親によって行われるべきです。しかし、ここで尋ねなければならない重要な質問があります。誰が、血を使わない代替の治療について決定をする資格があり、誰の決定が、子供の必要に適切に沿ったものになるのでしょうか。医療機関連絡委員会のメンバーとして、われわれは、協力的医者が血を使わない代替治療を求める親の願望に従って子供を治療し、その結果が悲劇的に終わり、もう一人の不必要な死をもたらしたした例を目撃してきました。

われわれは確かに、血液製剤の使用による望ましい結果や利益について、ドグマ的になるべきではありません。しかし一つだけ確実なことがあります。血液製剤を代替し得るものが存在しない限り、血液製剤は使われ続けるでしょうし、多くの子供たちは、それらによって救われるのです。裁判官は、親の宗教の信念よりも、血液製剤を使って子供の生命と健康を保護することを、支持し続けるでしょう。

良心の問題?

われわれが医者に対して訴えるのに使用する主張の一つは、血液を使った治療を強要することによって良心が蹂躪された人間が受ける感情的な打撃の問題です。全ての理性ある人は、人の良心に背く治療を強要することは容認できないと感じます。大部分のエホバの証人に関しては、しかしながら、そのような良心は、実際に前面には出ませんせん。エホバの証人は単に、協会がそれについていかに判断を下したかに基づいて、対応しているのです。

われわれエホバの証人が過去を振り返って、種痘、血清療法、臓器移植、血友病の治療を受け入れずに、傷ついたり死んで行った兄弟を思い出す時、われわれは、彼らが主として、彼らに強要された組織上の方針と禁令のためにそのような立場をとったことを認めなければなりません。これらの立場は、指導部によって現在では放棄されており、われわれはめったに、兄弟が、種痘、臓器移植、あるいは協会の承認したリストにある血液成分のどれかを拒絶しているのを見ることはありません。この事実を見ただけでも、このような状況に対して、真の問題は何なのかを、関係したすべての者に立ち止まって真剣に考えさせることにならざるを得ないのです。この問題は真に、良心の問題なのでしょうか、もしそうであれば、誰の良心の問題なのでしょう。

結論

われわれ八人の医療機関連絡委員会のメンバーは、これらの問題点を注意深く考察した結果、次のような結論と考えに達しました。特にわれわれは、このコメントをブルックリンの病院情報サービスで働く兄弟たちに宛てたいと思います。

セミナー第一、第二でのあなたがたの言葉を引用するなら、私たちは血に代わる治療法と協力的な医師に関する情報を提供するという領域において、「訓練された職業人」であるはずです。これは素晴らしいことであり、われわれは多くの祝福と、私たちの仕事が非常に良い結果を生み出すのを見てきました。同時に、われわれは、医学の進歩が、現在使用されている血液製剤に代わるものを見い出すことができることを望んでいます。そうなれば、単にわれわれエホバの証人にとってだけではなく、地球の全人類にとって、なんと素晴らしい祝福となることでしょう。確かに血液に代わるものが利用可能になれば、全ての医者はそれを喜び、、それは、直ちに病院の治療指針に適用され、救急医療の処置にも使われるでしょう。

しかし、近い将来に何が起ころうとも、新しい合成の血液製剤、新しい病気、感染症、その他のどのようなものが発見されても、現実の質問は、まだわれわれの心に残り続けます。協会の血の教義は本当に正しいのでしょうか。なぜ、多数の兄弟たちはこの問題に関する聖書の事実を考慮するとき、内面的な葛藤におちいるのでしょうか。協会は、血に関する全ての聖書の事実を、真にわれわれに提供したでしょうか。協会はいくつかの小さな血液成分を受け付けることによって、その固く立っているはずの立場の中に、計り知れない矛盾を作り出したことを認識しているでしょうか。自己の血液を輸血することに反対する、はっきりとした確実な議論はあるのでしょうか。司法制度が介入して子供たちの生命と健康の保護に乗り出さない限り、協会の立場はわれわれの貴重な子供たちを殺しているのだということを、協会は認識しているのでしょうか。われわれエホバの証人としての最大の関心は血に代わる医療を探すことでしょうか、それとも命と血に関する聖書の事実を正面から調べることでしょうか。

あなたの兄弟たち、

医療機関連絡委員会メンバーのグループ


次の手紙は、ここに述べた問題に直面する医療機関連絡委員会の一人の兄弟からのものです。彼は自分の重大な懸念を発言すべく、手紙をくれたのです。

私は、血に関する情報や文書をインターネットで定期的に調べている者です。私はまた、医療機関連絡委員会 ( Hospital Liaison Committee )の一員である特権にあずかっています。 しかし私は、われわれの血の教義の中にあまりに多くの矛盾があるため、に非常に危険な領域で仕事をしていると感じます。 特にわれわれの兄弟たちが不必要な苦痛と死を通らなければならない時、私は個人的に、深い罪の意識とともに仕事をし、その感情に苛まれます。私は、個人的に4人の兄弟たちの、回避することができたであろう死を目撃しています。どのようにして回避できたのでしょうか。それは協会によって認められた利用可能な代替治療が使われたならば、これらの兄弟姉妹たちは、死なないですんだのです。しかしどうしてそれを使用しなかったのでしょう。それはエホバの証人の患者が、治療法の一部に人間の血の部分が含まれるという理由で反対したので、医者はその治療を使えなかったのです。これらのエホバの証人の患者は、なぜ協会がこれらの血液成分を含む治療を許しているのかを説明できませんでしたが、医療機関連絡委員会がこれらの兄弟と医者に協会の見解を説明した後では、これらの兄弟はその治療を受けることに同意しました。悲しいことに、私が経験したこれらの4つの例においては、必要な治療が遅れて使われたので、患者は死にました。

私は冷たい病院の廊下で、これらの兄弟とともに苦痛と喪失の悲しみを分かち合い、彼らを抱き締め、話し合い、共に座って、兄弟愛と人間としての同情を共にしました。これらのあわれにも純粋な兄弟たちは、犠牲者です。彼らは協会の見解を理解することもできなければ、組織の指示に対して忠実であることを除いては、それを説明することもできません。最初彼らは、全ての代替血液製剤を完全に拒否しますが、しかし組織がその承認を与えるならば、ほんの数秒の間にその気持ちも心も変えてしまうのです。

私の気持ちをはっきり申し上げましょう。私はこの医療機関連絡委員会の任務をやめる準備ができています。私はこの残酷な教義を実施していくことを支持し続けることはできません。 貴重な子供や、すばらしいエホバの証人の兄弟姉妹が、理由もなく命を落としています。私がこの医療機関連絡委員会に留まっている理由はただ1つです。われわれは、異なる場所に働いている、協会の見解を支持していない3人の兄弟です。もしブルックリンのだれかがこれを読むならば、われわれの内部の問題に関する情報を、医師たちや兄弟たちの間に分配することに関する限り、われわれの仕事は非常に成功しているということを、知っていただきたいと思います。われわれは、この問題を誰かに押しつける積もりはなく、血の問題に関する決定において個人の選択を尊重します。しかし、同時にわれわれは、協会が現在進行しつつあることに注意を払い、そして、真実と愛と正義の名において、われわれの親愛なる兄弟たちのために、なさなければならないことを実行されることを望みます。

私は、この機会を借りて、「進歩的長老」やその他のインターネット上の人々に感謝を述べたいと思います。これらの人々の働きが人命を救い、間違った教義を変更させる力となるのです。

あなたの兄弟、

医療機関連絡委員会の一メンバー


私たちは、更に多くの誠実な兄弟が進み出、不必要な死と苦痛の終りを求める私たちの運動に加わることを信じて、切望するものです。われわれは、医療機関連絡委員会の兄弟や協会本部の組織職員で、この論文を書いた医療機関連絡委員会メンバーと連絡をとることを望む人々との間の仲介の役割を果たしたいと思います。あなのメールをどうぞ、このサイトの代表者(PLEIADES@pol.net)に宛ててお送りください。
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