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PLASTICS INTERVIEW before DEBUT 2


Masahide Sakuma
Masahide Sakuma
 プラスチックスのメンバー全員がテクニックを追求する音楽に好意を持ってないこと、その反発を表現行為に転嫁するうえでパンク・ロック(特にセックス・ピストルズ)が触媒的な役割を果たしていたことは偶然かもしれないが興味深い。

ビートしかないシンプルなコンセプトにひかれた。セックス・ピストルズは、基本的にはミュージシャンじゃなかったし、今まで音楽をやってきた人だったら、おそらくああいうことはできなかったと思う。
 ミュージシャンの業みたいなのってあるのね。どんどんうまくなって、通の世界に入ってっちゃうエリート意識を持っちゃうというか、将棋なんかでもあんまりうまい人とやると先へ先へと読まれてつまんなくなるってことあるでしょう。その場で反応んするじゃないとはたで見ていて面白くない。音楽は技術的なうまいへたの問題じゃなくて、人格のようなものだと思うのね。
 ぼくはベーシストとしてはミュージシャンだけど、シンセサイザーをやる分にはプラスチックスの他のメンバーと同じ次元なわけ。プラスチックスなどはうまいのはリズム・ボックスだけでね。でもうまければうまいほど効果のあがる音楽じゃないからね。乗りがそこなわれない限り、へたでもいいと思う。
 遠藤賢司の「東京ワッショイ!」でやったようなことは、ずっと前から茂木由多加と一緒にやってきたことなのね。いつもひとつのことだけやってるのって向いてない。四人囃子でベース弾くのもぼくにとっては一部分だし、プラスチックスもそう。単純に新しもの好きってのもあるんだろうね。

 技術的にもうまいミュージシャンがエリート意識と格闘しながらそれを越えたところで演奏を展開するというのとは全く逆の、ノー・ミュージシャン・バンドの理念の結晶みたいなところがプラスチックスにはある。

重いものじゃないみたい。
自然にこうなってきた。

と言いながらも、彼らは自分たちのやっていることを明確に把握している。

 その意味で、彼らはきわめて過激な存在である。ディーヴォの方法論が思い出される。しかしドラムもベースも放逐してしまった点で、プラスチックスはさらに北極のアイスクリームである。

極端までいかないと面白味がない。

のである。

 彼らの方法論の核をなすのがリズム・ボックスとシンセサイザーによるリズム・コンビの導入である。

複雑なことをやって効果があるのはあたりまえ。単純なことをやって効果を出したかあった。
ドラム・セットが舞台にあって汗を流して叩く複雑さが、最初ナンセンスに思えた。箱とボタンがひとつあればいいと。
生のドラムの音はノイズが多くて、うるさい。もっと小さくていいT思った。
最初のコンセプトとして、ステージは無機的にクールにプラスチックにというのがあった。リズム・ボックスはそのコンセプトにぴったりだった。
ちょうどタイミングよくローランドからコンピュリズムという高性能の製品が出た。
最近、スタジオの仕事では、以前にくらべると正確さが要求されることが増えてきて、ドラムを叩く時にミキサー室からリズム・ボックスの音を返して、それに合わせて叩かせるというケースも多い。すると、たしかに聞きやすくなる。聞きやすさも、ひとつの時代のバロメーターであるとは言えるわけです。ビートも2->4->8->16と、どんどん均等割りに近付いてきている。機械の均等割りのリズムと音楽のダイナミズムは別のものだと思ってるけど、最近はそれで事足りちゃう世の中になってきている。その風潮に対する裏返しの意味でリズム・ボックスを使いたいと思った。

Chica & Hajime
Chica & Hajime
 しかも彼らの過激さは、リズム・ボックスをアクセサリーに使うのではなく、作品構造からボーカルや演奏のスタイルからステージ・アクションまで、すべてを想定するものとして導入している点である。メロディも歌もいったんデジタルなリズムに分解され、再構成される。ギタリストがえびぞりフレーズを弾くわけでも、ボーカリストがセクシーに尻を振るわけでもない。客席の熱狂が演奏者の神がかり的な即興を誘い出すといった神話も拒絶している。

オリジナルを作った時点で"トーキョープラスチック"というコンセプトがあったわけです。プラスチック・イコール・都会的・宇宙的というイメージと、トーキョー・イコール・ツー・マッチ・インフォメーションとね。日本は明治以来ずっと近代化イコール西洋化みたいなところで、追いつけ追いこせでやってきたんだけど、東京で起ってることを見てると、追い越しちゃってる部分もあるわけ。猿真似と言われるけど、それをまたどんどん真似ていって、もうルーツが何なのかわかんないようなグショグショでヘンテコなオリジナルみたいなもの、たとえばラブ・ホテルなんかそうでしょう。ぼくらの音楽もラブ・ホテルみたいなものだと思うんです。そういう何が何だかわからないオリジナリティみたいなものを、音楽に限らず、東京から送り出せたらいいなあと。

 しかし、この方法論の新しさや過激さは、彼らの歌ではないが"トゥー・マッチ・インフォメーション"の波にさらわれれば、たちまちのうちに風化してしまう弱さを持っている。少なくとも今の時点ではまだ彼らの演奏がそうした懸念を完全に吹き飛ばすだけの力を持っていないことは確かだ。もちろん、そのことは彼らにとっても既に最大の関心事としてあるはずである。

 彼らにリズム・ボックスが好きなのかと訊ねると、しばしの沈黙があった。

病気だね、一種の。たとえばスネアのおかずを入れようとすると、実際に音が出る1小節前にスイッチを指令しなきゃならない。非常に歪んでるんですね。とてもつらいですよ。でも、まあ、世界一器用な人やなあと、リズム・ボックスのことを信頼してあげている。練習の時も、普通のバンドだったらこの曲はブギでやろうとかいってリズムを決めるでしょう。ぼくらの場合は、リズム・ボックスについている記号を使ってロック2にしようとかロック3にしようとかやってる。


To be continued.....


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