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駄 目 ワ ー ド !!








自作小説を振り返り、この表現は頂けないよな、という自己反省を皆様の眼前で繰り広げようという試み。
随時更新。

"駄目ワード"とはその名の通り、未熟者故に犯してしまう、過ちのこと。
恐いのが、書いている時は気付かない場合が往々にしてあるので、後になって読み返した時に激しい自己嫌悪に苛まれる。それを乗り越えた時に、一つ成長したような気がするのも、もしかしたら気のせいかも知れない・・・

小説好きな皆様の中にも、きっと色々な駄目ワードがあることでしょう。
咄嗟に思いつかないという方も、そういう拘りを持つことにより、より味わい深い読書が出来、また己の趣味趣向を探索するのにも役立ちますので、是非にお試しあれ。





























"駄目ワード"の最たるもの。それは"愛"!!

哀しいのがこの表現を露骨に使用している作品が過去現在において、異様に多いという事実。
会話の中で登場する"愛している"云々はまだ許せる。

がっ!!

どうにも許し難いのが一人称の描写の中で出てくる"愛"という言葉。
はっきり云って芸がなさすぎ。短絡的も甚だしい。安っぽい。

参考までに拙作を読んでみませう(笑)めちゃくちゃ登場しています。
例えば"発狂"など。
これを久々に読み返した時に、哀しい気持ちになりましたね。思わず書き直してしまいたくなりましたが、それも何だか癪にさわるので放っておきましたが・・・

"おれは自分がHを愛しているのか、いないのか、それすらも分からなくなってしまった"

上記のような使い方が駄目ワードの良い例です。

こんな表現ってありますかね?普通、こんな風に頭の中で考える人間がいますかね?

"あいつを好きかどうか分からない""あいつを愛しているかどうか分からない"
ではニュアンスが違うのもいいところです。

確かに"愛"という表現を使用すれば英語で云うところの"LOVE"と"LIKE"の違いのように、"愛"という言葉の方が、重さはあるにしろ、その重さが現実的でない、作られた表現、作られた感情、自然でない、歪められた表現のように、自分は感じる。

それがまだ作品の中で一回ぽっきりしか登場しないのであればいいのですが、これがまた何度も出てくる。
こうなるといよいよ安っぽいです。
曲がりなりにも、ものを書いているからにはこういう表現力こそ身につけなければいけませんなぁ。

""おれを愛していないのか?"
"おれたちの中にもうは存在しないらしい"
"やつにとっておれを愛するということは既に一種の苦痛となった訳か"

ここに出てきた"愛"という言葉は、明らかに作者の(わたくしの)表現力の不足の為せるわざです。
これらの言葉は"愛"ではなく、別の言葉に置き換えることが可能で、寧ろ置き換えるべきであるように思う。
"愛"と表現したのは、それが一番簡単だったからなのでしょう、きっと。
分かり易い言葉、であるに過ぎない。

第三者がこれを読んだ時には"愛だ何だとうるさいな"程度にしか感じられないのかも知れませんが、作った側としましては"愛"という言葉だけでは不十分。その言葉だけでは、表現しきれていない感情がある。だから結果的に、読み手には自分の表現したかったことが伝わっていない、ということにも繋がります。

とにかく"愛する、愛さない、愛されたい、愛したい"などといった表現は、自分の中での"駄目ワード"ですね。もっと別の表現がある筈です。"愛"なんて言葉は振りかざせば振りかざすほどに陳腐極まりない。懐疑的にならざるを得ない。

"おれのこともう愛していないのか?"という表現は、大体にしてこんな台詞を口にしてしまうキャラ自体が嫌悪の対象ですがそれはさておき。こういう気持ちを抱いた時点で終わりだよなぁ。自己嫌悪しちゃうよ・・・というのもさておきまして!

"愛していないのか?"という言葉を使って表現したことによって、一層、げんなりとしてしまう気がするのはわたくしだけではありますまい。それならばまだ"おれのこともう嫌いになったのか?"の方がマシです(飽くまでもマシ)

上記の台詞って、それを云うのが女であれ男であれ、云われた経験のある方や、またドラマや映画などで目にしただけでも、うんざりしてしまう人は多いかと思いますが、確かにそんな言葉を口にしてしまう感情にもうんざり感はありますが、やはり何と云っても"愛"という言葉を口にされたことによる、何とも言えない嫌悪感の方が上回っているような気がしますね。

大体にして"愛している"という言葉はどんな状況下でも適切ではないような気がしますけれども。
少なくとも、自分が誰かを想う時の気持ちは"愛している"というのでもない気がする。それだけでは表現しきれない。置き換えられない様々な感情がある。それは負の感情も含めて。

つまり、相手が何も云わずにただぎゅうと抱き締めてくれた時、その時の気持ち、感情。
それらは決して"愛している"では表現出来ないように思う。抱き締めた側の気持ちもそう。"愛している"以上に複雑で難解な、それでいて尊い気持ちなのだと思います。

話はそれますが"愛している"という感情になったことはありませんが"愛おしい"という感情は経験済み。皆さんはどうですか?
そういう意味でも"愛する"というのは、人の感情の代弁を出来ない(どんな言葉でも完全に代弁出来ないにしろ)不適切な言い回しであるように思います。

そんな訳で"愛"という表現を連発する描写は頂けない。自作品を振り返って、益々感じました。
もっと表現力に磨きをかけて、安易な言葉で自分の気持ちを代替しないように心がけましょう。自己反省。




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