− 押し売り − 前編 ルース王国の筆頭貴族パトンドール家の当主の顔を知る者は皆無に近い。なにしろ、ルース王国の正式な国王ですら、パトンドール家当主、ライル・パトンドールの顔を見たことがないのだ。 勿論、ルース王国国王もライル・パトンドールの顔を一目でも見たいと、数々の宴の招待状を送りつけている。しかし、王家主催のそれですら、体が弱いだのなんだのと理由をつけて、結局は代理の者がちらりと姿を見せるだけで、当主が現れた事は一度としてなかった。 そんなパトンドールの名が妹の口から飛び出したとき、国王は驚きを隠せなかった。なにしろ、妹の言い出した事が、 「私、パトンドールのライル様とでしたら結婚してさしあげてもよろしくてよ」
なんてものだったから。 青年は、一通の手紙を受け取ってため息をついた。パトンドール家に仕える彼の名は、ロード・ロゼウスという。幼くしてパトンドール家当主となったライルの補佐という立場についている。 茶に近い金髪に、透き通るほど白い肌。間違いなく美青年の類に入るだろう彼に彼女がいないのは、体の弱いパトンドール当主の補佐という激務についているせいだ、というのが彼を知る人々の間での定説であった。 しかし、それは正しくない。 確かに仕事は忙しい。しかし、それ以上に、彼に心から愛している女性がいるからだ。 その女性とは、ライレーン・パトンドール――パトンドール家の当主である。 「ライル様、国王陛下からお手紙が……」 ライルはロードの言葉にその整った顔立ちを不機嫌そうに顔をしかめて見せた。 「また、宴?」 ロードはライルの言葉に軽くかぶりを振った。 ライルは今まで宴というものに出席した事がない。女性であることを隠したいから、などという理由ではなく、ただ純粋に「宴」というものが嫌いなのだ。あまり親しくない相手と、酒を酌み交わすなんてまっぴらごめんという事らしい。 ライルの宴嫌いは、ロードにとって願ってもない幸運だ。ロードの思惑もあって、宴の招待状が届けられても、ロードはライルにいちいち伺いを立てることもせず、即行に欠席の印を押して送り返しているのだ。体が弱い為、と勝手に言い訳を付けて。 ただ、今回は宴の招待状ではない以上、ライルに一通りは伺いを立てる必要性がある。 「いえ、ライル様に王妹殿下との縁談話が持ち上がっております」 わざと困ったようにロードが言うと、ライルはロード以上に困った表情を浮かべた。
「どうして?私、女だよ?」 きっぱりと肯定すると、ライルはますます顔を歪めて、首をかしげる。
「王妹殿下も女でしょ?」 ライルは怪訝げにロードを見つめた。 しかし、ロードはライルにその理由を説明するつもりはない。なにしろ、その理由というのが、当主が男なのだと思わせておけば、悪い虫がつかないから、というものなのだから。 「今はそれよりも、こちらです。どうなさいますか、ライル様?」 ロードの言葉に納得しきれない様子を隠しきれないまま、しかしそれ以上ロードは何も言わないだろうという事を悟ってか、ライルは諦めたようにため息をついた。 「それは、もちろん断るけど……。縁談に関わるものなわけだから……やっぱり、きちんと国王陛下と王妹殿下にお会いして断らなきゃいけないよね」 ルース王国の筆頭貴族として、それは当然の礼儀である。宴は病弱を理由に休んではいても、縁談という大きなものとなれば、当主自らが出向く必要性があるだろう。 その事はもちろん理解はしていたが、しかし、ロードはライルの言葉にかぶりを振った。 「嫌です」 「駄目」ではなく個人的な意見での「嫌」だ。理解していても、許せるものと許せないものがある。
「どうしてよ」 一番、恐るべき悪い虫は国王陛下、その人、なのだ。なんとしてでも、彼からはライルを守らねばならない。 ロードは一人、妙は使命感に燃えていた。 なにしろ、ロードの勝手な言い分としては、ライルの相手はロードでなくてはならないのだ。 「わけ、わかんないわよ!」 とはいえ、あからさまなアタックをしていても、何故かライルは一向に気付いてくれないのだが。 「まったく……。国王が独身だろうが関係ないじゃない。縁談は王妹殿下となんだから!」 これ以上ごねると、ライルが本気で怒り出してしまう。そうなれば、宥めるのは至難の業なのだ。 「わかりました……」 ここは仕方がない。自分が折れるしかない。ロードは一つ、大きなため息をついた。 「だけど、俺もライル様のお付きとして、国王陛下への対策も含めて、ご一緒しますからね」
ライルはロードの言葉に小首をかしげながらも、ロードの同行に頷いた。 |