[前編] アーディルの隣国の一つにジョジョスという国がある。 国土の周り275度をアーディルに囲まれ、残りの85度は海に面す上、保有する国土もアーディルの王都一つ分の広さしかない。それを隣国と呼んでいいものなのか、それは大いに悩むところではある。 その小さな国は13の街に分けられ――多少の差はあるものの、一つの街にはせいぜい10件程度の建造物しかないはずだ――大きな事故が起こった際には、アーディルの救急車が助っ人に駆けつける、というなんとも摩訶不思議な国ではあるけれど、ジョジョスは一応、一つの独立した国家として認められているらしい。 その国の、第一王子と第三王子が揃ってアーディルへやってきた。その目的は、顔見せ、に他ならない。独立国家であるとはいえ、アーディルの支えなしでやっていけるほど、ジョジョスは強くはないのだ。 「お久しぶりです、アーディル国王陛下」 第一王子、ジョジョス・セルシウスがそっと膝を付き、頭をたれた。 「こちら、私の弟に当たります、ジョジョス・ファーレンハイトでございます」 名を紹介されて、第三王子が同じように膝を付いた。気の強そうな瞳がアーディルの国王であるマスターに向けられ、再びそっと伏せられる。 「お初にお目にかかります、陛下」 僕は、そんな二人の様子を国王の執務室の端っこから、じっと見詰めていた。 歴史編集室、略して歴編室室長である僕の立場では、ジョジョスからの来賓を迎える事はおろか、国王の執務室に入る事すら許されていない。しかし、次期国王であるメラフィの顧問一級賢者である僕は、大抵の事が許可されているのだ。 だから、僕の中の「おかしな国ランキング」の上位に入るジョジョスという国の王子がやってくる、と聞いて、僕は会見に同伴する事にしたのだ。勿論、一級賢者という事は隠して、だけど。
「セルシウス君、君の下にはもう一人弟君がいたのではなかったかな?」 第一王子が穏やかな笑みを浮かべながら、小首を傾げた。意味不明の返事だ。 第一王子がセルシウスで、そしてファーレンハイトが第三王子だというのならば、その間に第二王子がいるはずだ。それは、ジョジョスには三人の王位継承権保持者がいる、という僕の知識にも当てはまる。 それなのに――他でもない、実の弟の事だというのに――返事は、どうでしょう、という酷く曖昧なもので、ちらりとマスターに目線を向けると、彼もまた僕と同じように困惑した表情を浮かべていた。
「……幼くして亡くした……とか、そういった事情でも?」 今度はきっぱりと答えが返ってきた。 「ただ、第二王子らしき人物とは、少々性格が合わないようで。様々は理由から、馴れ合うことが出来ないともいえますが。――H.G.マーキュリー」 第一王子が続けながら、従者らしき人物を呼んだ。ジョジョスでは、ファミリーネームが先に来るから、マーキュリーというのが、従者自身の名前なのだろう。 「出過ぎた真似は重々承知で解説させていただきます」 従者は一歩踏み出して、膝を折った。その動作は流れるように優雅だ。一介の従者だというのに、しっかりと教育されているのがよく分かる。 彼はいくつなのだろう。僕は首をひねった。 若いといえば若いのだが、かもしだす雰囲気はあまりにも落ち着きすぎていて、実はマスターと同い年なんです、と言われても信じてしまうかもしれない。むしろ、マスターの方が落ち着いていないのではないだろうか。
「それでは……。――私は第二王子とは次期王位の事で争っておりまして、彼が私を敵視している以上、第二王子と行動を共にするわけにはまいりません――との事。これでよろしいですよね、殿下」 第一王子はにこりと微笑んだ。 正直、僕には理解できなかった。何故、第一王子の言った言葉が、あんな解説になるのか。そして、それが正しい解釈だったとして、従者は何故、理解できるのか。 「成る程。あまりにも曖昧な言葉回しだったので、理解が出来なかったよ。君――マーキュリー君だったっけ?君はよく分かるね」 マスターも僕と同じ思いだったらしい。僕と同じ疑問を、口に乗せて従者に尋ねた。 「マーキュリーの名付け親は長兄ですからね」 しかし、その答えを返したのは従者でも、その主でもなく、第三王子であった。 名付け親。その響きにぴんとこない僕は首を傾げる。僕がいるのは部屋の端っこで、僕の存在すら気に留めていないだろう第三王子は、それでも、僕が疑問に思ったのを知ったかのように言葉を続けた。 「名付け親ってのは、少し意味が違うかな?だけど、長兄が古き名を捨てさせてH.G.マーキュリーという名前をつけたのは事実ですから」 だから、マーキュリーは長兄のみに絶対服従なんです。 のみ、という部分を強調して、第三王子はにこりと笑った。だけど、その微笑が計算されたような笑みに感じたのは僕だけだったのだろうか。 「忠実なる部下は大切だよ。それが行きすぎか否かは別としてね。――ところで、君達が来たのには、何か別の思惑があっての事かな?――例えば、セルシウス君が王位につく為の根回し、とかね」 マスターは射抜くような視線を第一王子に向けた。 普段は穏やかで何を考えているのかわからないマスターではあるが、流石は内乱で勝利を治めた勝者というべきか、酷く鋭い一面も持つのだ。それを見せるのは滅多にないけれど。
「それを完全に否定するわけにはいきませんが」 しれっと第一王子が答える。 ……なんだか、その教えと「曖昧」ってのは違うような気がするんだけど……。 「……ジョジョスの国王は亡くなられたのかい?」 そういえば、亡き父、と第一王子は言ったっけ。しかし、予想に反して第三王子はかぶりを振った。 「長兄が言ったのは、そういう意味ではありません。『亡き父』はぴんぴんしておりますよ。ですが、年齢的には――」 第三王子は言葉を切って、にっこり笑った。それ以上、言葉を続ける気はないようだ。 「ところで、陛下、私は長兄とは別の用件で参りました。ご存知の通り、ジョジョスには学院がありません。将来、長兄のよき補佐となれるように、アーディル学院への留学を許可していただきたいのです」 話題をがらりと変えて、第一王子は真摯な瞳をマスターに向けた。とはいえ、それがどこまで本気かなんて分からない。僕が思うに、この第三王子、かなりの猫をかぶっているようなのだ。 性格がひねくれ曲がっていても、基本的に素直な人物しか回りにいない僕にとって、そういうタイプはかなり苦手だ。あまりお近づきにはなりたくない。そう僕が考えているというのに、マスターが無情にも僕の名前を呼んだ。一応、立場というものがあるからか、君付けではなかったけれど。 「何か御用でしょうか」 本当は丁寧な言葉遣いをするのは、かなり嫌なのだけど、流石にジョジョスの王子二人を前にしていつものように喋るわけにもいかない。 僕は数歩前に歩み出て、軽く膝を折った。
「君は学院を卒業していたね。専攻は魔法歴史学だったかな?」 実際には卒業しているわけではないが、一級賢者が学院の卒業生でなかったら体裁が悪いという事で、僕は一応、学院卒、という事になっているのだ。 「ファーレンハイト君に学院の事を教えてあげてくれないかな。留学するにしても、君の推薦があれば確実だろうし」 僕は一瞬固まって、仕方がないと頷いた。
だけど、学院の事なんてほとんど知らないんだけどなぁ。僕。 |