店主の読書日記/鉄仮面のひみつ2
>>鉄仮面のひみつ1

 さて、前回はどこまでお話しましたっけ。仮面の男がつけていたのは布製の仮面というところでしたね。
 なぜ、こんなことにこだわるかというと、鉄の仮面の方が重たいからです。重量ではなく意味が。鉄の仮面だったら、そりゃもー新聞連載で2年は続く重い秘密な感じがしますが、布だったら案外色々な候補が考えられそうだとは思いませんか?

 前回は日本でポピュラーになった黒岩涙香の『鉄仮面』のお話をしました。この元本はボアゴベイの『鉄仮面』です。涙香であまりに有名になったので翻訳された本も『鉄仮面』のタイトルで出ていますが、原題は『サン・マール氏の2羽のつぐみ』。
ダルタニアン  サン・マールはルイ14世時代の財務長官、ニコラ・フーケNicolas Fouquet(1615-1680)を逮捕した人です。
 この人の上司で一緒にフーケを逮捕したのがダルタニアン。
 そう、前回出てきたアレクサンドル・デュマの小説『三銃士』の主人公です。ダルタニアンというのは実在の人だったんですね! 私、今までちっとも知りませんでした。
 しかし、実在のダルタニアン(シャルル・ド・バッツ・カステルモール1611-1678)を主人公に、実在の枢機卿リシュリューCardinal Richelieuを悪役に活躍させるって、デュマさんゴーカイです。
 まあ、200年ばかし時代が離れてれば、そんなもんなのかもしれませんね。明治維新の人達だって、今は大河ドラマの登場人物ですもんね〜。日本でいうと山岡荘八や司馬遼太郎といったところなのかも。

リシュリュー  で、実在のサン・マールのことです。
 1664年、アルプスに程近いピニョルルの国事犯収容所所長に任命されました。余談ですが、この地名、資料や本ごとに、ピニョルル、ピニュルル、ピニュロル、果てはピネロロと表記が千差万別です。何を信じたらいいのかわかりません。まあ、とにかくピニョルルに転勤になったのです。(現在はイタリア。ピネローロPinerolo) 同じ年に3年の裁判を経て有罪となったフーケが収容されているので、フーケ番として抜擢されたものと思われます。
フーケ  冬の寒さの厳しいピニョルルに転勤。
 日本でいうと網走支店に転勤というようなところでしょうか。
 左遷か? と、一瞬思いますが、いえいえ、これはどうやら栄転のようです。勤務地にこそ恵まれませんが、その在任中、サン・マールはずっと高給と特別手当までもらっていたのですから。
 兵卒の週給が2リーブルのところを年給4万リーブル。この兵卒の週給を仮に5万と致しましょう。1リーブルが2.5万円。4万リーブルったら10億円です。どんなに巨額かおわかりですね?
 しかし、サン・マール氏、そんな高給をもらっときながらも使う暇がほとんどありませんでした。1681年、サン・マールは辞令を受け取ります。アルプルの山中にあるエグジルへ。
 寒さが一層厳しくなりました。腰痛持ちだったらさぞかしたまらないことでしょう。サン・マールも、上司で当時の陸軍大臣・ルーヴォワに「転勤させてーな」「休暇ちょうだいな」と手紙を送っています。
 しかし、この願い、あまり聞き入れてもらえません。
 その後、地中海の小島、サント・マルグリット島に転勤になったのは、せめてものご褒美でしょうか?

 そして1698年、サン・マールは100年後にベルばらのオスカル様が突撃する予定のバスチーユにご栄転されました。所長としてです。
 そして、このとき副所長だったデュ・ジュンカが日記に書いているのです。
「サン・マール氏の輿の中にはピニョルルにおいて同氏に託された古い囚人が乗っていた」。
 この囚人は1703年11月19日の同じ日記に
「常に黒ビロードの仮面を着用させられていた囚人が(中略)本日午後十時死亡した」
と書かれるのです。
 公的書類には「マルシリアリMarchioly、推定年齢45歳、バスチーユにおいて死去」と書かれました。
 これが鉄仮面の死亡証明書です。

 続きは、また別途。

参考資料:『鉄仮面の秘密』(マルセル・パニョル/評論社)


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