飛行隊長への申告も無事済み、部隊の中を紹介してもらううちに一日が過ぎ、週末を迎えた。しかし旭川は遊ぶ場所が限られており、職場から歩いていける範囲には飲み屋もろくに無い。また飛行隊は「個人主義者が多い」と言われ、新任者だからと言ってよってたかって飲ませるようなことも無い。さて、どうやって週末を過ごすか・・・と考えているうちに、携帯が鳴った。
屈:「はい?」
兄:「おお、婆ちゃんが死んだぞ。」
というわけで休日返上、いったん故郷に帰る事に相成った。しかし久留米(福岡)〜旭川(北海道)〜安中(群馬)とは、ずいぶん変則的な移動の仕方だが致し方ない。とりあえず当直に報告・・・。
屈:「あの〜、祖母が亡くなりまして・・・。」
当直:「君もか?いや、今日他にも通夜があって、手続きが終わったばかりなんだ。不幸というのは続くもんらしいねぇ。」
とりあえず今できる手続きは済ませ(残りは帰隊後)、さて帰るか・・・と思ったが、実家に連絡すると時間的余裕は少しあるらしい。旭川発東京行き最終便には間に合わないことだし、明日の便で帰る事にした。
祖母は既に100歳、本当に「天寿を全う」したというべきなので、むしろ祝うべきなのかも知れない(実際地元の習慣で、参列者には「紅白の包み」を配る)。こういうことを言ってはなんだが、「来るべきものが来た」という感覚のほうが強い。やはり我ながら情が薄いのかな・・・?
思い起こすのは昨年のこと。既に孫の顔もわからなくなっていた祖母ではあったが、その祖母が楽しみとしていたのが唱歌を歌うことだった。齢100になんなんとする(当時)老女が、子供の頃に覚えた唱歌を楽しげに歌っている姿に、なんともいえない複雑な思いがあった。今ごろはかつての同級生たちと、天国で楽しく過ごしているのだろうか。