今度こそ「海外」旅行記(笑)
沖縄戦史の旅
其の二:戦跡散策編
-
- 2月某日
- 今日は「戦史研修」の本番。米軍上陸地点までは行かないが、そこが見える丘から始まる・・・と言いたいのだが、天気が悪くて全く見えない。風も強いし、はっきり言ってめちゃくちゃ寒い。何で南国沖縄がこんなに寒いんだか。それはそうと、この地点は八原参謀の計画により戦闘らしい戦闘も行わずに放棄された場所でもあり、あまり長居しても仕方ない。第9師団を引き抜かれなければ、主戦闘陣地だったのかもしれないが・・・。
- その後研修したのが本日のメイン、嘉数高地。兵力で数倍、火力数十倍の米軍に対し、2週間ほど互角以上に戦った地点であり(しかもここの守備隊は、敗走ではなく「命令により撤退」している)、対戦車戦闘の模範的事例が起きた場所とされている。もっとも街並みがすっかり変わっており、当時の面影は全く無い(残っているようなら、それはそれで問題だが)。とりあえず参考になるのは嘉数谷の存在と、敵方を監視するトーチカ跡くらいか。その「敵方」に今見えるのは米軍普天間基地・・・(汗)。しかもそこで「タッチ&ゴー」訓練している米軍機のうるさいこと。これでは基地周辺の住民が頭に来るのも仕方ない。あの広い飛行場を、「米軍普天間基地あと」と呼べるようになるのはいつの日か。
- その後前田・仲間高地、
首里城公園首里複郭陣地跡を研修・・・とはいえ、首里ではもう完全に観光客化しているなあ。もっとも人口の多い首里では戦跡らしい戦跡なんか、みんな再開発されているのだが。というわけでここから先はほぼ完全に観光旅行民生協力。お土産購入物品は「紅芋ちんすこう」に「さーたーあんだーぎー」だな。
- 夜は同期が「アメリカ屋」で軍装品を数万円分買い込むのに付き合う。しかし戦跡を訪ねた後、米軍の物品を買い込むのには少し抵抗を感じるな・・・。まあこれも民生協力の一環と思うことにしよう。自分では買わないが。
- 2月某日 米軍基地研修
- いま話題の普天間基地で研修。「一応同盟軍である、米軍の装備その他を理解する」目的なのだが、普天間にいるのは海兵隊の航空部隊のみ。こんなところ見てどうするんだよ・・・。向こうの説明要員もやる気全く無しで、米軍基地が沖縄に必要無い事を肌で感じる研修でしたわ。
- 午後は海軍基地壕研修。今まで見てきた陸軍の戦跡はいずれも荒廃するに任せてあった(記念碑はまた別)が、この海軍壕はきれいに整備してあり、見学者も絶えない。太田実中将は小銃もろくにない海軍部隊を指揮しながら、最期までここで抵抗していたんだな・・・。「沖縄県民かく戦へり」で知られる最期の電文も全文掲示されている。全文通して読むと、陸上部門にいて言うのもなんだが自衛隊に対する感情が非常に良くない沖縄で海自だけ評価が高い理由も理解できる。ちなみにその息子の一人は平和運動家となり、別の一人は海上自衛隊でペルシャ湾に派遣された掃海艇部隊の指揮官だとか。平和運動家になった方のことは、教官は一言も話さなかったが。
- この日はかなり早くから外出可。しかもホテルにつく前に国際通りを通過するので、そこで下ろしてもらうこともできる。というわけでほぼ全員が国際通りで下り、それぞれの目標に向け前進開始。自分はとりあえず市場通りを散策したが、2階建ての建物に肉屋・魚屋・八百屋・乾物屋他が密集している沖縄の市場は、台湾のそれを髣髴とさせてなかなか懐かしかった(でも密造酒は売ってないんだろうな)。特に肉屋で売っているものが台湾そっくり。故郷に帰ったかと思った(ヲ)。
- この市場の2階に食堂街があり、そこで沖縄そばを試してみる。汁が少し甘口でなかなか美味い。この上に豚バラの塊(ソーキ)を乗っけると「ソーキそば」になるそうな。これは試食程度なので小鉢程度で済ませ、その後隣の店で同期といっしょに夕食を食べる・・・が、なぜ「お勘定」が通じずに「買単(マイタン:中国語で「お勘定」の意)」が通じるんだろうね・・・。
他のレポートを読む
「其の三」へ
目次へ戻る