MinMin's Diary



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3月21日

台湾の民主選挙が終わりました。
戦後、ずっと台湾に存在した国民党政権が終わり、一党独裁というイメージを払拭しました。
民主台湾を世界中に堂々と示したのです。

民主主義。
それはなんと貴く、なんと手にすることが難しく、そしてたやすく失えるものなのでしょう。
民主主義。
それを渇望し、生命を落とし、多くの流血を呼び起こすものなのでしょう。
民主主義。
それは人民に自由を与えると同時に責任を負わせる一人一人の自覚を大事にするものでありましょう。
民主主義。
それはともすると愚民によって崩壊に導かれ、暗黒と混乱を招くものでもありましょう。
民主主義。
それは愚民を扇動し、自分の私利私欲に利用し、独裁へと導き易いものでもありましょう。
民主主義。
それは人民が判断し、決断し、その責任を全ての人民が負うものでありましょう。

民主選挙は終わっても、まだ民主のなんたるかが解らずにいる人達がたくさんいます。
そして、それを煽っている人達がいます。
民主の灯を消してはいけないのです。
民主を理解しない人が多ければ、それは国の混乱を招きます。
独裁者の登場をたやすくさせます。
独裁者と民主主義は相反するものです。
独裁者によって民主の灯はかくもたやすく踏み潰され、多くの人が考えることをやめ、判断することをやめるようになります。
独裁者は民を制御しやすいように教育し、判断する能力を奪います。

そういう時代を二度と迎えたくないのならば、台湾の人達は「民主」がいかに貴いものなのかを深く考え、この結果を冷静に受け止めてほしいと思います。
言葉巧みな誘導に乗ってはいけないと思います。
選挙結果に不満を抱き、暴力行為を行うのは民主ということが解っていないことです。
東チモールの選挙と同じレベルになります。
民主のために多くの青年が生命を落とした過去をもう一度振り返り、造反によって民主がつぶされるきっかけを作ってはいけないと肝に銘じてほしいと祈ります。
目先のことだけにとらわれず、何が国にとって大事なのか、よく考えて行動してほしいと切に願います。



3月28日

民族問題にしたり、宗教問題にしたりして国内の対立に説明をつけるのは容易いと思う。
今回の台湾選挙前後の政治問題にしても、日本の評論家はやたら「省籍問題」を持ち出した。
それに違和感を私は感じる。
有名な国際ニュース解説者である田中宇氏ですら、その誤りに陥った感がある。
驚きの多言語社会・台湾
台湾の客家に学ぶ
という記事を読んだ時にもそれなりに「?」という違和感を覚えた。
しかし、今回の総統選挙に関する記事では「!」という違和感になった。
台湾選挙、興奮の背景
   
せっかく台湾にまで足を運んだのに、やはりこの「省籍」という難物にしてやられたような内容だった。

私自身は台湾に来たばかりの頃、外省人のおじちゃん達に可愛がってもらっていた経緯がある。
アパートの管理人のおじちゃん達は兵隊として中国大陸から国民党と共に渡ってきた人達だ。
どんな時にも思いやりと優しさを忘れないおじちゃん達だった。
私の下手な北京語を「上手だ、上手だ」と誉めてくれ、一生懸命に耳を傾けてくれた。
何を言いたいのか、学校の先生でもないのに懸命に聞いてくれた。
優しい、本当に優しいおじちゃん達だった。
この優しい人達が家族に会うこともままならず、老いをこの地で迎えるのかと思うと、彼らが幸せに生きたと最期に思える人生であってほしいと願う。

その一方で私は日本語を話せる本省人のおじちゃん、おばちゃんにも出会った。
やはり優しい人達だった。
美味しい料理を作ってくれたおばちゃんや、足りないものがないかと聞くおじちゃん。
日本と自分の係わり合いを語ってくれたおじちゃん。
その言葉をもっとつきつめると、常に「自分」になれなかった者がより所を探している風情すらあった。
元日本兵のおじちゃん達が言った「誰が私達を日本人でも中国人でもない老人にしてしまったのか」という言葉を思う。
彼らは決して無批判に日本を愛して好きな訳ではないのだ。
寄る辺ない者が今の日本がそうではないことをうすうす感じながら、自分達の住む社会への違和感からの回避策として「日本」を口にするだけだ。

省籍とは何なのだろう。
たまたま生まれ育った経緯が違ったにしても、私がであった外省人のおじちゃん達も本省人のおじちゃん、おばちゃんも普通の市井の人だった。
外省人のおじちゃん達は確かに年金をもらっているが、だからといって街中で権勢を振るっているわけでもない。
ひっそりと小さくなってマグカップ片手にアパートの管理をしていた。
背中を丸めて老眼鏡をかけて新聞を読んでいたおじちゃん。
野良犬を拾って番犬代わりにしていたおじちゃん。
何も権力もなく、さしたる財産もなく、家族もないおじちゃん達だった。
本省人のおじちゃん、おばちゃんにしても同じだ。
「孫が北京語しか喋らないんですよ」と怒るおばちゃん。
それだっておばちゃんには「自分の娘夫婦の教育が悪い」ということが解っていて、何もかも「外省人」のせいにはしなかった。
確かに国民党は北京語を公用語に定め、徹底して「国語(公用語)」教育を推進した。
しかし、家庭内で使ってさえいれば、孫が祖父母の言葉を理解できないなどという事態は発生しない。
そのことを本省人のおじちゃん、おばちゃんは解っていた。
何でも外省人のせいにすることの愚かさも、同じ時代に庶民として歴史の流れに巻き込まれた本省人のおじちゃん、おばちゃんには解っていた。

私は「本省人だから」「台湾人だから」という立場を利用して立ち回るずるい台湾人に何度も出会った。
そういう人は旧独立派などに対しては台湾語を使い、「自分達は同胞だ」という血を利用したつながりを持とうとする。
その裏で相手を欺いている。
また、大中華思想を持ち、私に向かって「お前の子供は母親が日本人になるけど、まぁ、父親が中国人だから中国人という風には見てもらえるな」なんて言う民族差別主義の台湾人男性がいた。
彼は自分が「中華」の末裔であるのが誇りで、同胞である台湾人を見下し、そのくせ外省人の身寄りのないようなおじちゃん達までをもいじめる。
どう見ても弱い者いじめでしかない人間だった。
そういう人間でも商売相手には台湾語を使ったり、立場が悪くなると「自分達は同じ台湾人じゃないか」という逃げ口上を持ち出す。
こういった環境にあると、省籍問題の愚かしさや、既に外省、本省を対立して考える時代ではなく、それはあくまでも参考に留めるべきものであるということを痛感するのだ。

しかし、それを理解していない人が台湾問題を扱うと違う結論へと導かれていく。

田中宇氏が配信している田中宇の国際ニュース解説の[ 田中宇:興奮高まる台湾選挙](3月18日配信)から問題点を抜粋してみる。
(文中の青色文字はMinMinによる)
 

>  台湾では1949年以来、国民党の独裁政権が続いてきた。国民党は政府の全利
> 権だけでなく、系列企業や公共企業を通じて、経済の大半を支配している。こ
> の統制力は台湾の経済成長の一因となったが、同時に「国民党を支持しなけれ
> ば満足に暮らせない」という状況を作った。
>
>  ところが国民党は「外省人」の党であった。「外省人」は1949年以降、国民
> 党とともに中国全土からやってきた人々で、台湾の人口の1割前後を占めるに
> すぎない少数派である。国民党より前からいた「本省人」(最近では「台湾人」
> と自称している)は、圧倒的な多数派であるにもかかわらず、政府の要職にも
> つけず、反抗すれば投獄された。
>
>  10年ほど前からの民主化によって、台湾人の意識を代表する民進党の力が増
> し、多数決の原理で行くと、民進党が政権をとってもおかしくない状況になっ
> てきた。同時期に国民党も「民主化しないと国際的に生き残れない」と考えた
> 蒋経国(蒋介石の息子で2代目総統)の考えで、党の中枢部が李登輝を中心と
> する台湾人に変わった。

この部分を見て感じるのは「国民党が常に外省人の党」であるような誤解を招く記述である。
確かに当初、国民党は「中国国民党」の正式名称が示すように「外省人」がもたらした政党であった。
しかし、台湾に持ち込まれた時から、この国民党と「寝た」本省人達も多くいるのである。
それはどこの国でも起こりうる生活の知恵だろう。
ある元日本兵のおじちゃんが言った。
「228の時に陳儀の官邸に行くのを先導してくれたのは本省人の男だった。そいつが門に入った瞬間、バルコニーから兵隊が銃を構えて出てきたんだよ。そいつが騙されたのか、それとも騙したのかは今となっては解らない。」
その本省人の男性は台湾でも資産を持つ企業を設立し、228事件の発生地の傍に彼の会社は今でもある。

民主化の動きは10年ほど前からではないだろう。それ以前から民主化の動きは存在している。
しかし、10年前の民主進歩党では党内の政策においてまとまりがついておらず、国民党政権と互角に戦うには力不足であった。
また、民進党を「台湾人の意識を代表する政党」と位置付けるのにも問題がある。
台湾人の中には民進党が自分の意識を代表しているとは思っていない人達が多勢いる。
国民党が議席を確保した時に「私たちの政党が勝った!」と喜んだ台湾人も多勢いる。
そこに「多数決の原理」という言葉で「血統」によって分けて考えるのは台湾の歴史を見るうえでいささか乱暴な結論のように思える。

>  台湾独立支持の傾向が強い李登輝は、台中統一を求める外相(ママ)人の幹部とは、
> 集会でも同席せず、李登輝が台湾語で台湾人の意識についてまくしたて、帰っ
> た後、外省人(台北市長や元監察官など)が相次いで登壇し、下手な台湾語で
> つっかえながら、あるいは台湾語ができないことを詫びながら北京語で、統一
> の必要性を力説する、というちぐはぐさだった。

仮にも一国の総統である人を「台湾独立支持の傾向が強い」と断定しても良いものだろうか。
李登輝総統は一貫して現実路線を歩き、現実を見極めよという姿勢を貫いてきただけであり、「独立」ということを堂々と支持している訳ではない。
ここにも「李登輝は本省人だから」という「省籍」による偏見があるのではないだろうか。

>  これは、中国大陸の南部と北部の気質の違いに由来する部分もあるかもしれ
> ない。「おしゃれ」は上海など北部の気質、任侠的な「義理人情」は南部の気
> 質と思われるからだ。(台湾人の歴史的故郷は南部の福建省)

果たして上海は北部なのだろうか?
北部というと米より小麦粉を食べている人達の住む辺りを思い出すのだが。
少なくとも長江よりは南にある。

>  人口比では台湾人が外省人を圧倒しているため、陳水扁を擁立する民進党は、
> 台湾人の庶民パワーやアイデンティティを強調することで、より多くの台湾人
> を取り込もうとしてきた。半面、宋楚瑜や連戦の陣営は、外省人・台湾人とい
> う区分をなるべく言わないようにしていた。

陳水扁は「台湾人」という言葉の中に「台湾に住み、中華民国籍を持ついかなる出自の人」という意味合いを込めていたように感じられる。
ここで既に田中氏は「本省人」の中の「福建語系住民」のみを「台湾人」と呼んでしまう中立の立場からずれてしまう過ちを犯している。
確かに台湾ではそのように呼ぶのが一般的だが、省籍を問題にする場合、それは適切な呼称ではない。
宋楚瑜は省長時代に地方の人達とつながりを持ち、省籍問題は既にクリアしているので、敢えて問題にする必要はなかった。
また、連戦は国民党ではあっても本省人が勢力を持つ国民党の本省人候補であるだけに、その問題を取り上げる必要もなかったであろう。

>  この台北市長選で、国民党の最高権力者だった李登輝総統(党主席)は、馬
> 英九を支援した。国民党は党を挙げて馬を支持したのだから、李登輝が馬英九
> を支援するのは当然ともいえるが、「本省人」である李が「外省人」の馬を支
> 持することに意外さを感じる市民も多かった。
>
>  李登輝が1988年に党主席になって以来、国民党は本省人を中枢に据えようと
> する李登輝と、中枢から外されて反発する外省人との戦いが続いてきた。
>
>  本省人は1945年以前に台湾に住んでいた人々で、そこに内戦に敗れた国民党
> 勢力がやってきて外省人となり、反対派の本省人を弾圧しながら独裁政治を続
> けていたが、1970年代後半に当時の最高権力者だった蒋経国が民主化の方向性
> を打ち出し、李登輝を初の本省人総統として自分の後継者に据えた。
>
>  李登輝は子飼いの本省人たちを国民党の要職に就け、外省人を中枢から外し
> ていった。その上で李登輝は「これからは本省人も外省人も区別なく、新台湾
> 人として和合しよう」という方針を打ち出し、その象徴として、外省人の馬英
> 九を台北市長選で推した。
>
>  だが、外された外省人たちは和合の呼びかけを欺瞞だと批判し、国民党を飛
> び出して「新党」を結成、馬英九を「台北市長の座がほしいばかりに、李登輝
> に擦り寄った裏切り者」などと呼んでいた。

これは歴史的事実を間違えている。
新党結成はこの時期ではない。
UFO−FMの趙少康が市長選に出た時で陳水扁が市長当選した以前のこと。
台湾の政党結成に関する基本的な認識ができていない。
陳水扁が当選した際に新党が擁立した趙少康は国民党候補で現職の黄大洲よりも高得票で健闘した。
確かに前回では新党に入った外省票が馬英九に流れ、国民党の勝利に終わったが、この問題も「省籍」よりも陳市長による「掃黄掃黒」政策によって商売があがったりになった人達(当然多数の本省人を含む)が「儲けるためにやってきた台北」で儲けさせてもらえるように判断した結果という見方が存在する。

>  李登輝は宋の人気取り行動を嫌ったが、宋は国民党を追い出されても総統選
> 挙に立候補し、連戦を抜いて次点となる力を見せた。もし宋楚瑜が総統選に勝
> っていたら、彼は国民党に招かれて戻り、李登輝が進めた国民党の「台湾化」
> (本省人化)を逆行させ、外省人による支配を取り戻していただろう。台湾の
> 人口の2割に満たない外省人が与党の権力を握ることは、民主化に逆行するこ
> とになりかねなかった。

ここで「外省人による支配」という言葉は不適切。
むしろ蒋介石以来の総統独裁主義復活という言葉を使うべきではないか。
宋楚瑜が擁立した副総統候補を見ても、それが傀儡の使い物にならない人材であることが一目瞭然であり、それはかつての本省人懐柔策の副総統に類似している。
宋楚瑜が当選したとしていても、李登輝が彼を党に戻すのを認めたかどうかも疑問である。
また、「台湾化」=「本省人化」と見る発想も正しいものではない。
台湾化が進められても、それは台湾に根付くという精神に基づくものであり、国語を台湾語に変えるといったような卑賤な発想ではない。
住む土地を愛そうというものであり、台湾化=本省人化という多勢に無勢を増長させる動きとは違う。
また、人口の2割に満たない外省人が支配をするのが民主化への逆行であるとするならば、それ以下の人口の先住民族出身からの総統の出現は大いなる民主化への逆行になるのであろうか。
人物を見ず、政策を見ずに、出自だけで判断することの危うさを感じる。

>  だが、台湾のマスコミ、特に地上波テレビ局の多くは、外省人が経営権を握
> る国民党系の組織であり、反李登輝の動きをことさら大きく報じた。そしてこ
> の抗議行動を背景として、国民党内では李登輝を辞任させようとする外省人勢
> 力と、防戦する本省人勢力(李登輝派)との闘争が激しくなった。李登輝は
> 24日に党主席を辞職し、副主席の連戦が主席代行になることが予定されている。

台湾のマスコミは「外省人」が握っているのではなく、かつて新聞局長だった宋楚瑜と密接な関係にあると表現するのが正しい。

>  なお、今回の取材では、台北・Eメディアの川上東さん(「謝小姐の台湾日記」
> http://www.hoops.ne.jp/~taiwan/ )、ケーブルテレビTVBS
> ( http://www.tvbs.com.tw )の記者である小林伊織さん、輔仁大学翻訳学研究
> 所の安西真理子さんらにお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げ
> ます。

とあるのだが、この人達はメディアに関わる仕事をしながら、「省籍問題」で何もかもを片付けてしまっているのだろうか。
だとしたら台湾で何を見ているのかと問いたい。

>  外省人勢力が、李登輝に代わる総統に担ぎ出そうとしている人物の中心は、
> 宋楚瑜と馬英九である。国民党は総統選に敗れたとはいえ、国会(立法院)の
> 議席の過半数をおさえている。また、独裁時代に貯め込んだ総額2兆円といわ
> れる資産を持ち、政治資金も潤沢だ。

国民党の資産は李登輝側の「国民党」に残っている。これは例の暴動の直後に「国民党の資産を狙う者からこれらを守るために自分は党主席の職を下りない」と李登輝総統が明言したことより明らか。
実質上の外省人勢力と呼ばれるものは新党と宋楚瑜周辺の勢力として国民党外に流れていっているので、この国民党政治資金を彼らが使うのは難しい。

結論:
さしもの田中宇氏にも台湾問題はよく見えないようである。
何事にしても「省籍問題」に摩り替えれば外部の人間には解り易い。
しかし、容易に省籍を持ち出して論ずることの危険性を田中氏も彼のコーディネーターだった人達も認識していないように思える。
非常に浅薄な結論に行き着いただけで目新しいものは何も感じない。
わざわざ台湾に来てまで田中氏が調べた内容とは思えないもので若干の失望を感じる一方、台湾は外部のジャーナリストには非常に解りづらい土地だという思いを新たにした。
 



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minmin@geocities.co.jp