MinMin's Diary



Today's Diary
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5月1日

メーデーでございます。
立て、万国の労働者〜♪(なんか懐かしくも古い響きだ...(^^;)

周辺では素敵なサプライズが次々と起こっていまして。
私自身はどぉってことないんですけど、なんか我を取り囲む「気」が「いいカンジ」なんですよ。
良い方向に流れているっていうのかなぁ。

知りたいって思ったことに向って「気」が流れてきているような感じも受けるんですね。
頭の中で漠然と考えていたことへ近づくための言葉や表現が、ぽんぽんと入ってくるんです。
故郷の山川とか赤い山とか。(意味不明)
何かずっと昔から手探りで探してきたものが、暗闇の中でぐっと伸ばした手の先に微かに触れたとでもいうような。
その感触からでは全体像は捉えられないけれど、でも「それ」に微かに触れられたという満足感。
「それ」は私がつかむのを待っていてくれているんだという確信。
命題っていうのか、自分が何を求めているのか、なんとなく、なんとなく、薄らぼんやりとですが方向性がつかめてきたような,,,。
そんな感覚を持つようになって、なんだか先行きが楽しみな今日この頃なのです。



5月5日

我が初恋の君がお亡くなりになってしまった...。
享年31歳。
なんということ...。
一度もじかにお会いすることなく逝ってしまわれた...。(;_;)
うう、さらば、ハイセイコー。

どういうわけなんだろう。
17歳の少年による犯罪がよりにもよって続けて起こった。
そんな時、遠い昔、大学時代に友人が行った実験を思い出した。
映像を見て、それに対する感想を書くというアンケートの被験者になった。
絶え間なく流される暴力シーン。
暴力、レイプ、殺人...。
しかも暴力に長けた者が英雄という構図。
自分の行く手を阻む者は殺すという構図。
見ていて何度も吐きそうになった。
感想をアンケート用紙に書くと、実験を行った友人はこう言った。
「今、ここで皆さんが御覧になった映像は、無制限に子供達の目の中に飛び込んでいっているものです。赤ん坊であってもテレビの前に居れば、この映像を無批判に受け入れることになります。それが彼らにどのような影響を与えるのか。それは十年後ぐらいに答えが出るでしょう」。
その十年後に神戸の酒鬼薔薇事件が起こった。
世の中は14歳の少年による犯行だということに驚いていたが、私はその時に、友人が発表したことを思い出していた。
いよいよ、その時代がやってきた...。
その後、この手の身勝手な犯罪は後を絶たない。
理由が解らない不可解な犯行が多いという。
でも、本当に理由が解らないのだろうか。
案外と答えは簡単なところに隠れているかもしれない。
常に自分がヒーローでいられるテレビゲームの世界から、彼らは戻りきることができていないのかもしれない。
あるいは、幼稚園児が「自分がこの世で一番えらい」と思っている傲慢さ、身勝手さ、無知さ、我が侭ぶりが、20代を前にしても抜けきれていないのかもしれない。
しかし、現実ではそうなれないことにうすうす気付いているから、何らかの形で自分を優位に立たせたいと思うのではないか。
日本の電車で閉まるドアの邪魔をする少年に二度ほど会った。
一度目は中学生。
車内放送がかかってもやめなかった。
二度目は18歳前後の少年。
身体を大の字にしてドアを停めてしまう。
電車は発車できずにいる。
車掌からは見えないようにしているので、注意は起こらない。
私のすぐ傍でそれを見ていたおじさんが笑っていた。
何がおかしいんだろうと思った。
この少年はあんたも含めた私達全ての乗客を自分のコントロールの下に置いていると思っているんだよって言いたかった。
下手したら、あんたはこの少年に殺されるかもしれないよって。
その時に漠然と感じたこの思いが、今回のバスジャックではっきりと実体化した。
バスジャック犯の少年は動機は話せないと言っているらしい。
でも、本当にたいした動機はないと思う。
彼は単に「絶対的支配者」になりたかっただけなのだ。
人々が自分を見て恐怖に顔を引きつらせる姿を楽しみたかっただけなのだ。
自分が他の人を配下に置いているという快感を味わいたかっただけなのだ。
それが証拠に彼は人質に女子供を選んだ。
普通の乗っ取りではまず一番最初に解放する対象だ。
おまけに、その中で一番幼い少女に刃物を突きつけていたというではないか。
「弱い者」にしか強気でいられない卑怯者の根性が丸見えである。
社会に復讐したいだの、なんだのとかっこいいことを言ったりするかもしれないが、要はテレビゲームのヒーローのように人々に恐れ崇め奉られる絶対的な支配者になりたかっただけなのだ。
その支障になりかねない男達は解放し、力の上でも自分より弱い女性や子供を車に残し、彼女達の生命を弄び、自分が絶対的支配者であることの快感を一瞬であっても楽しんでいたのだろう。
殺された女性は小学校の教諭だったと聞いている。
退職後、幼児教育に情熱を傾けようとしていた矢先だったと聞く。
おそらく、現状に向って立ち向かっていこうとして、まずは幼児教育が大事と思っていらしたことだろう。
必死で少年の暴挙に立ち向かった末の悲劇だったのではないだろうか。
悔しいし、悲しい。
もう一方の少年は「殺人がしたかった」という理由だけで見ず知らずの女性を殺したという。
しかも「若い人は前途があるから、老人を選んだ」と言っているのだから恐ろしい。
「お金ならあります」と必死に哀願したであろう被害者の女性のことを思うと悔しくて悔しくてなんともいえない気持になる。
お金を出したって無駄だったのだ。
彼が欲しかったのは生命だったのだから...。
見ず知らずの人の生命を奪うということが、起こってしまった今、昔の常識はもう通用しないだろう。

ずっと前に同級生がオーディオヴィジュアルルームで話した言葉がもう一度聞こえてきた。
「それは十年後ぐらいに答えが出るでしょう」...。
本当に、最も避けたかった形で答えが出てきてしまっているよ...。
あの手の暴力アニメ、暴力テレビゲームに日常接してきた子供達がどういう大人になっていくのか。
彼らの精神面に残されている、これらの暴力映像の影響は、私達が想像する以上のものかもしれない。
 



5月8日

あああああ。
もう、本当にぃ...。
例のバスジャック犯。
動機が社会に不満だぁ〜〜〜???
社会にアピールしたいだぁ〜〜〜???
ふざけんな!

大学時代の社会学の授業を思い出した。
personalityの語源であるpersonaとは仮面を指す。
本来はheやsheの複数形であったtheyが、仮面(persona)をつけた他者達であると認識した時にはitの複数形になる。
そこに、同じ人間としてのsympathyは存在しえず、相手の痛みや感情を考慮に入れなくなる。
そんな内容だった。
社会にアピールしたいだの、社会に不満だのと言っている割には、社会に参加してないじゃないのさ。
殺傷した相手への反省が欠けているとこからも、彼が被害者達を「it」の複数形であると見ているのが解る。
でも、他者を「it」としか捉えられない人間に、社会うんぬんを批判する権利はないと思う。

あと、また頭がぶらぶらする事件発生。
どうして日本人って形から入りたがるのさ!!!
前にも話題に出した田中宇さんの国際事情評論で「中華民国の崩壊」なんてタイトルのもんが配信されたのだ。

>  このように台湾では、いずれ全中国を再び支配したいという国民党の戦略が、
> 社会や国家の基本的な部分に、抜きがたく存在している。たとえば中華民国の
> 国旗は、赤い布の上に国民党の紋章(青地に白い太陽)を貼りつけたかたちに
> なっており、国民党が一党独裁で政治を行うことが、国旗の前提となっている。
>
そうとは聞いていないなぁ...。
赤い布は「血気」だったっけ?
そして青い空に白い太陽ってのは紺碧の空に輝く太陽ってことで人民の希望?
そういう理念があって作った旗じゃなかったかなぁ。
確か中正紀念堂でそう聞いたような気がする。
ここに住んで長いけど、国民党が一党独裁するための旗だなんて聞いてないなぁ。
出所を書いてほしい。

>  ところが今や、この前提は崩れてしまった。3月の総統選挙で国民党が敗れ、
> 5月20日からは民進党の陳水扁が総統となる。国民党は、中国全土を再び支
> 配するどころか、台湾の野党になってしまった。もはや、野党になる国民党の
> 紋章を、そのまま台湾の国旗として使い続けるのはおかしなことになる。
>
陳水扁次期大統領は旗は勝手に変えないって言っていた。
どぉ〜〜〜して日本人って形に拘るんだろう。
国名がなんであれ、国旗がなんであれ、国歌がなんであれ、大事なのは中身じゃないのかな。
「君が代」歌わないだの、日の丸引き裂いて焼いちまうだのっていうヒステリーな形でしか主張できない幼稚な日本人には、こういう台湾の「超現実路線」は理解できないのかなぁ。
「君が代」「日の丸」ばかりに責めを負わせ、自分達が何かしてみるのかといえば、そうでもない。
そんなに文句言うなら代替品でも出してみぃ!って思う。
天皇制を批判したりするなら、「天皇制廃止案」でも出して裁判にかけてみぃ。
日本人のアクションって、必ず既存のものを叩くっていう幼稚園児でも出きるものだ。
既存のものを叩くよりも、そこに存在しないものを打ち出して作り上げる努力をしてみろって思う。
陳水扁次期総統がしようとしているのは、まさに「そこに存在しないもの」を育て上げようとしているに他ならないと考えている。
「本物の民主」。
人民が自分達の頭で考え、その考え出した結果に対して一人一人が責任と義務を負うという社会。
今の台湾みたいに形だけ「民主、民主」「言論の自由」ってインコやらオウムみたいに繰り返し唱え、やっていることは自分勝手で無責任な行動ばかりというのは、今後は許されなくなるだろう。
民主主義って言えば何でも自分の思い通りにさせることができるっていう、例のバス乗っ取り犯みたいな幼稚な発想しか持てない人は台湾にもまだたくさんいる。
まぁ、日本人の場合は民主なんてもんは、とうの昔に放棄しているようだが、台湾はまだ放棄していないだけ希望がある。
そして、真の民主化を推進するのに「国名改変」も「国旗改変」も「国歌改変」も要らない。
それなのに、どぉ〜〜〜〜〜〜っして、「君が代」「日の丸」アレルギーの日本人はその理屈を海外にも持ち込もうとするんだろう?
さらに、大きな間違いがひとつ。
国民党が野党になっても、中華民国は存続している。
民進党は中華民国の認めた野党だった。
彼らイコール台湾共和国の代表ではない。
北アイルランドとは訳が違う。
今回行われたのも、中華民国の中の与党と野党の交代劇だ。
日本で社会党が与党になった時に誰が「日の丸の見直しを」なんて言ったか?
他人の国の国旗国歌国名に口突っ込むヒマがあるんなら、自分の国の国旗国歌問題に決着つけろって。
私自身はあの歌やあの旗のために日本が帝国主義になった訳でないと思う。
あの歌と旗のもとにどれだけの人が殺されたかとか言う人もいるけど、他国の国旗のもとに人は一人も死んでないのだろうか?
現代の世界の国家には、血を吸ってない国旗も国歌もおそらく存在しないと思う。
ま、大多数がどうしても国旗と国歌を変えたいっていうならば、変えればいい。
台湾の総統選よろしく、全民選挙にでもかけたらいいではないか。
でも、台湾ではそういう話題は最近の話題の中ではごくマイナーなものじゃないかな。
形から入るより、現実の改革を望んでいる賢明な人が台湾には多いということだ。

>  台湾の人々の過半数が現状の中国と併合されることを望んでいないことは、
> 選挙や世論調査で明らかになっている。そのため今後、台湾の国旗や国名を変
> えるとしたら、それは「中華」より「台湾」を強く意識したものとなるだろう。
> たとえば与党になる民進党の旗は、真ん中にサツマイモのような形をした台湾
> 本島をあしらい、地の色は「自然が美しい島・台湾」を象徴する緑色である。
>
「今後、台湾の国旗や国名を変えるとしたら、それは「中華」より「台湾を強く意識したものとなるだろう」って...誰が決めた、誰が?
こういう問題は、その時になってみなければ解らない。
それなら「日の丸は天皇だ!」って日本で怒鳴っている人達は早急に「天皇」より「日本」を強く意識した国旗を考えればいい。
真中にコギャルの顔でも書いて、国歌はモーニング娘の「LOVEマシーン」にでもするとか。
この歌には「ニッポンの未来はウォ〜ウォ〜ウォ〜ウォ〜」ってな歌詞もあるし。(^^;
老若男女で踊り狂って一億総白痴化(お、「はくち」って白痴にならないんだった...誰が年号の白雉なんて出せと言った!ワードでも言葉狩りが始まっているんだなぁ...ぼそぼそ)。

>  このような「台湾独立」を象徴するような変更は、大陸の共産党政権の強硬
> な姿勢を考えると、危険なことだ。間もなく総統に就任する陳水扁は、中国を
> 刺激するなというアメリカ政府の要請を受け、当面は国旗や国名を変えない方
> 針を打ち出している。
>
別にアメリカ政府の要請を受けなくても、変えなかったと思うけどな。
そこまで海外の顔色を気にしているとは思えない。
陳水扁次期総統にとって、大事なのは中華民国の行政が及んでいる範囲での民主化の推進であろう。
当面は変えないというよりも、変える変えないは人民の頭の民主化が一定のレベルに到達した時に、人民諸君に考えてもらえばいいといったところではないだろうか。
中国大陸の顔色云々よりも、行政範囲内の安定及び民主の成熟が彼にとっては問題だったのではないだろうか。
言うこと聞いていい子だ、いい子だって単純に喜んでいるアメリカもアメリカかもしれないけど。

> ▼李登輝の「イタチの最後っ屁」発言
>
>  一方「中国国民党」の党名の変更については4月下旬、李登輝総統が「国民
> 党という党名は外来政権を表す名前だし、腐敗した組織というイメージを持た
> れているので、もう変えた方が良い」という趣旨の発言した。これは総統の任
> 期切れが一ヶ月後に迫った李登輝の「イタチの最後っ屁」的な爆弾発言であり、
> 党内で激しい議論になった。
>
これって出所どこぉ〜〜〜?
台湾でも知らないような話ですけど...。

> この一件を報じた中国語の記事(香港の星島日報、中国語Big5フォント)
> http://www.singtao.com/news/28/0428eo03.html
>
なんだ、香港か。
李登輝総統の話す北京語が解らなかったんじゃないの?(^^;

>  それにしても、李登輝という政治家の行為には、鬼気迫るものがある。権力
> の頂点に登りつめながら、国民党の圧政が復活しないよう、中国による武力支
> 配にも向かわぬよう、民主化を逆戻りできないようにするために、自らが政治
> 的に「自爆」することで、国民党政権を潰してしまったのである。
>
彼が国民党を叩き潰したのかどうかは歴史が決めることで、今の段階では他の者が判断するべき問題ではないだろう。
李登輝総統世代が若い頃に、国民党に入党した本省人が言ったのは「どんな政党であっても民主を謳っているのだから、ここで民主を推進しよう」という言葉だったという。
李登輝総統は、あるいは本来は三民主義というものを掲げている中国初の民主政党のてこ入れをしただけに過ぎないのかもしれない。
それは、今のところ、彼本人と神のみぞ知る。
ただ、民主化を逆戻りできないようにしたという点は既にそう評価されて然るべき状況にあると思う。

>  その心理は、中国の個人主義的な政治伝統の中にいる外省人政治家や大陸の
> 共産党には、理解しにくいものだろう。せっかく権力を手にしたのに、台湾の
> 人々のためとはいえ、どうしてそれを自ら壊すことができるのか。これはまさ
> に、戦争中の日本にあった「特攻隊」の自爆攻撃の精神だ、やっぱり李登輝は
> 半分日本人だったんだ、と「中国人」たち(外省人と共産党)は思っています
> よ・・・。と、台北のある知日派が選挙の直後、感慨を込めて語っていたこと
> を思い出した。
>
これを日本精神と呼ぶのは危険だ。
特攻隊というよりも、台湾魂だろう。
高砂義勇軍にも見られる見事なまでの自己犠牲の精神だ。
常に外来政権が存在し、地元の人間にもその外来政権と「寝る」ことで権力をほしいままにする人間がいて、そのことで苦悩していた多くの台湾知識青年の自己犠牲の精神だ。
これは何も「日本人」だからあるというものではない。
マイノリティとして存在し、マイノリティとして生きていく人達は、時に「自分達を活かす」ために「自分を殺す」こともある。
しかし、そのことをはっきりと認識するためのアイデンティティが確立できなかった日本時代育ちの世代は、これを簡単に「日本精神」という言葉に置き換える。
これは決して日本精神ではなく、台湾人が台湾人として生きていくために示した「台湾魂」であった。
それをとうの本人達が歴史の流れの中ではっきりと明示することもできず、はっきりと掴み取ることもできずに来てしまったのだろう。
台湾の老人達が「日本精神」という言葉を使う時、そういう言葉でしか自分達の「台湾魂」を表現できなかった歴史の悲哀をあらためて感じる。

日本人は知識人も文化人もパンピーも右翼も左翼も台湾マジックに弱い。
そして、そのマジックにかかり、本当の台湾を見る努力を怠ってしまう。
そして、なんだか理解したような気になってしまうのだ。

なんだか、日本では妙な台湾ブームみたいで、どうでもいいようなことまで話題になったりするんだな。
ま、台湾ネタを売るなら今が旬といったところか。



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minmin@geocities.co.jp