MinMin's Diary



 Today's Diary
Go back to  Index
Go back to  Last Week



8月2日

いよいよ8月ですね〜。
暑い日が続きます。(^^;
台湾では729事件が発生。
台湾全土を巻き込む停電でした。
いやぁ、冷蔵庫の中身を心配してしまいましたわ。
でも危機管理がきちんとしている台湾のおばちゃんは立派。
「外の小さい店で買ったり食べたりしたらいけないよ」
電気釜が使えないから飯炊けないとぼやいている私に忠告してくれました。
電気の落ちた冷蔵庫にあった材料を使っているかもしれないからだそうです。
そこでその日はカップラーメン...。

最近、子供のことを考えます。
自分の子供というわけではありません。
昨日も台北市の中心街である忠孝東路の歩道をローラースケートで滑走する兄弟に出会いました。
歩道は遊ぶところではありません。
それなのにまるで他の歩行者が避けてくれるのが当たり前といった態度で行ったり来たりします。
よく見るとヘルメットも膝当ても肘当てもつけてません。
更に、父親らしい人がいるのです。
ローラースケートができる場所がないのではありません。
忠孝東路をまっすぐ行けば国父紀念館があり、そこはローラースケートのメッカです。
どうしてTPOや公共道徳というものを親が教えないのでしょう?
これは台湾だけの問題ではありません。
日本に帰ってもこういう親には出会います。
「自主性を尊重しています」という言葉は親の怠慢である場合が多いです。
それが自主性なんだか、自己中心なんだかよく解ってません。
他人に迷惑をかける行為というものは自主性ではありません。
こういう子供、こういう親を見ると、仮に子供がいて、厳しくしつけても、こういう類の子供にいじめられたり、利用されたりした挙句、その親に話をつけに行けば「自主性」で片付けられるのかなと暗澹たる思いになります。
こういったことを話すと「あ、台湾人だからね」という言葉で逃げる日本人、台湾人がいます。
でも、これは言い訳です。
「台湾人だからね」という日本人は日本にそういった子供がいないと思っているのでしょうか。
「台湾人だからね」という台湾人は全ての台湾人がそんなだと自己卑下をしているのでしょうか。
そうではないと思います。
その場の面倒臭さから逃れるためだけでしょう。
そう言ってしまえば簡単だからです。
だけど、本当はそうではないでしょう?
私はどの文化にも優劣はないと思っています。
危ない行為はどこにいても危ない行為です。
ただ、それをきちんと認識しているかどうかです。
それを認識するしないは文化と関係ありません。
それが危ないことか否か認識できるだけの知識をつけるのは文明でしょう。
台湾の文明のレベルは決して低くありません。
それが判断できるだけのレベルには達しているはずです。
ただ「面倒くさい」だの「ちょっとぐらい手を抜いても」とか「お目こぼししてよ」といった甘えがあるかもしれません。
法律を守らないといけないというのも気に入らない人がいます。
(これは日本にもいますけどね。)
法律とは確かに面倒なものかもしれません。
でも、それによって社会が秩序立てて動き、安全が確保され、危険から回避されます。
最近、バイクとバスの接触事故が目立ちます。
メディアは一斉にバスの運転手を責めていますが果たしてそれだけでしょうか。
私はバスに乗るのですが、最近のバイクの運転にはひやひやさせられます。
確かバイクは一番外側を走行するものと決められていたはずです。
それが最近では内側の車線、真ん中の車線、外側の車線をS字運転で走行します。
確かにバイクは小回りが利きますが、周囲のドライバーにしては迷惑極まりない運転です。
数年前にバイクは外側車線を走ると決められたと聞いてます。
ところが続かない...。市長が変わったらすぐに民衆の態度も変わるのかと呆れました。
台北の馬市長もなめられたものです。
バス会社を叱責するだけでなく、交通の取り締まりをもっと強化しなければ事故は減らないでしょう。
法治国家アメリカに留学している人の数の比率では日本など足元にも及ばないのに、どうしてそういう部分をもっと持ち込めないのでしょう。
馬市長にもっと頑張ってハーバード大学法学博士ならではの手腕を見せてもらいたいです。
このままじゃ「おぼっちゃま君」だとなめられっぱなしです。
「台北第一!」をスローガンに頑張ったのだから、本当に台北を安全面でもなんでも全て一番にするぐらいの政策を打ち出してほしいです。
それにしても、安全を軽く考える人が多すぎるのはどうしてでしょうか。
カヤック指導をしているアメリカ人が言っていました。
「台湾人、特に男性は少しだけできるようになるとすぐに危ないことをしたがる。危ないことができるのが英雄だと思い込んでいる。まだレベル1なのに、いきなりレベル5の技を真似したがる。だから危険なのだ。レベルに合わせた技をしていれば危ないことは何もないのに」
慎重居士と言われようとも、安全第一。
そして、それを念頭に台北第一を実現してほしいもんである。
そうでなければ私はそこらへんの子供に「やめなさい」「危ないでしょう」を連呼し続け、うるさい鶏おばさん(鶏婆)になってしまう...。
 



8月6日

今日は広島に原爆が投下された日です。
私は24年前のこの日、ちょうど原爆が投下されてから30年目の広島にいました。
展示されているものは、ただ、ただ恐怖感を私に与えました。
消えてしまった人の影が残る御影石。
ありとあらゆる原爆のむごさを小学生だった私は暑い暑い、蝉時雨の降る広島で知りました。
その後、高校野球のシーズンになると、必ず広島代表の学校に被爆二世が何人いるという話題も目にしました。私と同世代にも被爆二世は多数います。
原爆は戦争終結を速めたという理由を言う人がいます。
果たしてそうでしょうか?
今でも、原爆を投下したアメリカのみならず、日本に占領されていた諸国では「原爆が投下されなければ日本は投降しなかった」とか、「日本人は自ら戦争を終結させることはしなかった」という思い込みが多いようです。
「日本のどこも占領されていなかったのに、どうして日本が投降するんだ」なんいう風に言っている人もいます。土地を占領されていないから投降しないというのでしょうか。
占領されていなくても遠く長野県の上空にまで米軍機は飛来していました。
日本本土はほとんど丸腰同様だったのです。
私には原爆投下は必要だったのかという疑問が常にあります。
あれだけの恐ろしい威力を持つものを一般市民の住む街に投下する必要があったのでしょうか。
戦後、進駐軍は広島と長崎にすぐに調査団を送り込んだそうです。
それで彼らは原爆の恐ろしさを知ったはずです。
それでも核実験は続けられました。
そして今でも続いています。
冷戦後も多くの国が核を持っていなければ安全ではないといった思い込みから、核を保有し、実験を続けています。
アメリカが原爆を投下したことの是非を議論しても、アメリカは「戦争終結のため」という線を譲らないでしょう。ですから、そんなことよりも「なぜ戦うのか」「なぜ戦う時に恐ろしい武器を使い、人を傷付けるのか」「戦禍で傷ついた人はどのように苦しむのか」ということをここから学び、平和の尊さ、戦争の愚かさを語り伝えていく必要があるでしょう。
世界にはまだ多くの土地が戦乱に荒れ、多くの人々が戦禍に傷ついています。
なぜ、人々は平和を強く訴えないのでしょうか。

あと6年で広島に原爆が投下されてから60年。
それでも人類はまだ傷付けあい、殺しあうことを止めていません。

どこで見たのかは忘れましたが、印象的な詩がありました。
断片的に覚えています。

広島のデルタに緑うずまけ
とわのみどりを
とわのみどりを
良き祈りよ こもれ
とわのみどりを
とわのみどりを

こんな感じだったと思います。
広島に緑が戻るには半世紀近くかかると言われていたそうです。
それが数年後に緑が芽吹き、広島に緑が蘇りました。
自然はこのようにすばらしいのに、人はどうして新しい時代を築くことができないのでしょう。

子供の時に思ったことがあります。
ある日、突然、世界中の戦車の銃口から花が咲いてしまえばいいのにって。
弾丸の代わりに美しい花の種が飛んでいく。
爆弾は花びらを撒き散らす。
魔法でそういう風に変えてしまえたらいいのにって思いました。
全ての武器が花に変わればいいのにって思いました。
そんなのは理想主義だって言われるかもしれないけれど、誰か一人がそういう風に夢見ても悪くはないと思うのです。

戦争は歴史の必然ではなく、悪である。
自分が少しでも得したい、自分が正しいという利己的な発想を少し止めてみれば、戦争は食い止められるかもしれないのに。
どうして安易に武力に頼る政治家が多いのでしょう。

子供の頃に読んだ哀しいお話があります。
国境線に配属されていた国境警備の二人の兵隊の話です。
片方の国の兵隊は老兵、片方の国の兵隊は新兵でした。
二人はいつも仲良く話をし、平和な日々が流れていきました。
ところが、突然に二人の国は戦争を始めます。
若い兵士は出征しなければいけません。
その日、別れを告げる若い兵士に老兵が言いました。
「私を殺して首を持っていきなさい」
若い兵士は驚きました。
老兵は実は、今は引退して悠々自適に国境を守る暮らしをしている元将軍だったのです。
若い兵士は驚いて首を振り、
「そんなことはできません」
と断りました。
戦は終わり、若い兵士は前線で生命を落としました。
一人、国境線に残った老兵は若い兵士が育てていた花を育て続けました。
確かこんな話でした。
どうして一人一人だと友達になれるのに、国同士が喧嘩をすると殺しあわねばならなくなるのか。
哀しくて哀しくて、若い兵士が可哀相で、老兵が可哀相で、ぼろぼろ泣きました。

戦争の残酷さを語りながら、平和の尊さを訴えることを人々は続けなければいけません。
毎年、毎年、8月になると繰り返される内容に、うんざりするのではなく、この機会に平和の尊さとありがたさを再認識し、平和とは享受するものではなく、作り上げていくものなのだと認識していかねばならないでしょう。



Go back to  Index
Go back to  Last Week

minmin@geocities.co.jp