MinMin's Diary



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7月7日

日本は七夕である。
本日も暑い!
最近、仲良くしていただいている御近所のぐたぐた犬達もさすがの暑さになかなか出てこない。
やっと一名を発見するも、ジャーキーを持ってないと知るや、見向きもしてくれない(^^;
くぅ〜...。

うちの辺りの犬達を総称して「ぐたぐた犬」と呼んでおります。
日がなぐたぐたして、時に愛想がいい。
こいつらはパト野良みたい。
パト野良とは私の造語で、役所公認のパトロン付き自由犬(つまり野良)。
首輪に電話番号が印刷してあるのを着用。
何か事が起きたら、電話番号の先に連絡するという話になっているそうな。
かつて私と運命的な出会いをした子犬のラッキーを引き取ってくれた私設シェルターを造っている女性が教えてくれました。
パト野良達は避妊や去勢も住んでいるとかで、野良として自由に生きる権利を与えてもらっているそうです。
こうしてパト野良生活をしていても、中にはちゃっかり家を見つけるやつもいます。
私の行き付けの印刷屋にはパト野良あがりの家犬達がぞろぞろいます。
黒ちゃん、ちび黒ちゃん、ぴぴちゃん、メイメイちゃん他、招き犬として活躍中。

ところで街中に犬がうろうろしている光景はそんなに変でしょうか?
むしろ、捨てられている犬の数が多いのに、人目につかない日本の方が不気味です。
一番いいのは、きちんとした公立のシェルターがあって、そこに里親探しを目的として「生きる」ために収容されるのでしょう。
台湾にもあるはあるらしいのですが、既に満員で収容できる状態ではないとか。
日本の施設はというと、ある一定期間を過ぎたら「処分」という規則になっています。
恐ろしいのは、日本の施設に収容されている犬は街中で捕獲されたものよりも、飼い主が持ち込んだものの方が多いという事実です。
ごみを捨てるにしても粗大ゴミと普通ゴミをきちんと分けて捨てる日本人らしい...といえば日本人らしいかもしれません。
不要となった犬を捨てるなら保健所へ...というところでしょうか。
私の知っている限り(横浜市の場合)、犬はまだいい方です。
猫はシェルターすらないので、登録している獣医のところに送り込まれ、一定の期間が過ぎても里親の見つからない猫は動物病院内で「処分」されます。
それが出来なくて、動物病院中を猫まみれにしている獣医さんもいらっしゃいます。
実際に、定められた「一定期間」を過ぎてから里親の見つかった猫もいました。

かつて「台湾の野良犬が可哀相」という話を持掛けられたことがあります。
確かに気の毒かもしれません。
でも、それを言ってきたのは日本在住の方でした。
その時に思ったのは「日本で目に入らないから感じないだけであって、生きる権利すら奪われて保健所に飼い主の手で送られる子達も可哀相じゃなかろうか」ということです。
その方は御自分でも捨てられた犬猫を育てていらっしゃるようでした。
それは立派な行為だと思います。
でも、自分の住んでいる土地にまったく問題がないのならいざ知らず、ある意味では台湾よりも恐ろしい方法でシステマティックに処分されている犬達がいるのですから、台湾の野良犬問題にまで首を突っ込んでいる場合ではないと思うのです。
台湾にも私財をなげうってシェルターを自費で運営している人がいらっしゃるのですから。
そういった活動家の存在を知らずに、ただ目にしただけのことで短絡的に判断されたらなぁ...と思いました。
だからといって台湾の犬に関する現状を容認しているわけではありません。
日本の状況と同様に問題は山積みです。
捨てるという行為はどこの国であっても誉められた行為ではありません。
野良犬を増やすのも反対です。
動物虐待は絶対に許せません。
安易に飼う姿勢も許せません。
日本ではハスキーブームの次はレトリバーブーム?
ブームが去った後、ハスキーの子犬は「レトリバーを欲しいならハスキーの子犬を一匹引き取る」という条件で処分されたりしたそうです。
そんな風にして押し付けられたハスキーの末路を考えると心が寒くなります。
山の中には捨てられた犬達が徒党を組んでいることもあるとか。
飼いきれなくなってピレネー犬の夫婦を山に捨てた人もいます。
捨てるだけでなく、針金で山中の樹に縛り付けていたとかで、結局のところ妊娠中だったメスは首に針金が食い込んで化膿し、飢えと疲労で死亡。オス犬だけが骨と皮になってピレネー愛好家の会に引き取られたそうです。
日本ではおおっぴらに捨て犬はできません。
そこで人の目に付かないところに残虐極まりない方法で捨てるのでしょう。
日本で飼い主に必要とされなくなった犬の末路は「死」しかないようです。
捨てるにしても「他人の迷惑にならない場所」、つまり第二の人生(犬生?)をつかめないような場所に捨てます。
こういう話を聞くと憤りでぶっちり切れてしまいそうです。
こういう仕打ちを受けた犬は人間不信に陥ります。
ところで、うちの近所でぐたぐた昼寝している連中を見ても「かつては飼い犬だったのかな」と思うのですが、捨てられた悲壮さはあまり感じません。
もちろん、悲惨で凄惨な姿をしている野良公も台湾にはいますが、パト野良として御近所の人から可愛がられている彼らは呑気そのものです。
彼らを見ると子供の頃にNHKの音楽番組で流れた「やさしい野良犬、その名はごんたろう」という歌を思い出します。
確か、こんな歌詞でした。
やさしい野良犬、その名はごんたろう。
おなかはぺこぺこ、でも首輪は大嫌い。
空を見上げ、のんびり歩く。
なんとかなるさ、地球は広い。
うちの御近所のぐたぐた犬達を見ると、ごんたろうの姿が重なります。

台湾にある愛犬家達による犬の装甲車を見かけました。
野良犬問題も深刻は深刻だけど、でも、装甲車の檻に入れられて、台北の道路を激しく行き交う自動車の流れの中で目を白黒させている犬達よりも、我が家の傍でぐたぐたして、御近所の人から御馳走をもらっている連中の方が幸せそうに見えてしまいました。
野良犬問題が深刻だからといって、往来の激しい台北の道路に彼らを晒すのはなぁ...。
愛犬家を自認する人達がやっているだけに考え込んでしまいました。

取り敢えず、我が家の近所だけで話をすれば、まるで昭和の初めの頃、まだ犬達が自由に街中を歩いていた頃のようで、なんだかとってものどかです。
ちなみに私は昭和初期には生まれておらず、あくまでもイメージではあります...。
明日もぐたぐた犬達にジャーキーを持っていこうっと。



7月13日

目に見えるものを「ある」というのは簡単。
でも、目に見えないからといって「ない」とはいえない。
自分の目の届く範囲ではないところに「ある」かもしれない。
巧妙に隠されているだけで、どこかに「ある」かもしれない。
さらに、目に見えるからといって全てを解っている訳ではない。
目に見える部分だけで推し量るのも難しい。
目に見える氷山の一角だけから全てを推察するのは困難だ。
だからといって思索するのを放棄するのはいけない。
目に見えないからといって問題がないと思い込むのも早計。
逆に問題はもっと奥深くに潜んでいるかもしれない。

大学時代、何かの授業で明治の人が「川向こうの衆愚の群れ」という言葉を使ったのを聞いた。
一人一人はどうってことない人なのに、まとまると不気味なパワーを持つ集団。
目に見える、上っ面だけの問題に踊らされ、自分達こそ正義と信じている人達。
多勢に無勢、つまり多数決こそ正義と信じている人達。
往々にして攻めるべき相手を誤る人達。
デマゴーグに簡単に惑わされる人達。
賢者の言葉に耳を貸さず、時に賢者の進言すら一時の感情で踏みにじる人達。

関東大震災の時に韓国人が井戸に毒を入れたというデマゴーグが流れた。
きちんとした証拠もないのに多くの人が罪もない韓国人を殺した。
実際に私の祖母の友人の兄は、日本人であったが言語障害があったために韓国人と間違えられて殺された。
ある警察官が暴徒と化した民衆相手に「井戸の水を持ってこい。私がここで飲む」と言って、事を収めた地域もある。
こうした暴徒は何もこうした時にだけ登場する訳ではない。
今の時代、言葉の暴徒と化した人達のなんと多いこと。
誰かが巧妙に準備したデマゴーグに乗せられて踊る人達の多いこと。
言動を吟味する目を持たず、どこの誰から流れて来たとも知れぬ情報を鵜呑みにし、感情のままに行動する人達。
確かに何も感じない人間には問題がある。
不条理を感じたり、問題を感じたら、なんらかの感情の動きがあって当然だ。
だが、その感情の動きは自分の体の内でのみ動かして、外に出す段階には「理性」というフィルターを通して考える必要があるだろう。
理性、知性、常識といったものを判断の条件にして、聞き知った情報を吟味する必要がある。
あるいは自分が目にした状況を判断する必要がある。
松本サリン事件で危うく犯人にさせられそうになった男性がいる。
一時、マスコミは彼を犯罪者扱いした報道を続けていた。
多くの人が彼を犯人という目で見ていた。
中華航空名古屋事件では機長がコックピットから出て来て円陣組んで酒飲んでいたという証言があった。
死人に口はない。
おまけに生き残った人間がマスコミに登場するのが好きだったとしたら?
証言した人間が他の時に言った言葉がどの程度信憑性のあるものだったかを考える必要もあるだろう。
何事も鵜呑みにしてはいけない。
更に、鵜呑みにして、その扇情的な情報に惑わされ、安易に行動に移してはいけない。
アクティビストとして行動するならば、必ず情報を吟味して、自分の等身大の問題から手がけていくのが本当だろう。

無責任に情報を振り撒く人も多ければ、そういった情報を鵜呑みにする人も多い。
こうやって訳の解らない事態が発生し、どこかの誰かを傷つけ、どこかの誰かを喜ばせるのだろう。
 



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