MinMin's Diary
5月27日
我が仕事部屋の窓から木立が見えます。
そこにいつの頃からか「ぐぇ〜ぐぇ〜鳥さん」が住み始めました。
朝と夕方になると
ぐぇ〜ぐぇ〜
と鳴くんですねぇ〜(^^;
それを友人に話すと
「もしや、台北市立動物園にお勤め?」
なんて言う...。
見たこともないぐぇ〜ぐぇ〜鳥さんに憧れ(変なやつ)、仕事部屋で彼(女?)の帰りを待ち続けておりましたところ、遂にお姿を拝見!!!
ぬわ〜んと!コバタンだったのです!
私の大好きな白い大型インコ!!!
もしや、本当に台北市立動物園にお勤めだったりして(^^;
それにしてもどこから来たんでしょうね。
コバタン、可愛いなぁ。
捕獲するなんて大胆なことは思わないから、うちの窓に来てくれないかなぁ。
バナナかピーナッツでも撒いておこうかしら。
ぐぇ〜ぐぇ〜鳥さん...でも頭の毛は黄色
イラストは黒猫大和さんより
おまけ
ハワイで出会ったらぶりーなインコ
ぐぇ〜ぐぇ〜鳥さんはなんとアベックだった。
道を歩いていると聞きなれたあの声が...。
上を見上げると偉そうに飛んでいる二羽のぐぇ〜ぐぇ〜鳥さん達。
げ...アベックだったのね。
もしかして駆け落ちしてきた?
近所の喫茶店では子猫が生まれたようです。
あぁ、犬猫鳥に囲まれた暮しがしたい。
年取ったら猫ばばぁと呼ばれる暮しをしたいぞ。
犬猫鳥に囲まれて暮すのだ。
最近、なんとなく思うのですが、人は別の人の犠牲になったり、助けられたりし、また別の人を犠牲にしたり、助けたりして生きているんじゃないでしょうか。
意図的に他人を犠牲にしたりするのは趣味じゃないけれど、知らないところで結果的に他人を踏み付けにしていることだってありますからね。
でも、だからといって意図的に他人を利用したり、犠牲にしたりするのは嫌です。
自分の名声や欲望のために他人の努力を踏みにじったり利用したりするのは嫌です。
普通に生きていたってどこかで他人を犠牲にしたりしてるなら、なんで殊更、意図的にそうする必要があるのでしょうか。
革命の時代って気になります。
新しいことをしようとするのは「異端」であり、「反逆」であるかもしれません。
だけどそれが成功すると「革命」になるのです。
時代を変えようとするのは難しいです。
でも、それに立ち向かう人達は志士であり、敗れたとしても決して賊ではないと思うのです。
台湾でよく聞く言葉に「没辧法」というものがあります。
「どうしょうもない」「方法は何もない」といった意味です。
試そうとせずに、その言葉で最初から諦めてしまう人が多いです。
例えばこんな感じです。
家の前に不法駐車されて、運び出したいものが外に運べません。
「警察に通報したら?」
「警察に言ったって同じさ。没辧法」
騒音がひどい御近所。
「少し注意したら?もう真夜中なのに」
「台湾じゃこういうのはしょうがないのさ。没辧法」
「没辧法」って言葉、便利です。
法律を守らなくても「没辧法」で通ってしまう。
努力しなくても「没辧法」で通用しちゃう。
これじゃ、どうしたらいいのでしょう?
逆に「想辧法」(対策を考える)なんてことをすると「無駄なこと」って言われたりします。
外国人配偶者の居留は3年ごとに延長でした。
これも、どうにかならないかという問いに「没辧法」という答えが返ってくるのもしばしばでした。
「台湾の法律なんて気にすることないよ」
「こんな台湾に永住したってしょうがないでしょう?」
そんな無責任なことを言われたこともあります。
でも、法を守らないのは嫌です。
だから外国人の永住権などの問題に取り組んだのです。
そして、やっと「移民法」が可決し、永住権が認められました。
「没辧法」ではありませんでした。
新聞に出ていたアメリカ人男性はあるスポーツを台湾に広めるために、その道具を輸入することを合法化するところから始めました。
「裏から持ち込めばいいんだよ」
そういう台湾人の忠告には耳を貸しませんでした。
「なんであっても不法は嫌だ」
5年近い年月をかけて彼はそれを合法化させ、今は堂々とそのスポーツの推進を図っています。
自分の利益でもなんでもない。
ただ、好きなスポーツを台湾の人に紹介したいというだけで、アメリカ大統領や李登輝総統にまで手紙を書いて合法化を訴えた彼の姿勢は尊敬に値すると思います。
正々堂々とそのスポーツを持ち込んで、なんらやましいところなく、台湾で広めていきたいという彼の考え方は「没辧法」とは正反対にあるものでしょう。
私は「没辧法」という言葉に負けたくありません。
移民法が通過し、永住権も成立しました。
次は就労権です。
「誰も気にしないんだから勝手に働けばいいんだよ」
そういう言葉を何度も耳にしました。
でも外国人が工作証を会社からもらわない限り働けないという状況を変えるのが「没辧法」と思いたくありません。
「没辧法」という言葉で面と向き合うのを逃げることはしたくない。
そんな風に思います。
没辧法と言う人達の中で「想辧法」する人が時代を変えると思います。
時代を変えるなんて大層なことじゃなくても状況の打破を可能にします。
「没辧法」を連発するのは自ら可能性を潰しているのではないでしょうか。
minmin@geocities.co.jp