赴任後1ヶ月


家探しから3ヶ月後、長期ビザを取得し、荷物も航空便、船便で出して、1歳の子供共々、成田から1987年6月に出発。私の両親兄弟から女房の両親兄弟、友人まで成田に駆けつけて、大昔の洋行時の出発のよう。

夫婦、子供の3人分のビジネスクラスのシート。でも子供は赤ん坊用のバスケットのようなのを私たちの足元の床に置いて、寝っぱなし。緊張はしていたが快適にシカゴ空港へ。シカゴ空港内にあるヒルトンホテルで一泊し、翌日の飛行機でレキシントンへ。

レジデンス・インという長期滞在ホテルへ。新しいようで、綺麗なホテルというか全て別棟のアパート群のようであった。一階にリビング、キッチン、バスがあり、二階がベットルームだった。そんなに広くはないが、夫婦と赤ん坊には充分すぎる。ホテルには小さなプールもあり、何曜日かの夕方には宿泊客にフリードリンクでパーティみたいになっていた。日本からの家財道具が到着までの1ヶ月は会社からの支給で、このホテルでゆっくりと生活できた。

夕食は殆ど外食だったと思う。町には3つ日本食レストランがあり、良く行った。

アメリカ人ばかりの会社では、始めは大した仕事もなく夕方早く帰り、女房、子供と近くのショッピング・センターへ日参。週末はアパートに入れる家具、ベットなどを探し回った。アメリカでは当たり前のルールも判らず、慣れない生活で戸惑うことばかりであった。全てが目新しいことだった。
一度夕方にショッピングセンターで食事をして、帰る途中、土砂降りの雨の中、車を運転していて凄い雨だなと思って、道の反対車線を見たら、道路の低くなっている所に車が雨に半分くらい浸かっている。急いで走り抜けて何ともなかったが、一時的な雨でも結構凄いことになるようだ。翌日会社では、誰も大豪雨との話しもなく、田舎町の片隅で起きた、一時的現象のようである。何だか夢を見ていたようだ。

アメリカで生活を始めた時の私たちにとっての、一番大きな違いは、アメリカと日本というよりは、東京という大都会と田舎町の違いの方が大きかった。東京に居た時は、何か欲しいものがあると、家から出れば、直ぐになんでも買えた。アメリカでは、コーラ1缶買うのでもスーパーへ車で行かなければいけない。

意外なものの違いで驚かされる。石鹸、シャンプーなんてアメリカと同じだと思っていたが、おっとどっこい。男性用の整髪料、ヘアー・トニック、ヘアー・リキッドも全く見つからない。あれは日本で作った物か?

そうこうするうちに日本からの航空便で出した荷物が到着して、何とか生活感が出てきた。着いた炊飯器で夕食にはご飯を食べられるようになった。米はどこのスーパーでも売っている。自炊の出来るホテルは便利で良い。

1ヶ月が過ぎて、会社からの有給でのホテル生活も終わりアパート生活が始まる。



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copyright 1999 Makoto Aida