ダラス


初めてのダラスは1992年1月4日だった。正月早々の出張で、女房の実家から成田山初詣、成田空港、サンノゼ乗り換え、ダラスという経路だった。

アメリカ人の同僚がデトロイトから来て、夕食はスポーツ・バーにてデトロイト対ダラスのプロフットボールのプレーオッフを観る。当然周りの人々はダラス応援、同僚は一人で騒がずに飲んでいたが、途中でホテルに帰る。珍しくダラスで雪が降った。

ダラスで3日程事前打ち合わせの会議をし、デトロイトへ到着するお客を出迎えに向かう。が、同僚も私も1時間飛行機の時間を間違えていて、アメリカ人の同僚は高速道路を凄い勢いで飛ばした。やっと飛行場でチェックインしたが、出発直前で荷物をカウンターで預けられず、広いダラスの空港を走った。殆ど滑り込みで飛行機に乗り込んだ。暖かいダラスと寒いデトロイトへの出張ということで荷物も多かったのに、デトロイトへの最終便のために、あの広い空港を大きな荷物を持って走る、という大変な事態だった。

ダラス出発の朝ホテルでの朝食時にケチャップが吹き出してスーツとワイシャツがケチャップまみれになった。デトロイトで洗濯屋を探して、1日で洗ってもらった。いろいろなことが起こった。

デトロイト郊外、トロイのホテルは大きくはないが、寝室と居間が別れている。なかなか居心地は良い。

顧客が来るまで時間がある。デトロイト郊外に住んでいる叔母に会いに出掛ける。まだ時間があり、ダラスでHP95LXというパームトップが400ドルで売っていたので、サービスマーチャンダイズという安売りのチェーンに見に行く。やはり同じ値段。しかし在庫がなく、30分程の他店にあると言う。わざわざ車を飛ばして買いに行く。

顧客を空港に出迎え、ホテルへ。客と一緒に来た営業にHP95LXを見せびらかす。

翌日から2日、ホテル隣の会社での会議。近いので歩いていける。いろいろなものを見た。HPのOpenViewがSUN上で動いている。今では普通だろうが、当時はHPでしか動作しなかったので、E社の力を見たような気がする。

夕方は顧客と一緒にモールへ行って食事と買い物。

再度、客と一緒にダラスへ。夜に到着。客は出迎えのリムジンでホテルへ。私とアメリカ人同僚は一台ずつレンタカーで客とは別の安いホテルへ。難しいハイウェイの出口で、同僚とはぐれ、30分位うろうろしてホテルへ到着。信じられないくらい複雑なハイウェイからホテルへの出方であった。

1週間の客との会議後、客が帰ってからも3日程会議。一人だとゆっくりと出来て良い。ダラス北側にあるモール、ショッピングセンターには殆ど行った。

この後ダラスには数え切れないくらい行った。大した観光もない(ダウンタウンのケネディーの暗殺された場所位)が、現在はアメリカのハイテク産業の中心的都市になっており、ダウンタウンのコンベンションセンターでは年に数回大きなコンベンションが催されている。

通常のアメリカの大都市と同じく、ダラスのダウンタウンは荒廃している。環状線ハイウェイの北側エリアが商業、生活の中心である。モールや大きな会社が入った大きなビルが幾つもある。

アメリカと言ったらニューヨーク、ロサンジェルス、サンフランシスコという日本人の感覚からは想像できないだろう。



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copyright 1999 Makoto Aida