4ヶ月間のアメリカあちらこちら


入社後6ヶ月後に、通信事業向け営業部へのスタディの出張がある、期間も場所も判らないが、行くかとの話があった。アメリカでしばらく暮らせるのは良いなとOK。女房も子供を連れて移住すると言い出したが、実際にはアメリカをあちこち移動なので家族は同行しなかった。1週間とか2週間毎にいろいろな都市にあるE社のオフィースを回って、仕事を聞いて回るスタディ旅行だった。次にどこへ行くのかは2,3日前に知らされるという大変な旅だった。航空券と行き先の住所、訪問相手名、レンタカーの予約番号だけが教えられる。目的は明確でない。大変な旅だった。

1992年7月6日に始まった。初めの指示で日本からボストンへ行った。1泊して、チェックアウトするのかも不明だったが、取りあえずチェックアウトして待っていると、迎えの人がオフィースへ連れていってくれた。午前中会議をし、午後にワシントンDCの空港へ飛んで、バージニア州ハーンドンという所のオフィースへ。ここには2週間程いた。7月11日が私の誕生日で、土曜だか日曜だったので、出掛けから帰ってきたら、メッセージのランプが点いていた。テレビでメッセージが見れるホテルだったので、確認すると、Happy Birthday from wife
となっていた。英語で交換手に言われるよりも感激した。
次がダラスで3日程。たまたま日本から別な仕事で来ていた同僚と食事が出来た。次にニュージャージで3週間。子供が夏休みなったので、日本から女房、子供二人でやってきた。初め下の子が熱を出して、3日程遅れ、空港に到着した時は上の子が車椅子で出てきてビックリ。成田空港に着いた時に風邪を引いてしまって、飛行機内でうなされて大変だったようだ。到着した時、本人は元気だったが。
次がダラスで3週間。2週間は非常に厳しいコンサルタント教育に出席。この終わりに家族は日本へ帰り、私はセントルイスへ向かった。

この5週間のニュージャージー、ダラスでの家族との生活は良い思いでだ。女房・子供は車であちこちと遊びまわり、子供はプール遊びなどにも充分楽しんだ。この5週間がなかったら、私の4ヶ月の出張は続かなかったろう。

3週間いたセントルイス郊外は、普通の田舎町あった。毎日ホテルから目の前の会社へ、夕方はモールで食事し、パソコン屋周り。週末に一回ローカルの自動車レースを見に行く。目の前で大きなアメ車が疾走するのは迫力。3連休があり、昔住んでいたケンタッキー州レキシントンへ。金曜日午後早目に出発した。車で7時間位かかるが、一人旅では3時間位で挫折し、1泊。久々のレキシントン、友人と話が出来たが、1日で充分。帰りも途中で1泊。町を出る時は、2度と来ることはないだろうという思いで、涙が出そうだった。

次がロサンジェルスで南カリフォルニア大学のセミナーに2週間出席。ベニスビーチの脇のマリナ・デル・レイという所のホテルで、難しく大変であったが、沢山のアメリカ人の電話会社の部長達との楽しい2週間だった。9月末の未だ暖かいロサンジェルスから寒くなりかかっているボストンへ夜行便で飛んだ。3週間ここに居て、1週間デトロイトへ教育出席。ここで雪になった。またボストン郊外で2週間。ボストンでも雪を何回か経験した。

ボストンでは会社のアパートに住んで居たので気も楽だったし、生活している感じがあった。ボストン周辺は小さな州が多く、ニューイングランド地方と言われ、ニューヨーク州東側全体を指している。アメリカに移住者が初めて到着した地域で、歴史もあり、いろいろ見て回る場所がある。ニューイングランドはボストンを中心に1,2時間であちこちに行けるんで、暇な土日は車であちこち見て回った。北へ1時間も飛ばすと、キッタレーモールという巨大なアウトレットモールがあり、メイン州なので近所の小さなレストランでも美味しいロブスターが非常に安く食べられる。ボストン市内にもボトンティーパーティーを始め沢山の見る所があり、南に行けばケープゴット、メーフラワーの博物館、ニューポートなどと見学に行く所が沢山ある。

やっと11月14日に帰国。良い経験だったが、永い旅だったし、会社からの支給が少なかったのでお金もかかった。



前ページ | 旅の思いで へ戻る | 次ページ


copyright 1999 Makoto Aida