〜ブルース推薦盤 綿花畑でつかまえて!〜

           第2回 MOJO HAND/Lightnin' Hopkins

                                         Written by 小幡浩二

 

 1960年11月にニューヨークで録音されたライトニン・ホプキンスのMojo Hand (モージョ・ハンド)は、ブルースのアルバムの定番中の定番であるらしい。小出斉氏の労作「ブルースCDガイド・ブック」の表紙は、Mojo Hand の アルバムジャケットのデザインを使っているし、「絶対の一枚」「怖くなるぐらいの名盤」と絶賛もしている。

 ブルースのレコード評などを読んでいると、エグ味、肝(きも)、などのブルース評論用語が出てくるが、私の短いブルース体験から推測すると、おそ らくこのMojo Hand にあらわれているものがまさにエグ味、肝であるのだろ う。エグ味はエグイから派生しているのだろうし、肝は「肝がすわる」という表現から来ているのだろう。とても音楽を評する言葉とは思われないが、それが具体的にどんな音であるのかは、Mojo Hand を聴いてもらうのが一番 いい。

 エグ味、肝はポップスとは対極にある感覚だ。ポップスを聴き慣れた耳には、Mojo Hand はまったくの異質の音に響くに違いない。そして、ブルース を解するこころがあたなにあるならば、この音はあなたの今まで表現されることのなかった心の暗部を直撃することになる。ブルース体験とはしばしば そのようにやってくるものであるし、Mojo Hand はそうしたブルース体験を もたらす可能性の高さゆえに定番足り得ているのだ。

 前奏なし、いきなりライトニン・ホプキンスの歌から入り、すぐにビートのきいたアコースティックギターが追いかける。しばしばロックンロールで 採用される8ビートのリフに、7thコードを絡めながら、ライントニンのギターはそのあだ名の通り、電光のようにフラッシュする。ドラムとベースは必 要十分な音でサポートする。このバランスは素晴らしい。

 まず驚くのはホプキンスの声、その歌いっぷりだ。ドスがきいていて、シニカル。苦しげでいて、楽しげ。酸いも甘いもかみ分けた、とはこのことか。清濁あわせ飲むという表現があるが、彼の場合は濁に濁を重ねたような気も する。節回し、もたり、語尾の切れ、声が一瞬裏返るようなブルースマンには珍しい歌唱テクニック。それらのすべてが彼だけの独自の世界を生み出し た。

 歌の合間に入るギターによる合いの手やソロは歯切れがよい。歯切れよくありながらベンド(チョーキング)でのタメも利いていて、メリハリのあるい い演奏だ。ギターの響きそのものも気持ちいい。つまりどこをとっても素晴らしいのだ。

 スローテンポの曲よりもこうしたノリのいいロックに近い感覚の方がホプキンスの良さが出ているような気がする。アップテンポの曲の方が、電光の ようなギタープレイが存分に聴かれ、ギター、ヴォーカルの両方の切れから生まれるカッコよさが加味されるからだろうか。

 それにしてもエグ味、肝などというすこぶる日本的な表現がブルースを評する言葉になり得ているのだろうか。この一文はそれを解明することを目的 にはしないが、おそらくそのことが日本人にもブルースを理解できることのひとつの証であるとは言えそうだ。

 Copyright (C) 1998 by 小幡浩二 obata@netjoy.ne.jp



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