消えなんとする車の美学

                                       Written by 山羊

 こちら、きのうは五月中旬の陽気でした。ホームグランドにもすでに
 雪はなく、煙草火の不始末ででもすぐに燃え上がりそうな枯芝が、
 一面です。テニスコート横のクラブハウスの赤い屋根の向うには、残
 雪に輝く北アルプスの山々が目に眩しく映っていましたし、おととい
 今年初の蜃気楼が現出した眼下の富山湾は春かすみに煙っていま
 した。
                                      
    
 この季節、雪国のカーオーナーにとってはひとつの儀式が待っていま
 す。それは冬期間、極度に摩擦係数が減衰する雪道においても、ハ
 ンドルを取られないようにするために装着した、スノータイヤを取り外
 すという作業です。ところが、あまりに早くにこれをやると、思わぬ名
 残りの雪に見舞われて、臍(ほぞ)をかまされることがあるので、この
 頃、人々はそのタイミングを見計らっているのがつねです。
                                      
    
 気の早いぼくは老骨に鞭打って(笑)、1週間ほどまえ気温がまだ5℃
 だというのに、車庫で腹ばいになりながらジャッキを車底にあてがうな
 どして、ノーマルタイヤへの履き替えを終わっていたのでした。
                                      
    
 昼前にウォーキングを終え、テレビで名古屋女子国際マラソンを見お
 わってから、スイミングに出かけついでのひとときを、ドライブと洒落ま
 した。サンルーフを全開にして、ステレオの重低音が車を揺るがしそ
 うなスローテンポのジャズなどを鳴らしながら(笑)、市街地を30分ほ
 ど走りました。いでたちはといえば、庇が紺色で同色で「POLO」と
 いうロゴが入った白い野球帽に、銀縁で切れ長の黒いサングラス。(笑)
 控えめな俺様にこんな自己顕示欲が潜在していたのか、と苦笑しな
 がらも、愉悦のひとときを過ごしたのでありました。(爆笑)

 ところで、人目を引くといえばぼくの車自体がそうなんです。ジウジア
 ーロ(イタリヤ)というカー・デザイナーの手になる、2ドアの、まこ
 とに気品のある(近未来的とも評された)流麗なスタイル。ただ傍目に
 は、まことに奇異に映るであろうと思われる点がひとつあります。車内
 を明るくしようという目論見で、窓を天蓋方向に広げたために、その上
 部のいくぶん曲面化したガラスを支えるために、両サイドの前後とも
 天蓋から10数センチほどのところに、それに平行に、もう一本の窓枠
 が走っているのです。なにかで読んだのですが、ある車評論家は、こ
 の奇妙ともいえる格好が、多くの人、とくに若者たちには受け入れられ
 なかったのではないか、と。
                                      
      
 「より美しく、より遠くへ……。500miles a day。」というキャッ
チコピ
 ーで派手に売り出されたこの車、じつはまったく売れなかったのです。
 伊藤忠が販売元になって世に送られたのですが、スタイルだけではな
 しに、その性能にも目を見晴るものがありました。排気量3,300cc、
 240馬力、自然吸気、それになんといってもセールスポイントとされた
 のは「不等&可変トルク配分電子制御装置式の4輪駆動」(笑)だった
 のです。当時(平成3年かそれよりすこし前)こんな大きな排気量で4駆
 というのももちろんですが、前後左右の車輪が、路面の状況に応じて
 回転数の制御が可能ってんだから凄かった。メーカーはこれを「革新
 のシステム」と豪語してたくらいです。
                                      
     
 富士重工製の「アルシオーネSVX」のVLタイプ。(Lはラグジュアリー。
 (笑))本皮シート、サンルーフ、12連奏のCDオートチェンジャーなどな
 ど、ありったけのオプションをつけてもらいました。ただしあのリヤスポ
 イラーだけは断りました。(笑)年には不相応、と思ったからです。いい
 気なもんでした。ディーラーの所長の言によると地方標準価格で485万
 だとか。ですから、少々後ろめたさはありましたが、いまにして思えば、
 この車は若い人にはちょっと手が出ないはず、だからぼくみたいのが
 乗れば丁度いいんだなどと自得してたのでしょう。(笑)
                                      
     
 そのころぼくは、年金のほかに放送大学職員の給料もあって、懐は暖
 かかったのです。2年乗った同社の車を200万で下取りしてもらったか
 ら、それほどの負担にも思いませんでした。平成6年3月のこと。
                                      
     
 購入に際しては、女房にはまったく知らせてありませんでしたので、は
 じめて家に乗って帰ったとき、彼女は、最初目を丸くしていました。そ
 のうち、助手席に乗り込んでみたまでは良かったのですが、降りるやい
 なやドアも閉めないで、顔を真っ赤にして……、泣き喚かんばかりの形
 相でまくしたてたものです。(笑)
 「こんな座席の低い車嫌い!腰が痛いの分かってるくせに。す、すぐ他
 のに換えて貰ってよ。あなたがそうしないんなら、わたしが掛け合うわ」
                                      
     
 あれから、5年。いろんなところへ出かけました。発進してからの加速
 性能(信号グランプリでも、腕の悪いドライバーが乗ったスポーツカー
 には決して引けを取らない(笑))、高速安定性など申し分ありません。
                                      
     
 2年か前の冬、ひとりで横浜へでかけたその帰途、中央道は雨の談合
 坂でのこと。BMWやらベンツやらとカーチェース、というより、こちらが
 一方的に抜き去ったといったほうがいいかも。むこうさん、猛然と追い
 かけてきたけど届かなかったというわけ。(笑)そのときぼくは「群よ!
 さらば」と呟いたものでした。(笑)雨の上り坂でも140、50キロは何の
 不安もなく出せます。ハンドルは決してぶれない。それに高速で走れば
 走るほど燃費は向上するのです。この図体(1.62トン)で、リッター
 当り10キロ以上走ることもありますから驚きです。現在は、総走行距
 離92,000キロ。ついこないだ2度目の車検を取ったばかりで、快
 適に走ってくれますが……。じつは、この車、ぼくが購入したその年の
 暮れに、生産ラインが閉鎖されてしまっているのです。       
                                      
     
 富士重工がフラッグシップ(旗艦)として売り出したこのSVX、その洗練
 されたスタイルと先進的な諸機能を備えたがゆえに、病弱であったの
 です。(笑)メンテナンスを怠ったりすると覿面(てきめん)に故障が続出
 するのでありました。
                                      
      
  スペアタイヤハウスへの雨漏り(笑)、キーレスエントリーシステム(鍵穴
  にキーを指しこまなくても、赤外線リモコンでドアの集中ロックを施錠・解
  除したり、アウターハンドルを4桁の暗証番号の各位の数字分だけフック
 することで解錠できる機能)の故障、サンルーフの不具合(拳固で一発
 殴ってやらないと開かなくなる(笑))、フロントワイパーを作動させたとき
 の回転角の過剰(窓枠のゴムを乗り越えるまで回転し戻るときにその都
 度、バチッ、バチッと凄い音をたてる)……などなど。
                                      
      
 ことにこれは、個体差とは決していえないほど、かなり高い確率で発生
 した先天的とでもいうべき症状(いうなれば欠陥)=リヤのベアリングの
 磨耗。きまって走行距離5、6万キロくらいでそれは現われ、車内では
 会話ができないくらいの騒音に悩まされるようになる。当該のハブ・ベ
 アリングを交換すると嘘みたいに新車時の静粛性を取り戻し、それ以
 後は一切起こらなくなる。(笑)                      
  
                                      
     
 ぼくの場合、前段のような病気には、いまのところ(総走行距離91,0
 00キロ)見舞われてはいないが、後者には罹患し(笑)、やっぱりかと
 いう失意(「優秀なスタッフが重量計算を誤ったがゆえの欠陥説」を信
 ぜざるを得ないという)に陥ったものでありました。            
                                      
     
 NIFTYのフォーラムに車種別のSIG(パティオというらしい)があって、
 一番賑わっているのがスバルのそれだ。メカに関するかなり高度な知
 識を持った人たちもいて、熱気に満ち満ちています。平日でも書き込み
 は30を下りません。土日には100個近いMSGが並ぶこともある。最
 近だと新型車レガシイB4の試乗あるいはオーナーとしての走行インプ
 レッションの披瀝が盛んに行なわれています。

 そのなかにSVXの話題も結構な頻度で登場します。その多くは、いま
 はもう新しく生産されることが決してない、かってはフラッグシップの
 栄光を担っていた、このレア−(rare)車への憧れにも似た思いが
 込められています。「哀愁のアルシオーネ」(語呂合せ)といったり、「存
  在するだけで意義がある」(自然吸気で走る、ノン・ターボであるがゆえ
  にということのようだ)、「(鯨のように)悠々と走ろう」(誰が名付けたのか
  知りませんが、「鯨」の愛称が現存し、車体の色によって「白鯨」とか「黒
 鯨」と呼んだりする)などと呼びかけたりしています。

 主宰者がいて、「全国SVX棲息実態調査」と称してオーナーに登録を
 呼びかけ、毎月その会員名簿の一覧を掲載しています。ぼくはまだ加入
 はしていません。(笑)

  この車、中古車市場では人気が高く、出ればすぐに買い手がついて、
   ほとんど見当たらないのが実情のようです。

  また、そのパティオで知ったのですが、インターネット上にホームペー
 ジを開いている人が7、8人いらっしゃる。そのどれもに熱い思いが塗
 りこめられています。

 法律によってメーカーは、生産中止になってから10年間はすべての部
 品を取り揃えておくことが義務付けられていますが、それももうあと5
 年余。ぼくは精一杯メンテナンスを続けるとともに、出きるだけ清楚に
 保ちながら、この車の最後を見届けたいと思っています。おっと、その
 前にこちらが先に参っちゃうかも。(笑)そのときのことも考えておか
 なくちゃいけませんよね。(大笑い)

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【付録 アルシオーネ写真集】

 運動公園脇にて-その1

 運動公園脇にて-その2

 後部座席の乗客

 しんきろうロードにて

 光る海を背に

 観覧車の下で

 水族館前

 北アルプスが望める場所で

 砂利運搬船と並んで

Copyright (C) 1999 by 山羊 
 


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