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1969年のはやり歌の巻

草莽工房庵主敬白

 1969年、それは戦後日本のひとつの区切りであり、わが少年時代の終わりであり、音楽・歌謡史に燦然と輝く暗く奇妙な年でもある。70年安保前夜の学生運動が頂点に達し、時代は一気に鬱モードに入り、不思議な暗い歌がはやりだした。それまで輝いていた甘ったるいグループサウンズは姿を消し、ゴーゴー・ミニスカートは昔のこととなった。
 GSやアイドル系が嫌いだった私は、なぜかこの年だけ自分の好きな歌が次々ヒットするのに驚き、歌謡番組にかじりついたのである! 後にも先にもこんなに歌を聴いた年はなかった。忘れ難き年・・・1969年・・・次の1970年は、まだムードを引きずり、とても暗いアイドル藤圭子の全盛時代となり、1971年になると暗さがとれ、正統派のアイドル南沙織と小柳ルミ子がデビューし、以後アイドル全盛時代がしばらく続くことになる。
 したがって、後からみると1969年はGS時代とアイドル時代に挟まれた谷間の何もない年のように見え不当に評価されているが、実はこの年に、(アメリカではウッドストックが実施され)日本では第1回日本ロック・フェスティバルと第1回全日本フォーク・ジャンボリーが行われ、ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト(略称ポプコン)も始まったのである。
また、この年、URCレコードが発足し、新宿西口フォーク集会に7000人が集まったり、井上陽水や高田渡・遠藤賢司がデビューしていることでもわかるように、自分の等身大の歌を、自分の手で作って唄うということが、圧倒的に若者に支持され、一般の歌謡界でもようやく市民権を得た素晴らしい年なのである。私は、1969年こそ、その後のニューミュージック時代を先取りし、暗い怪しい光を燦然と放ち名曲を生んだ奇跡の年だったと思っている。
実は、前年にザ・フォーク・クルセダース、高石ともや、岡林信康が注目されたということが導火線になっているのだが、そのあたりのことは別稿「日本フォークについて考える」で書きたい。 まあ、前置きはこのくらいにして、数々の歌をご覧あれ!

1月
「ブルーライト・ヨコハマ」いしだあゆみ


「風」はしだのりひことシューベルツ
「白いブランコ」ビリー・バンバン
2月
「長崎は今日も雨だった」内山田洋とクールファイブ
「時には母のない子のように」カルメン・マキ
「ほんとだよ」遠藤賢司
「君は心の妻だから」鶴岡正義と東京ロマンチカ
アルバム「高田渡/五つの赤い風船」
シングル「イムジン河」「坊や大きくならないで」
3月
「みんな夢の中」高田恭子
「禁じられた恋」森山良子
「夜明けのスキャット」由紀さおり
4月
「浜でギターを弾いてたら」藤野ひろ子
「どしゃぶりの雨の中で」和田アキ子
「港町ブルース」森進一
アルバム「六文銭/中川五郎」
シングル「くそくらえ節」岡林信康/「三億円強奪事件の唄」高田渡
5月
「或る日突然」トワ・エ・モワ
「遠い世界に」五つの赤い風船
「くれないホテル」西田佐知子

6月
「恋の奴隷」奥村チヨ



「フランシーヌの場合」新谷のり子

「雲にのりたい」黛ジュン
7月
「夜があけたら」浅川マキ
「悲しみは駆け足でやってくる」アン真理子
「池袋の夜」青江三奈
「別れのサンバ」長谷川きよし
「人形の家」弘田美枝子
8月
アルバム「私を断罪せよ」岡林信康
アルバム「おとぎばなし」五つの赤い風船
「愛の化石」浅丘ルリ子
「私もあなたと泣いていい?」兼田みえ子
「真夜中のギター」千賀かほる
「昭和ブルース」ブルーベル・シンガース

「風が落とした涙」小川ローザ


9月
「ひとり寝の子守唄」加藤登紀子
「いいじゃないの幸せならば」佐良直美
「あなたの心に」中山千夏
「新宿の女」藤圭子
「鳩のいない村」藤野ひろ子
「カンドレ・マンドレ」アンドレ・カンドレ
10月
「夜と朝の間に」ピーター
「白い色は恋人の色」ベッツイ&クリス
「黒ネコのタンゴ」皆川おさむ
11月
「ドリフのズンドコ節」ザ・ドリフターズ
「ダニエル・モナムール」辺見マリ
12月
「逢わずに愛して」内山田洋とクールファイブ
「鳥になった少年」田中のり子
「私が死んだら」弘田美枝子
他にもたくさん紹介したい曲があるが、長くなるし、あまりにもマニア的な世界になるので、この辺でやめよう。こうして、ざっと見ただけでも、1969年の雰囲気をわかっていただけたのではないだろうか。それにしても、女性歌手が多いなあ。不思議である。
余談だが、この年の夏の甲子園は、三沢高校と松山商業との決勝戦で再試合の死闘があり、負けた三沢高のエース太田幸司は、国民に大きな感動を与え、一躍悲劇のヒーローとなった。
いろいろインタビューを受けた太田幸司だが、私が唯一おぼえている会話がある。
「好きな女性タレントは誰ですか?」
「黛ジュンさんです。」



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