昭和二十年代、私はよく東京へ行って彼の部屋に転がり込んだものだ。最初、彼がいた世田谷の古い大きな家は、いま芸術院会員になっている青山杉雨氏の家の二階で、ほこりだらけのだだっぴろい大広間であった。 夜中に私が裏木戸を叩くと、木戸のすぐ側の部屋に寝ている杉雨氏が大声で、「君の友達が帰ってきたのだから、君が起きて開けてやれ」と二階に向かってどなっていた。 すぐ側で寝ているのだから彼自身が開けてくれればよいのに、随分意地の悪い家主だ、と思っていたが、芸術院会員になるような偉い人とは知らなかった。次に彼が移ったのは、高田の馬場の一言堂という年中半分閉めたままの小さな古本屋の二階の小部屋だった。 痩せた主人は何故か万年床で終日寝たままだったが、だからと言って病気でもなさそうであった。 フランスに留学したこともあり、文壇に付き合いがあるという話であった。後になって、志賀直哉の本の中に、この一言堂主人という人がちょいちょい出てくるのを知った。
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