つい先頃、奥平君と電話で長話しをした。彼は最近、毎日書道展の審査員を辞任したという。毎日書道展も、彼が特選になってから既に三十年になる。 だいぶ老朽化したのであろう。 事実、彼が特選をとった時の手法である薄青墨で白雲がたゆたうように書く書法は当時としては非常に珍しく斬新であったが、いまでは田舎の子供でも書くようになった。そして、彼は六十才にもなろうとしているが、まだ在野の高まいな精神を持ちつずけているらしく、毎日書道展の方針に不満であるという。チェッコのザトベック選手の如く、芸術家の生き方も、自分で自分の記録を対抗相手として錬磨すべきであって、<高まい>なる芸術家の精神とはそのことをいうのである。対抗相手は他にあるのではない。 自分の中にある。彼の書道芸術は毎日書道展や圭星会に依存するものではない。 自らの過去にチャレンジして更に進歩すべきであろう。しかし、最近の彼の作品集を見てちょっと気になることがある。 例によって点や線や、そして四角などのアブストラクトが多いのは今更驚かぬが、どうもいままでと同じ様な場所をどうどう巡りしているのではないか。中川一政先生によれば、玄人というのは、一番大切なものの周囲をぐるぐる回っているのが多いらしい。 奥平君も最近は、どうもこの傾向があるのではないかと思う。また芸術家が用心しなければならないことは自分で自分の贋を描くことである。前の書がよくできて、もう一枚挑む時がある。 挑んだけれども前の書の記録に及ばない。そういうのが贋ではないだろうか、と中川先生は言う。奥平君の近作にこの傾向が無しとしない。??
次へ