奥平姓のひと塊りの家々の中には、私たちが少年の頃、他所から帰ってきて、一挙に中門、回り塀、白壁土蔵、それに当時としては珍しい洋式の書斎まで付随した立派な都会風の家を建てた人もいた。 聞くところに依れば、この乃木将軍と似た風貌の老人は、栃木県かどこかの女子師範学校の勅任校長を定年退官してきたのだそうである。 亡くなった人の懐(ふところ)算段をするのも少々気がひけるが、察するところ、たぶんその退職金で家を建てたのであろうが、古きよき時代の名残という感じがする。 もっとも、その人が果して勅任校長であったか、また師範学校長に勅任官がいたのかどうか私は知らない。 その家の書斎と称する部屋で私は初めてリノニウムという床材(ユカザイ)を見た。それまで床に貼るものとしては、木の板か、畳か、さもなければ藁むしろしか知らなかった私にとって、リノニウムには西欧の匂いがした。この人は暇つぶしのため、近所の少しばかり字が読めそうな人々に依頼して、碁の相手に来て貰ううのを常としていた。そしてその人々には昼ご飯を供応し、帰りには紙巻の朝日たばこを一袋ずつ必ず渡すのが習慣であった。 定年退職の幸せな老人もまた、自分の時間を過ごすためには幾ばくかの費用が要るものであると言うことを、私はこの人から知った。
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