親戚が誰も来ない武一氏の葬式は、村人たちが相よって済ませた。 氏の僅かな遺品を競売にして得た金を葬式費用に当てた。 驚いたことには、何も無いと思われていた蔵の中から、先に亡くなった氏の姉妹の嫁入り準備であったらしいおびただしい数の着物が出てきた。相当虫が喰っていたとはいえ、すべて手を通したあとが無い新品ばかりであった。いったい何故、それらのすべてを残して武一氏は餓死したのだろうか。村人たちはそれについて色々と解釈を試みた。 しかし、本当の理由は誰にも解らないままである。

いずれにしろ、かっては名家であったと思われる初代村長、多田五郎吉の家の最後は無惨である。大言海の序文で大槻文彦がいう<ばさら>である。 ばさらとは、ばさら髪のばさらである。  そして、私の田舎の方言では、ばさら髪のことを<さんばら髪>と言う。

幕末に強訴事件か何かがあって、八反田組と名づけられた自治組織の大きな村落共同体が、その中の数個地区を分村改廃させられる憂き目にあった、という記録があるそうだが、その頃には、この大きな地区集団の長(オサ)、つまり大庄屋とか総名主とかいわれる職務の家が、たぶんわが八反田に存在したらしい。 そして、その後・がなお現存するとすれば、いままでに述べた正木・奥平・多田の三姓のうちのどれかであろう。 残念ながらわが中村姓でないことは確かである。(追註:寛延2年の百姓一揆に関して八反田組大庄屋後見人奥平弥惣太夫が欠所重追放になっている。
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