ホテルをチェックアウト後、朝一番で昨日は閉まっていた地域政府連合のオフィスへ。出て来た秘書の人によれば、あいにく上司は休暇中だが、来週にでも資料をアメリカへ郵送してくれるそう。こういう親切は本当にありがたい。
昼前、空港でレンタカーをチェックアウト。無料でアップグレードしてくれた車は、以前から乗りたかったフォルクスワーゲン・ゴルフのステーションワゴン(ジェッタがベースだと思う。アメリカでは見たこと無い)でラッキー! そして、アウトバーンをひた走る。制限速度が無いというのは本当にすごいこと。こちらが150kmで走っているのに、弾丸のように横を追い越して行く車がいっぱい。「車って速いんだなあ」と新鮮な感動がある。でも、運転マナーは皆さん非常に良い。制限速度区間に入ると、一斉に制限速度まで皆が減速する。スピードによる車線の住み分けも完璧だし、標識はわかりやすい。ドイツ人の真面目な国民性が見られる。 このスピードで走るには、車の性能が優秀で無ければ困る(それでも180kmで事故ったら、エアバッグがあっても命が危なさそうだが)。初めて160kmまで出して、ブレーキの性能の高さに感動。加速が良い車は、ブレーキもしっかりしていないと恐いが、さすがにゴルフは高速走行向きだけのことはある。シャシーはねじれず、サスは心地よく硬い。スティックシフトもきびきびとしており、最高の男の子のおもちゃである(でも、イタリア車やフランス車と比べると色気は無い気もする)。
休憩でヴュルツブルクに立ち寄る。なるほど、ロマンチック街道という赤面しそうな名前も頷ける可愛らしい街である。続けてローテンブルクへ。そう言えば、卒業旅行で男2人でロマンチック街道ツアーに参加した奴(私ではない!)がいたなあ、などと思い出す。ここは男だけで来る世界では無い。可愛らしい建物が並んでおり、完璧なメルヘンの世界。スケッチしようかと思ったが、実物が既に絵みたいである。 アウトバーンからの田舎の景色は素晴らしい。ゆるやかにうねる大地と豊かな森がドイツ的。畑や木々に囲まれて農家がこじんまりと固まっている。土地を大事に、大事に使っているようで、アメリカ的な土地に対する価値観とは根本的に違う。
高速をぶっ飛ばした甲斐あって、予想より早く8時頃にミュンヘンのホテル到着。 おじいさん一人でやっている家庭的な小ホテルは、ビジネスホテルには無い暖かさを感じさせる。でも、おじいさんは仕事の要領が悪く、フロントには何時も長い行列。皆、おじいさんの人柄が大変良いだけに、文句を言う気にもなれず、黙って順番を待っている。仕方ない、のんびりしよう。でも、部屋でモデムが使えないのは話が違う。明日、部屋を変えてもらうことにして、今夜はインターネット使えず。まあ、たまにはコンピュータから離れるのも良かろう。
98年6月4日:ミュンヘン旧市街
のんびり朝食を取り、部屋をモデムが使えるものに替えてもらう。 ふとロビーの新聞を見ると超特急大事故のニュース。びっくり。車の方がはるかに事故率が高いとは言え、またドイツの鉄道システムが優秀だとは言え、ああいう悲しいことも起きてしまうのだと再確認。ここまでの自分の無事に感謝。 また、最も事故率の低い飛行機と言えども、あんまり頻繁に離着陸を繰り返しているとリスクが大きくなるなあ、などと考えてしまう。でも、だからと言って家に籠り続けていられる性格ではないので、危険性を低くする努力と、日々を精一杯楽しむことを怠らないようにしよう。
どうしても洗濯が必要なので、近所のコインランドリーへ行く。バックパッカー、それもアメリカ人ばかりで大混雑。店番のおじさんが機械の使い方を英語で教えてくれる。洗剤、洗濯機、脱水機、乾燥器と使うと、意外と安くない。ここまで2時間弱かかり、昼になってしまった。アイロンがけは面倒になり、残りの日程はチノパンとジャケットで押し切ることに決める。気温も上がりスーツ姿は殆ど見かけないし、特に私の業界はカジュアル(でも、シャツとネクタイなどは洒落ていたりする)な人が多いので良かろう。
午後からのんびり旧市街に歩いて出かける。中央駅を過ぎ、カールス広場のゲートをくぐって歩行者専用エリアに入ると、いきなりものすごい人出。平日の昼下がりなのに、このにぎわいは驚異的である。よく観察すると、観光客と若者が大半。6月になって夏休みが本格的にスタートしたようだ。 中でも目立つのはドイツ人の観光客である。おそろいのTシャツ、ツアーバッジなど、一目でわかる。アメリカ人の学生も「オー、ヤー」とうるさいが、ドイツのおばちゃん達も負けていない。ドイツ語は破裂音や濁音が強いだけに、でかい体格と相まってパワフルである。それに比べて日本人団体の奥ゆかしいこと!でも、仕事のオフにまでダークスーツで勢揃いするのは止めて欲しい。
マリエン広場は人、人、人。仮設のビール屋やダンス・パフォーマンスまで出て騒々しく、ちょっと落ち着けない。 新市庁舎は壮麗なゴシック様式。厳粛さと華やかさが同居している。歩行者の目線では、玉ねぎを冠った双塔のフラウエン教会などよりも、街のシンボルとしてはるかに重要。 食品市場のあるヴィクトアリエン広場で腹ごしらえ。一番良い匂いを通りまで出していた路上レストランに入る。魚のフライと定番ビールを頼む。どちらも本当に美味しい!南ドイツの高い青空を眺めつつゴクッとやるビールは最高である。フライもカリッと揚がっていて、付け合わせも手を抜いていない。食の都ミュンヘン、期待大である。 ほろ酔い状態でぶらぶら歩く。美術館などに入らないので、旧市街はすぐに一周してしまった。 こういう文化の都で、美術館にもオペラにもコンサートにも行かないのは本当に残念だが、これをやり始めたら軽く1週間はかかりそう。また観光で来なければ。
一旦ホテルに戻ってから、路面電車で再びマリエン広場のカフェへ。車が締め出されて、路面電車が我が物顔でノロノロ走っているのはちょっと気持ち良い。 ランチが3時だったので、あまりお腹は空いていない。殆どの人がビールを飲んでいる中で邪道とは思いつつ、カプチーノとチョコレートケーキで夕食代わりとする。これがまた美味しい。日本のケーキ並みである。 食後に明日のヒアリングのシナリオを練っていると、相席の30代半ばのドイツ人カップルが話し掛けて来る。「オレゴンから来た」と言うと、奥さんが目を輝かせて「去年行ったけど、あそこは最高だったわ!」ミュンヘン市民に褒められれば、オレゴンも幸せであろう。「仕事で来てるの?」「半々と言うところ。」「何の仕事?」「まちづくりしてるんです」「ワーオ!(以下略)」 まちづくりという言葉は、誰とでも会話を弾ませるきっかけになるのが嬉しい。人のいる所には、必ずまちがあるから突っ込みやすい。以前、土木とまちづくりのダブルメジャーの友人が、「『土木エンジニア』と自己紹介するとそこで話題がとぎれがちだから、俺はいつも『まちづくりプランナー』と名乗るんだ」と言っていたのを思い出す。(当人には辛いところだが)正体が定まらない職業であることも功を奏していそうだが。
今日のニュースは、鉄道事故、核開発競争に加えて天安門事件が大きな扱い(暗い話ばかりだ…)。当時の映像を見せられると、事件当日にテレビにかじりついたのを思い出す。あの時、自分が中国の学生だったら何ができただろう、と思う。わからない。政治を熱く語りあった上海出身のW、元気かなあ? とにかく、平和な社会で暮らしていることに感謝である。
98年6月5日:環境プランナーと親切な「お母ちゃん」
カズと北澤へのマスコミ報道に激怒!100%興味本位。人の気持ちを全く考えていないし、サッカーのことも勉強していない、ああいう記者達は許せない。あれはジャーナリズムではなく、タブロイドである。欧米にもタブロイドはあるが、日本にジャーナリズムと呼べるものは殆ど存在しない。インターネットの掲示板の方がよほどまともである。スポーツ選手は自分のホームページから直接ファンに語りかける方が良い。(JFAを含む)社会の腐った部分を治すのは、良識ある個人同士の連帯である。
さて、立腹の朝食後、ミュンヘンでのヒアリングである。環境・まちづくりコンサルタントのジークさんがホテルまで迎えに来てくれ、一緒に郊外のオフィス再開発の工事現場に行く。プロジェクトの見学はヒアリングに華を添えてくれて楽しい。 現場はまだ造成中だが、敷地の一角に環境実験用の建物があり、そこでやっている実験について細かに説明してくれる。自然エネルギーと環境に配慮した素材をできるだけ使い、利用者に優しくかつコストの安い建物を実現しようと、日々実験を行いながら設計や工事方法を決めて行くという取り組みは真剣そのもの。骨の随まで「環境意識」が染み込んでいる感じ。 都心部に戻ってカフェでディスカッション。小数精鋭の彼の事務所は、高い環境技術に裏付けられたコンサルタント業務を大変システマティックに行っている。「環境」が売り物になっているドイツ社会に感心。ジークさんによれば、スイス、オーストリア、スカンジナビア諸国では当然のこと。アメリカと日本しか体験していない私には感動的だったのに。
ミュンヘン市のプランナーとはアポが取れなかったので、市の建物の1階にある「まちづくり展示スペース」を覗く。展示は全てドイツ語なので、図面や写真と見なれた単語から内容を推測するしかなく、ちょっと苦しい。 奥の資料室には誰もいないがドアが開いていたので、「誰かいますかー?」と言いつつ侵入。すると、奥から秘書らしき女性が出て来て、「どうぞ御自由に御覧下さい」とのこと。パンフレットなどを漁っていると、いかにも「たくましいドイツのお母ちゃん」という風貌のブラウさん(失礼だが、お母ちゃんと呼ばずにはいられないのである)が登場し、英語で世間話が始まる。話している内に「あなた、ひょっとしてミスター後藤?」と言われ、驚きつつ「そうですが」と答える。「会えて良かった! 局長から頼まれて、あなたにFAXを何度も送ったんだけど、つながらなかったから。」私の出発後に連絡を取ろうとしてくれていたらしい。忙しくレスポンスが遅い人でも、ドイツ人の良心は健在である。 実は、ブラウさんはただものではないお母ちゃんであった。彼女はプロのまちづくりプランナーであり、いつのまにか議論が盛り上がって来る。「左派が衰退、右派が台頭して、移民排斥の気運が高まっているのはドイツ民主社会の危機だ!」「私の故郷ベルリンは本当に貧乏で、人々に精気がない。統合の代償を一手に引き受けている感じ」など、切り口が社会派である。興味深いのは「失業率が高まっている。ドイツでは仕事が無いとその人の存在意義まで失われてしまう。地中海諸国みたいに、『失業してもOK、私は私』という社会とは根本的に違う。」という意見。まるで日本社会論を聞いているよう。日本とドイツ、どこかで通じ合うものは確かにありそう。帰り際には、追加資料を後日アメリカまで郵送する約束までしてくれ、彼女の親切に大感謝である。
予期せぬ収穫に嬉しくなり、遅いランチで祝杯をあげることにする。昨日のランチがあんまり美味しかったので同じ店へ。ウェイターのお兄ちゃん、覚えていてくれて「また来たねー!」。お勧めのビールのレモネード割り、暑い午後には最高ののど越し。きのこソテーのサラダも絶妙な味付けで幸せ。 ランチ前は、食後に教会の塔に上って街を一望しようと思っていたが、ほろ酔いで何百段も階段を上りたくなくなり、とっととホテルに戻って昼寝である。
目覚めると夕立。良い時間にホテルに戻ったわけだ。 溜った資料を郵送したいので、郵便局で小包用の箱を購入。資料整理をしていたら夜も更けた。 明日はドライブの日。安全第一。
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