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Last week's diary

1月12日
友達のはのいちゃんから「大阪学」第三弾が送られてきた。
めっちゃ面白い。一日で読み上げてしまった。
晩御飯にインドネシア料理を食べに行った。
ガドガドが美味しい(^^)。
色々なインターネット絡みの犯罪が日本では起こっている。
なんだか、「人を切るとが出るよ」ってことを実感として解ってない人が多いんじゃないかな。
インターネットだけじゃなくて、携帯電話の犯罪にしても...。
「大阪学・世相編」にも似たようなことが書いてあるけど、なんだか自分の思う通りにいって当たり前。
いかないと「キレる」って人が増えてしまったのかな。
きっと、思う通りに来てしまった人が多いんだろうな。
思う通りに行かないこともあるってのが許せないんだろうな。
そんなことを考えてしまった。



1月14日
価値観ってなんなんだろう。
イデオロギーってなんなんだろう。
そんなことを考えてます。
時代の中で育まれ、時代と共に否定され、崩壊していく...。
何年か前のソ連崩壊レーニンの巨大な像が取り壊されたのを覚えています。
共産主義の崩壊
世間ではこぞってこう呼びました。
レーニンの像を取り壊せば、いい時代が来るの?
そんな風に思いました。
ずっと心に引っかかってました。
何もかもが時代の中で価値観やイデオロギーと共に崩れ去るのだろうか。
そこで真剣に生きた人達の情熱も否定されるのだろうか。
愚かな主義に洗脳されていた愚か者達として否定されるのだろうか。
うーーーーーん...と考え込みました。
そんな時に、ふと思ったことがあります。
技術は時代を越える。
価値観やイデオロギーを越える。
どんな時代に出来たものであっても、どんな主義のもとに出来たものであっても、ある技術によってできあがったものは時代を越えて人々の中に生きていく。
時代が終わり、価値観が崩壊し、主義が滅んだとしても、技術は生きている。
台湾の嘉南の地に水を運びいれた八田与一
彼が台湾に来たのは日本の植民地政策の一環でした。
日本の植民地時代は終わり、全ての価値観や主義が一転しました。
八田与一本人も戦争で生命を落としました。
彼の妻も敗戦の後、夫の作ったダムに身を投じ、果てました。
それでも、嘉南の地に、彼が残した水利事業は今でも生き続けています。
誰かの役に立ちたい。
いいものを作り出したい。
水利事業を行った八田与一にも、こういう思いがあったでしょう。
しかし、彼以外にも同じ思いを抱いていた人は大勢いたはずです。
技術を持たなかった人は文章や体力で示していこうとしたかもしれません。
結果、それは時代の波に飲み込まれてしまいました。
そして新しい時代のうちに否定されていきました。
そんな風に思うと、自分達の時代が否定した時代に生きた人を、簡単に否定していいもんなんだろうかという気持ちになるのです。
水利が今の人達の役に立っているように、否定された人達の情熱も、今の私達が生きている上で役に立っているのではないだろうか...。
そんな気さえしてくるのです。


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minmin@geocities.co.jp