22. 迷える魂 (魚住家の盂蘭盆) 那須から帰ると、自宅の留守電に5件のメッセージが入っている。 恐る恐る聞いてみると、すべて前橋の母からだった。 「明日のお盆には帰ってくるんでしょう。待ってますよ」 「ねえ、今日、来るんでしょう。 何時に来るの?」 「和彦、親戚も集まってるし、お父様も待ってるわよ」 「花代さんも今来たわよ、和彦に会いたいって」 「和彦、いったいどこへ行ってるの? お盆なのよ!」 最後の言葉などは、ヒステリックで聞きとりづらかった。 その日の午後、実家へ戻った。 母静香は、玄関に出迎えるなり、まくしたてた。 「和彦、お盆だというのにこんなに遅く・・」 「個人的に抜けられない事情があったんですよ」 「とにかく、ご先祖様にお線香を・・・」 「・・・・」  ・・先祖、僕の先祖じゃありませんよ! 盆には、子供の頃から自分や母をさんざん悪く言ってきた父の姉弟たちが集まる。  彼らが昔の姉弟喧嘩や学校の成績についてなつかしそうに語る間、ときどき 周囲に合わせて笑ってみたり、表面的にうなづいたり、そんな苦痛な時間なのだ。 昔から苦労を共にしてきた戦友であるかのように、話を合わせて茶を注ぐ、実際 には四面楚歌の母をやりきれない気持ちで見ている。 仏壇の前に集まる面々を重たい気持ちで見渡す。 父宗一郎を入れて、男女3人ずつ、計6人の姉弟である。 姉弟の中には、北海道や仙台に嫁いだ者もいて、13日に集まると たいてい一晩泊まり、翌日の夜までいるのだった。 その三度の食事の 用意、後かたづけ、布団の上げ下げは、若い頃から静香がひとりで やってきたのだ。  「和彦くん、ちょっと見ないうちに男らしくなったな」 三男の朔太郎だ。声だけを聞くと温かそうなのだが、眼鏡の奥のキツネ目 は、冷ややかな視線を彼に送っているように見えた。 「おお、うちの末娘の奈津子を貰ってくれないか。 そうすれば、 魚住の財産が他に漏れずに済む、将来の繁栄は間違い無しだ!」  次男の竜次郎がそう言って大声で笑い出す。 それに合わせて、回りの 姉弟も合唱するように笑っている。  ・・少しもおかしくないぞ。 お前ら、そんな事でよく笑えるな。 そう思いながら、和彦は苦笑した。 トイレに立ったとき、後ろをつけてきたのは、姉の花代だった。 花代は、宗一郎の先妻が生んだ娘である。 宗一郎が愛人に生ませた子供 が何人いるのかは知らないが、戸籍で認められた唯一の実子である。  和彦より4つ年上である。 昔から静香に懐かず、叔父や伯母の家を転々と して育った。今は、高崎にいる叔父の不動産会社に勤め、その近所のマンション に暮らしている。 「和彦、貴方、逞しくなったわね。 どこかで遊んできたの?  綺麗な日焼け・・首筋なんて特に・・。着物に土方焼けな  んて合わないわよ」 「・・・・」 和彦はあわてて左手でうなじを押さえる。 花代は、和彦の顔をまじまじと見つめた。いつもそうやって、 ネズミでも掴まえてきたネコのように彼をいたぶるのだった。 「・・・この前見たときは、モヤシみたいに蒼白くて、ママの坊や  って感じ丸出しだったけど、ふうん・・童貞、捨てた?」 「・・・・・」 「あ、図星かなあ」 花代が、渡り廊下に響き渡るような声で笑う。 「ねえ、和彦知ってる? お父様に愛人と子供がいるってこと」 「・・・・」 「知ってるんでしょう、いつも同じ学院で仕事してるんだものね」 「・・・・」 「静香さんは、まだ知らないみたいね、まあ、そのうち知れることで  しょうけど・・」 「姉さん・・母には・・」 和彦が、花代に詰め寄った。 「言わないわよ。 お父様も相変わらず盛んね。あれでお父様、来月  57歳なのよ」 頼もしい・・と言わんばかりに笑った。 「でも、なんだか素直に喜べないんだわ、今回だけはね」 急に真顔になった。 「お父様が、あの宗也っていう子供に将来跡をつがせるっていう話。  馬鹿にしてると思わない。 ねえ、貴方もそう思うでしょう?」 変だった。 同盟を結ぼうということなのか。  「私は、そりゃね、貴方や静香さんを追い出す事ができたら・・って  昔は思っていたわよ」 気持ちをストレートにぶつけてくる。 「・・・・」 「貴方にも分かるわよ、もし私の立場だったら。 まだ右左も分からない  幼い頃に母に死なれて・・・忙しく働く父が帰宅するのを、毎晩  今か今かと布団の中で待ったわ」 うらめしそうに和彦をにらむ。 「なのに、父は、仕事の後、飲み歩いていたのよ。 静香さんのお店にも  通い詰めて、私が小学校に上がった年に、貴方たちをこの家に連れてきた  んだから」 「・・・・」  「だけど、 認める。 正直な話、学院は静香さんが盛り上げて今の規模にま  でしたのよね。 貴方だって、静香さんを影で支えてきたんでしょうよ。   憎らしいけど、それは事実だわ。だから、静香さんと貴方のことは、認めるわ」 花代は、深くうなずいた。 「だけど、小早川麗子と宗也のことは認めない・・・絶対に、認め  ないわ。 だから、私も学院で働くから・・。 いいわね?」 変だ・・。 花代の手のひらを返したような豹変ぶり。 自分の父親の学院で働く許可を自分に求めているではないか。 嬉しい気もしないではない。 いや、花代は強かな女だ。  何か考えがあって、手段として歩み寄ってきたのだろう。  「・・・そういうわけだから」  花代は、言うべき事を言い終えて、すっきりした面もちだった。  黙ってトイレに向かう和彦は、まだ花代の視線を背中に感じていた。 「・・貴方、綺麗ね。 きっといい男になるわ」                ☆ 皆が帰った後、母静香は、お膳のかたづけをしながら、ふと余った ビールをコップに注いでゴクゴクと飲み始めた。 「一仕事、終えたって感じね。 こんなの仕事だと思わなくちゃ  やってられないわよ」 母がいつもの自分に戻る瞬間である。 「お父さんは?」 宗一郎の姿がなかった。 「うん、東京に仕事を思い出したって。 盆の真っ最中だというのに・・」 「・・・・」 「それより、貴方」 母がにじり寄ってくる。 「あんな話は、考えるにも及ばないことよ・・」 「え? なんのことですか?」 「あら、聞いてなかった。 じゃ・・まあ、いいか」 「え、何ですか?」 気になる。 「いえね、お父様が、貴方と花代さんを結婚させるなんて言うから・・」 母は、呆れ顔で、ビールをグイッと飲んだ。 コップを和彦のほうへ差し出す。 和彦は、冷蔵庫から冷えたビール を出してきて栓を抜くと、そこに注いでやった。 「それは、冗談でしょ」 和彦も自分のコップにビールを注いで飲んだ。 静香が、大胆に左手で胸元の衿をゆるめ、右手に団扇をもって扇ぎだす。 「お母さんね、花代さんが貴方の子供を生むなんて想像しただけで  虫酸が走るわ・・」  「そんな事にはならないから、安心して・・」 和彦も、アルコールが入って、すこし緊張感がほぐれてくる。 「そう・・?」  母は、病気をしてから、だいぶ老けた。 来月49になる。 いつも5つ以上は若く見られたものだったが、今は、55ぐらいに 見えるかもしれない。 小早川麗子の32歳にとうていかなうはずが ない。 悲しい表情でみつめられると、2、3日は残りそうだった。               ☆ 翌日、静香と和彦で墓に先祖を送ることになっていた。 後から、花代もやってきて、和彦の横に座り、墓に向かって手を 合わせる。 静香は、怪訝な面もちで花代を見ていた。 静香が奥から出てきた住職と話をしている間に、 思いがけない事を 花代から聞いた。 「貴方の中学時代の同級生で糸川香織さんっていたわね。  自殺・・・したのよね、たしか11年前に」 和彦は、こんな所で、それも花代の口から、香織の名前が出るなんて 思ってもみなかった。  「そんな顔するなんて、貴方もまだ気にしてるのね。  彼女の両親が最近、他へ越したわよ。 今、その家と土地が  売りに出されているの」 「・・・・」  香織のいない彼女の家族の話を聞いて、逆に彼女の存在が蘇ってきそうだった。  彼女の魂もこの墓地のどこかに、漂ってはいないだろうか。 自分に何か語りかけてはいないだろうか。 「香織さんの妹さんが貴方にって、これを・・」 花代は、バッグから一冊のノートを取り出した。 「どうして彼女が姉さんに・・」 「・・魚住なんていう名前は、めったにいないでしょう。  仕事中は胸に名札をつけてるでしょう。 笑っちゃうのよ、社員の殆ど  が魚住なんだから・・・あはは」  回りの視線にきづいて、声を低める花代。 「はい、これは、11年前の彼女から貴方へのメッセージよ」 そう言って、ノートを手渡した。 「さてと、私は帰るか・・・。もうすぐ東京へ行くから、よろしくね」  同じようにバッグから取り出したサングラスをかけると、駐車場に 向かって歩き出した。  その日のうちに東京へ戻った。 翌16日までが彼の休暇だった。 窓を開けて空気を入れ換え、シャワーを浴びてからパジャマに着替えた。 枕元の照明をつけ、ベッドに横になりながら、花代から受け取った ノートを開いた。 それは、糸川香織の日記だった。 そのところ どころに書かれた魚住和彦という名前・・・。 それは、彼女がまだ 中学1年の頃から続いており、 3日から10日おきぐらいに、綴られ ていた。 胸がどきどきした。 真ん中あたりを開いてみる。  『魚住くん、貴方の竹刀(しない)を振る姿が凛々しくて、思わず  見とれてしまいました。 県大会、がんばりましょうね』 『魚住くん、ときどき、どこか遠くを見つめる目をしているね。  先輩に気づかれたら、怒られるよ・・』 『2年になって、魚住くんと同じクラスになれた。 保健委員になって  よかった。 今日、魚住くんが倒れて、保健室まで肩をかしてあげられ  たから・・』 あの頃、彼女が自分に対してこんな気持ちを持っていたなんて。 同じように彼女を見つめる自分が懐かしく思い起こされる。 今もし中学時代に戻れたら、香織の名前を呼ぶだろう。 振り向きざまに、好きだ、好きだ・・って何度も言ってやりたい。 和彦の目からとめどもなく大粒の涙があふれてきた。 彼は、恐る恐る、日記の最後の文字を辿った。 『誰を恨むわけでもないけれど、  素直になれない自分が大嫌い・・。  気持ちに正直でいることって難しい、  でも、どんなにか大切だったか・・』 和彦は、握った拳を自分の頬に押し当てた。 まぶしいほど純粋な彼女の笑顔、 滑らかな白い肌、しなやかに動くその手足。 どうして包んでやれなかったのだろう。 もう一度触れてみたいけれど、永遠に叶わない。  (つづく)



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