16.天使の再来 (上京当初のこと) 地元の高校、大学を卒業後は、母親の勧める通りに、父の学院で、 礼法や着付けを学んだ。  全課程終了後、学院本部で、父、宗一郎の雑務や、講師を担当するように なる。 生徒達からは、立ち居振る舞いが美しいと、憧れの的だったが、 独り暮らしを始めても、友人も恋人らしい相手もつくらなかった。 彼のプライベートな生活を知る者は、殆どいなかった。 梅雨に入った6月下旬の朝。 町に傘の花がたくさん咲いていた。 仕事の出勤途中、新宿通りの交差点で人にぶつかって、セカンドバッグ を落としてしまう。中の財布や名刺入れが外に飛び出す。 気が付くと、 水玉模様の傘が、さっと自分の足元にしゃがみこんでいた。 その傘が立ち上がった瞬間、鳥肌が立つのをおぼえた。 糸川香織だ。 「はい、これ」  彼女は、優しく微笑んだ。 自分を知らないようだ。  しなやかな細い指が、拾い集めた財布類を、セカンドバッグと一緒に 和彦に差し出した。  彼は、礼を言うのも忘れるほど、その顔を見つめた。 いつの間にか、その緑色の傘の後を歩きだしていた。 香織の生まれ変わりなのか、香織が生きていたのか・・。 忘れようと努めていた彼女への思いが沸々とよみがえってきた。 その傘は、 大きな広場の前まで来ると、走ってきたもう一つの色違いの 水玉に寄り添った。  誘われるように、二人の後を追っていく。二つの傘は、ほぼ同じ高さで、 時折くるくると回っている。  彼女達は傘をつぼめて、映画館に入った。彼も窓口でチケットを買い求 めた。 二人は、後ろから5列目の席に座る。 和彦は、最後列に座った。 うわの空で見ていたので、筋は頭に入っていない。 途中でいつ二人が出ていってしまうか、気が気でなくて、その頭ばかり 見つめていた。 雨が止んでいた。 町へ出てからも、、二人の後ろを歩き続けた。  彼女達と同じレストランに入り、観葉植物をはさんだ隣のテーブルに 腰掛けた。 少しでも彼女の声が聞きたくて、息をひそめる。 「やっぱり、あの傘、買ってよかったね」 「うん、可愛いよね。 この間、電車の中に忘れそうになって  焦っちゃった」 「無くしたらちょっとショックだよね。 この間、弟がコンビニに  さしていったから、怒ってやったわ」 食事後、彼女たちは、新宿の駅から中央線に乗り、三鷹で下りた。 バスに乗り、たどり着いたのは、大学のキャンパスだった。  その時には、3時を回っていて、学院の会議に、急がなくてはならな かった。 その日はひとまず、追跡をうち切った。 生きた香織に会えた。 その喜びで、和彦の心に明るい日が差し込んだ。                ☆ それから、何かにつけて中央線を使い迂回したり、わざと三鷹に下りて、 食事したりした。 あの子と町でばったり会うことも考えられると 思い、胸を躍らせていた。3ヶ月後に、その偶然は起きた。 学校帰りに、ハンバーガーショップに入っていく彼女を見かけたの である。 急いで店に駆け込んだ。 やっぱり彼女だった。 隣にいるのは、この前の友人とは違い少し背の高い女の子だ。 彼は、彼女の隣の列に並ぶと、偶然を装い、 思わず挨拶してしまった。 「どなたでしたっけ?」 彼女はあっけにとられて、目をぱちくりさせた。  「あ、ごめんなさい、覚えていないですか。 この間、新宿の交差点 で、手荷物を拾ってもらった者です」 「ほんとう?」 しばらく首をかしげていたが思い出せないようだった。 やがて、友人との会話に戻っていった。 和彦は、ポテトとコーヒーを買って、彼女たちから少し離れたところに 座ると、無関心を装い、文庫本を読み始めた。 耳はしっかり、二人の 声を拾おうとしている。 「2ページくらいだけど、今月、NONNOに載ってる」 「わあ、やったね、友達にモデルがいるって自慢してもいい?」 「ねえ、よかったら、これからうちに来る?」 「え、いいの? お屋敷拝見・・」 「父も母も今日は遅くまで仕事。 うちで何かとって食べない?」 「わあ、行く、行く」 和彦に、その会話は聞こえなかった。 彼女が楽しそうにはしゃいで いるその笑顔にうっとりしていた。 二人に分からないように、そっと後ろを付けていく。 電車に乗り、 荻窪で降りる。 商店街を抜けて、住宅地へ出ると、その姿は、大きな 屋敷の門へ入っていった。  表通りに回ってみると、「藤井歯科医院」という大きな看板が掛けられ ている。 和彦は、すっかり、彼女の自宅を突き止めたと思い、密かに 勝利の叫びをあげていた。 (つづく)



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