49.仮面
日曜に珍しく康平が家にいる。 両親は朝から揃って出かけた。
「今日は、彼女のところじゃないんだ」
おはよう代わりの聡美の第一声。
康平は、冷蔵庫からコーラを出してきてキッチンテーブルの上にポンと
置くと、聡美の向かいに腰掛けた。
「姉貴・・なんで結婚なんてするんだよ」と絡む。
「なによ、いきなり・・」
康平が前にせり出してくる。
「本当にいいのかよ、それで・・・」
「俺は、信じないね。 姉貴はさ、あの人の事好きじゃないよ」
コーラをすすった。
「それに・・親父の息子だったって・・・。まったく驚きだよなぁ、
何か企んでるかもしれない・・」
「康ちゃんに何が分かるの。 彼のこと何も知らないくせに・・」
聡美は、むっとした。
「うん、知らない。 でもね、少なくとも姉のことは分かるさ」
落ち着き無くテーブルを叩く姉の人差し指に目をやる。
「姉貴が」 鋭い視線を姉に送っている。「ストラティスのことを、
そんなに簡単に忘れるわけがない」
「・・・・」 聡美は、何も返さなかった。
・・ほら、やっぱりな。 そんな顔をしてさらに聡美を見つめる。
コーラを一気に飲み干して続けた。
「ね、姉貴。 どうして今なわけ? どうしてあの人なわけ?」
康平は、空っぽになったアルミ缶を片手でしぼりながら、テーブルに
両肘をついた。
「俺さ、最近の姉貴の気持ち・・? 全然わかんない」
「最近の気持ちって・・じゃ、以前はよく分かっていたんだ」
聡美は、皮肉めいた口調で言う。
「なんだよ、人が心配してるのに。 姉貴がストラティスをうちに
連れてきたときも、俺は面白くなかったけど、でも少なくとも
姉貴の顔は生き生きしてた・・姉貴、ストラティスといた時は、
幸せそうに見えたよ・・・。 でも、今度のあいつ・・。 姉貴と
あいつが末永く一緒にいる姿が浮かばないんだよ」
拳でテーブルをドンと叩いた。
「毎日、美実と家にいるとね」 聡美が大きなため息を一つ漏らす。
「一日が終わるのが凄く早いの。朝起きてミルクをあげて、おしめを取り
替えて・・。洗濯は、朝お母さんがしてくれる。 食事ももうできて
いる・・。 美実を連れて公園へ行き、小さな子供連れのお母さんたち
とお喋りをして帰ってくる。 お昼ご飯を食べて美実をお昼寝させて・・
自分も一緒に横になって3時頃まで寝ちゃったりなんかして。
すぐに日が暮れるのよ。 あっという間に一週間が終わって
しまうの。 夫がいる家はそれでもいいかもしれない。 でも、
私は、どうなるの?」
康平は、呆れ顔で聡美を見ている。
「良い身分じゃないか。 俺だってそんな風に一日を過ごしたいね。
夫がいる家・・って、だいたいが、ストラティスが姉貴のそばにずっと
いるなんて、そんな保証、始めから有ったのかよ。 姉貴の計算違いな
んだよ」
「・・責めないでよ、そんなふうに」
聡美は、立ち上がると、カウンターの上に保温状態になったコーヒーを
マグカップに注いで、壁にもたれかかった。
康平は、振り返って続ける。
「姉貴は、小学校の時からしっかり者で世話焼きで、学校の
成績はよくて、人気者で・・・。 絵で金賞取ったり、体操で
個人優勝したり・・。 そういう輝かしい子供時代を見てる弟の
俺としたら、姉貴のこういう生活が納得いかないんだよ」
「康ちゃん、私はしっかりなんてしてないわよ」
「・・・・」
「勉強だって本当は大好きだったわけじゃないの」
「・・・?」
聡美は、自分がさっき座っていた康平の向かいの席に再び戻る。
「康ちゃんは、子供の頃、お父さんが忙しくて淋しくなかった?」
「・・・親爺が忙しいのは、慣れっこになってたけどー」
「私は、淋しかったの!」 きっぱり言った。
「日曜日もいない事が多かったし、幼稚園から高校まで入学式も
卒業式も運動会だって、お母さんだけだったじゃない?
でもね、学校に来られないお父さんに私を見てもらえる方法を
みつけたのよ。 テストで百点を取ること、作文コンクールや
絵のコンテストで賞状を貰うこと、 体操で優勝杯を手にすること。
ミスコンに入選して雑誌に載ること・・。 私は、お父さんに
見て貰いたくて頑張っていたんだもん。 みんなにお節介焼いて
いたのだって、本当に心配してたわけじゃないかもしれない。
通信簿の後ろのところに、“友達から頼られるしっかり者です”
とか、“何でも率先してできる子供です”って先生が書いて
くれると、お父さんが読んでくれる。 肥田先生のところで空手を
習っていたのだって、肥田先生の口からお父さんに“聡美くんは、
頼もしい”って言ってもらいたかったから・・・。
私、お父さんに見てもらいたかったんだもの」
「姉貴・・・」
康平の目に、信じられないくらい姉が少女のように映った。
「ストラティスは、昼間でも家にいてくれた。 子供の面倒は、
夫婦分担・・って言ってくれた。 料理もしてくれたし、お皿洗い
もしてくれたし。 私の事だけをいつも見てくれて・・。
こんな風に引き離されることが無ければ、今だって、きっと・・」
聡美の目に涙が浮かぶ。
「姉貴。 ギリシャで遙香さんを見たとき、どうして泣きわめいたり、
髪をひっつかんで振り回したりしなかったんだよ。 もっと壮絶な
醜い女の争いしてくればよかったじゃないか。 俺は、ストラティス
は、姉貴のことを本当に愛していたと思っているよ」
「だって・・・・」
「ずっと優等生つづけてきた姉貴のツケだな・・。 俺なんか、
なり振り構わず食って掛かるよ」
「康平・・」 いつも優秀な姉の影に隠れていた康平が、時間を掛けて
ゆっくり磨かれた宝石のようにまぶしく映っていた。
「姉貴、人はさ、どう見られるかじゃないよ。 どう生きるか・・
自分で自分の人生にどれだけほこりを持てるか・・だよ。
自分と仲良しにならなきゃ・・」
「ね?」 頼もしく優しく微笑んだ。 弟ながらドキドキした。
「あいつと再婚したい・・って姉貴が言うんなら、それは姉貴の選択
だから、それが分かってるんだったら、もう何も言わないよ。
ストラティスは、遙香さんのものだって割り切れるんなら、
前に進めばいい・・。 姉貴の豊かな才能を発揮できる場が
あいつのところには有るかもしれないな。 でも、いいのか、本当に。
もっと頼れる大きい男がいいんじゃないのかな、姉貴にはさ」
「さーてと」 康平は立ち上がった。
「どこに行くの?」
「うん、彼女のとこ・・・」 康平は、2階へ上がっていった。
聡美は、残りのコーヒーを飲み干した。
康平の言葉を思い返してみる。
康平の背中には翼が生えている。身一つでどこへでも行けそうな気がする。
・・でも、自分は、きっとそうじゃない。
自分の意志だけで渡り歩けるほど強くなさそうだ。
和彦への思いは愛じゃないのかもしれない。
でも、常に自分に向けられる彼の熱い視線を、「君しかいない」
「君じゃなければダメだ」という彼の言葉を、少しずつ受け入れてしまう
のだった。
そんなふうに心や体が麻痺した状態で、和彦に振り回されることに
あまんじていった。
電話が鳴る。 たぶん彼だ。
「はい、もしもし」 コール音3回目で受話器を取る。やはり和彦だ。
「聡美、こっちへ来ないか?」
「ええ」
「これから迎えに行くよ」 それだけ告げるとカチャリと切れた。
(つづく)
(話の続きへ)
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