50.打診

ある晩、康平が和彦の部屋を訪れる。

「きれいに片づいた部屋ですね、奥さんがいるみたいだ」

「着物を着るからほこりが付くと困るんだよ。 片づいてるっていうより
 物をあまり買わないようにしてるから。 ・・コーヒーでいいかな」
和彦は、熱いコーヒーを注いだカップをキッチンテーブルに運んだ。
「あ、それって」 
カウンターにあるコーヒーメーカーが家にあるのと同じものだった。
「あ、聡美が・・」 咳払いをしてから言い直す。
「聡美さんが、買ってきたんだ。 インスタントばかり飲んでいた
 からかな」

「いただきます」 康平は、椅子に腰掛けコーヒーを口にした。

「最近じゃインスタントも馬鹿にならないくらい美味しいですけどね。
 僕はどっちでもいい方だけど・・姉貴のやつ、もう世話焼き女房の
 真似事なんかして・・ちゃっかりしてますよね」
康平が辺りを見回す。

「姉と結婚した後もここで暮らすんですか?」
「ええ、どうして?」 

「あの、美実の父親になるんですよね」
「・・そのつもりだけど」

「子供ってうるさいですよ。 風邪ひいてるときなんか、夜中にしょっ
 ちゅう目をさましてぐずるし・・。 近くにいる大人もそれにつき合わ
 されるんです。 翌朝、仕事にさしつかえますよ」
今のうちに止めておいたほうがいいぞ・・。
康平が和彦の表情を窺う。

「そうかー。 可愛い面だけじゃないんだねー」 
コーヒーをすすりながら、目を細める。
     
「・・それに、魚住さんも感じませんか、僕は、姉はストラティス
 に想いを残していると思ってますけど」
仲良く暮らしていて、あと数週間で子供が生まれるという時に引き
離されたんだから仕方がない・・和彦もそう思っている。 
「いいですよ、少しずつ心が僕に向いてくれれば、それで・・」
和彦は、うっすら笑みを浮かべた。

康平が首を横に振る。
「美実が彼に似てるんですよ・・いつも思い出すでしょう」

「・・・・」 細かい事をあげれば切りがないことだ。

「姉貴がギリシャに行ったとき、もしストラティスが元気でいたら、
 きっと二人は前のように楽しい時を過ごせたと思います。
 すぐに日本に帰って、荷物をまとめ美実を連れて・・今頃、三人
 水入らずで暮らしていたでしょう。 姉がどうして貴方のプロポーズを
 受けたのか分からないんですよ。とても投げやりで・・」

「投げやり・・・?」

「姉が信用していた友達がストラティスのそばでずっと看病していた
 そうです。 入籍までして・・。」

・・ビイ?! 和彦の脳裏から半ば忘れられていた顔が浮かび上がる。

「自分の大事な夫、可愛い子供の父親・・。 泣き叫んだって奪い
 返せばいいものを・・姉は、それ以上何もしないで帰ってきたん
 です。 姉は、ストラティスの記憶が戻ればまた姉の元に帰って
 くることを、心の奥で、本能的に感じているかもしれません」

今も、ストラティスと聡美の間に熱いものが通っているのか。  
自分と聡美の間にそれに勝る強い絆は、結べないのだろうか。

「それでも、姉と結婚しますか? 貴方は、立場のある人だから・・
 もっと確かな道を選んだほうがいいですよ」

「康平くん、もっともなアドバイスだけど、確かな道なんてどこに
 もないんだ。 地位、名声、財産・・・そんなものだって、いつ
 何をきっかけに失われるか分からない。 どんな名家の娘を
 貰ったって、穏やかな暮らしが送れるとは限らない。 
 病気や死が襲ってくるかもしれない。 誰といても幸せになれる人
 は、なれるんだよ」
嫉妬心を隠しながら、半ば意地になってそんなことを口走った。
「貴方は、その幸せになれる人なんですか?」
康平は、ニッと笑った。

「そこまでして、姉と結婚したいですか? 本当に姉・・なんですか。
 菊谷の家に入って、父や僕らに復讐・・なんてこと・・」

「え?」 和彦は、驚いた。 
「僕は、君にそんな恐怖を与える存在なのか?」

「いえ、ただ思いつく全てを口にしてしまう性格なので・・」
言った本人が、自分の言葉にはっとした。

「その気持ちも分かるよ。 今言われて、なるほどと思った。
 なぜそこまで嫌われるのか分からないけれど」
・・心のどこかにあるいは菊谷晴彦を恨みに思う気持ちが今でも
残っているかもしれない。 でも今さら何かしようというつもりはない。 

「母親の先夫の娘と結婚するなんて不思議に思う人もいるかもしれない。
 でも、血が繋がっているわけじゃないんだし、自分が好きになって
 しまった相手が偶然にそうだったんだから、仕方が無いだろう」
・・和彦は、じっと康平の顔をみつめた。
康平は、コーヒーを一口すすった。
「あ、このブレンド・・。 豆も姉貴が・・?」家にあるのと同じ味がする。

「いろいろアドバイスしてくれて、ありがとう」 
和彦は余裕のある振りをした。
康平は、言いたいことの殆どは伝えたと思った。

「ただ」 出戻りの姉を思い、ひとつ提案をしてみる。
「姉と、暫く籍を入れずに一緒に暮らしてみてはどうでしょう」

「ご両親は、納得されるかな?」

「たぶん。2年間もストラティスと同棲していたんですから」

「だからこそ、今度はきちんと籍を入れてからと思われるんじゃ・・」

「かもしれないですが、今度は姉だけじゃない、子供のことがある
 でしょう。 父親と呼んでいた相手が途中でいなくなってしまう。 
 どういうことだか、貴方には分かりますよね」

「もちろん、聡美さんが良いと言えば、僕は今日からだってそうしても
 いいけれど」

「馬には、乗ってみよ。 人には添うてみよ」
康平が思い出したようにつぶやいた。
「何?」 

「父がよく使うんですよ。 どの馬が良いか乗ってみないと
 分からないし、人は一緒に暮らしてみないと本質が分からないと
 いう格言です」

康平は、そう言い残して立ち上がった。


(つづく)




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