3.ふたりを繋ぐもの
8月7日の朝に予定日より4日遅れて、女の子が誕生した。
病院の電話を借りて、ストラティスが身を寄せているギリシャの
両親の家に国際電話する。
「Hi, Miss Lavender Kiss!」懐かしい彼の声に胸が熱くなって
「Hi, my sweet darlin' !」 つい一緒にはしゃいでしまった。
「え? 生まれたの? 女の子、よかったね!」
子供の父親が国内にいない状況での心細い出産だった。
けれども、やはり彼の生の声を聞いて所在が確認できたら、独りでは
ないように思えた。
電話の向こう側では、彼の両親がはしゃいでいる様子も伝わってきた。
笑い声が飛んでいる。 突然に受話器をとり、ストラティスの母親らし
き女性の声が何か言ったが、聡美の聞き取り能力では、まだまだ理解で
きなかった。たぶん、
「おめでとう、よくやったわね、今度こっちへ来て下さいね」
のような内容だったのだろう。
そうして、再び、ストラティスに替わった。
「聡美、女の子だからミミと名付けようよ。 ギリシャでも、ミミイと
いうのは女の子の名前なんだよ」
自分が親になった事を一緒に祝っている彼の声。
子供には父親がいるのだ、近い将来3人仲良く暮らせるに違いない。
聡美は、初めて母親になった喜びに包まれた。
4.影の涙
日曜日の昼頃、両親が呼んでくれたハイヤーで、荻窪の病院から高円寺の
実家に到着する。
「ちょっと薬屋さんに行ってくるわ、赤ちゃんをお願い」
「ねえ、産後は油断は禁物よ、できるだけ寝てなさい」
「うん、わかってる、ちょっとだけね」
聡美は、近くのドラッグストアへ歩いていった。
「やっぱり聡美の生まれたときにそっくりだわ」
母、滋実は、初孫を目を細めながら抱き上げた。
「え? 姉さんってこんなに鼻筋が通っていたっけ?」
聡美の弟、康平は彼女より6歳年下で、今年から銀行に勤めている。
「なあに、言ってんの、聡美のほうが先に生まれたんじゃないの」
「そうだけどさ、写真なら見たことあるし」
「こら、だめ、汚い手で触らないの」思わず伸ばそうとした康平の
手を払いのけた。
「ほら、お父さん、抱いてあげたらどうですか?」
父、晴彦は、キッチンテーブルに新聞を広げて読んでいる。
「ほら、ねえ」
晴彦は、新しい家族にチラチラと目をやっていたが、無関心を装い、
新聞を読み続ける。
「父さん、どうしたんだよ、血を分けた可愛い孫だっていうのにさ」
じゃ、やっぱり俺がと言わないばかりに、康平が両手を差し出した。
「だから、着替えてらっしゃい、あんた汗くさいわ」
滋実は、くるりと背を向けた。
「わかったよ」2階の自分の部屋へ着替えを取りに上がっていく康平。
康平には、父の沈黙の意味が分かっている。
2日前の夜中、のどが渇いて台所に降りていくと、いつもなら
静まり返っているはずの居間から明かりが漏れていた。
奥から両親の声が聞こえてくるので中の様子を覗き込んだのだ。
「だから、滋実、お前の育て方が悪かったんだ・・」
「お父さんだって、仕事ばっかりで、家庭を顧みないほうだったでしょ」
「ずっと家族のために仕事してきたんだ」
「聡美だって今月末には29になるんですよ、あの子が誰を選ぶかまでは
口出しできないじゃないですか」
「お前が、将来有望なシェフだ、素晴らしい息子が1人増えたなんて
言うからすっかり乗せられてしまった、最初に反対すべきだった・・」
「そんな事言ったって。でも、聡美は何も後悔してないって・・」
「俺は・・・」晴彦は、手にしたブランデーグラスを口に運んだ。
父は、酒は飲める口ではないのにめずらしかった。
母が、向かいに座って茶をすすっていた。
「だから、いやだったんだよ。始めから反対だった、国際結婚なんて。
日本語はろくに通じないし。最初に会ったときぶん殴ってやれば
よかった・・」
「聡美が選んだんですよ。こうなったのだって、ストラティスさんだけ
の責任じゃないんですから。 聡美だってがんばってるじゃないですか。
もう後には引けないんですよ。二人を見守ってあげましょう」
晴彦は、背を丸めてうつむいた。
「聡美は、いつも髪を長く伸ばして、大きな赤いリボンが似合ってたな。
英語だって、英語塾に通わせたわけじゃないのに、クラスで一番だった。
部活動の体操だって県大会でトップクラスだった。」
「お父さん・・・」滋実は、晴彦の拳に自分の両手を添えた。
「器量だって俺なんかの娘とは思えないほど良いんだ。ミスコンにだって、
本人が応募したわけじゃないのに、準決勝まで行ったこともあった。4年生
の大学を卒業して、旅行会社に就職して。あちこちから嫁に欲しいっていう声
も多かった。お見合いの話は、どれも一流 商社マンだったのにあいつは断っ
てたじゃないか。 なのにどうしてわけのわからん外国人なんかと・・」
晴彦は、暫く声を詰まらせていたが、
「あれは、俺の自慢の娘なんだ」
やがて男泣きに泣き崩れてしまった。
それは、康平が今まで見たことのない父の姿だった。
「でもね、お父さん、あの子たちの、この2年間の生活は、本当に楽しそうで
したよ。 確かに以前に聡美がつきあっていたボーイフレンドは、みんな日本人
でしたよ。でも、どの人をとってもお父さんは始めは反対で・・」
滋実は、情景を思い起こしていた。
「経済的に安定した暮らし・・親の私たちから見たら、安心できるかも
しれないですけれど・・」
「何、言ってるんだ、それが無かったら何も始まらないんだぞ」
クシャクシャの顔を上げて初めて滋実を直視した。
「でも、一度きりの人生、いろんな事をして、すこし冒険してみるのも
いいじゃないですか?」
「それは、俺に対する当てつけなのか、滋実!」
「そうじゃないですけど」
「俺が銀行員で、家族全員きづかって、息の詰まるような暮らしをしてきたと
でも言いたいのか!」
晴彦は、酔いがが回ったのと泣きはらしたのとで、目が真っ赤に充血していた。
「もういいよ」両手を畳について四つん這いになったが、上手く体を起こすことが
できなかった。
「もう寝るからな」
勢いをつけて立ち上がった晴彦は、よろよろと前後しながら奥の部屋へ進んだかと
思うと、敷いてある布団にバタンと倒れ込んだ。
「俺は反対だったんだ、俺は反対だったんだ」
そう言いながら眠ってしまったのだった。
☆
着替えを取りにいった康平が、何も持たずに降りてくる。
今、取り込んだばかりのTシャツとトランクスを持って
母が、立っていた。
「ごめんね、私ったら、最近洗濯物を溜めてたから、引き出しに
なかったでしょ」
「お、サンキュー」何も言わず、それをつかみ取ると、風呂場へ
と直行した。康平だって、姉や生まれたばかりの姪については
思いを巡らしている。 多くの疑問も持っている。 ただ、
姉が一度に全てを考えないように努力しているのだろうと察して
今は何も感じていない風を装うことにしているのだ。
「だいたいが、赤ん坊の姓はどうするんだ? しばらくはうちの
姓を名乗るんだろうか」
風呂のガラス戸を外から叩く音。3回ずつ小刻みに2度叩くノックは
いつもの母の癖だ。
「あのね、お風呂にお湯が張ってあるけど、入らないでね。聡美と
赤ちゃんに先に入れてあげたいから」
「ほぁーい」シャワーでシャンプーを濯いでいる康平の口に、湯が流れ
こんでいる。
(つづく)
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