55.再会
98年1月、美恵子が学院を訪れる。
和彦は、美恵子の顔を見て驚いた。
「君は、学院のポスターのモデル・・」
「藤井美恵子ともうします。 聡美の学生時代の友人です」
「あ・・」
和彦の脳裏から、荻窪の歯科医院から出てくる彼女の記憶が
甦る。
ちかくの喫茶店へ行き、和彦は美恵子の話を聞いた。
「遙香とつきあっていたそうですね」
「・・・彼女から聞いたんですか? 今どこに」
「日本に来ています。 何日かこちらにいたいというので私の部屋に。
なんでも、ストラティスの記憶が戻りつつあるとかで・・・」
「・・え?」 和彦の表情に焦りの色が見える。
「彼が遙香とこのまま暮らしていってくれたらいいんですけどね。
でも、どうします? もし仮にストラティスが聡美を取り返しに
来たら・・」
和彦は、煙草を取り出し火をつけた。吹かす程度に2〜3本吸っていたの
が最近すこし増えつつある。もちろん家の中では吸わない。
「・・もちろん、聡美は渡しません。 だって彼女のお腹には、もう僕の
子供がいるんですからね」
「ええ、 でも、ストラティスは、美実を欲しがるわ、きっと」
「遙香との間にまたつくればいい」
「彼女、貴方の子供を堕ろしてからできないって」
「え・・?」 和彦は、約2年前のことを思い起こした。
その様子をみつめる美恵子。
・・まさか、聡美の相手が遥香のかつての恋人だなんて・・・。もっと早くに
知っていたら、反対しただろう・・・。
「・・男絡みで友情が破綻する例はよくあります。でも、聡美は、貴方と遥香
のこと何も知らないんでしょう? ・・・なのに、ストラティスのこと忘れて
貴方とはじめようと努力してる。その気持ち、無にしてほしくないんです。
聡美には幸福になってもらいたい・・そうでないと私も安心して結婚できないから」
美恵子は、今までないほど聡美を守りたかった。
「でも、魚住さん、遙香も心に傷を負ってさまよっているの・・わかるでしょう?」
「・・僕の父を殺してしまったからですか?」
「・・・・え? 今なんて?」
「あ、いえ」 つい余計なことを口走ってしまった。
「殺した・・って、遙香がですか?」
和彦の煙草を持つ手が震えている。
「魚住さん・・遙香は誰かを殺したんですか? ねえ・・」
和彦は、一昨年の夏に起きた炎上事故のことを美恵子に話した。
美恵子は、その頃の事を振り返ってみる。 5月くらいから遙香がやたらと
電話してきて、少しでもいいから金を工面してほしいと頼んでいた。
ところが、8月に入って急に連絡が途絶え、9月になると彼女の部屋は
空室になっていた。
「魚住さん、遙香にお金を払ったでしょう。 彼女、大きな借金を
抱えていたはずなんです。 でもそれは精算されているようだし。
貴方は、自分の親を殺されたのに警察に突き出さなかった・・それどこ
ろか、彼女にお金をあげて・・いったい何をさせたんですか?」
美恵子は、手がかりになる事実をつなぎ合わせていった。
「ストラティスの通報をしたのは、彼女でしょう。 それは、たぶん、
二人をギリシャに追いやってしまいたかったから・・。 貴方を
聡美に取られたくなかったんでしょうね。 貴方は・・・借金でせっぱ
詰まった遙香にお金を払い・・・まさか」
崖から転落していくストラティスの映像が浮かぶ。 背中を押す遙香
の手・・・。 遙香は、聡美の出産時期にちょうど外国へ行っていたはずだ。
「ストラティスを突き落とした人間がいるとしたら、それは遙香かも
しれないけれども、だとしたら彼女の意志ではないはずです。
あの時、電話で私が言ったんです、ストラティスがもし強制送還にでも
なったら、聡美も彼を追いかけてギリシャへ飛んでいくだろうって。
遙香は、それを望んで通報した。その遙香がストラティスと暮らしている
のは、たぶん・・・罪悪感からでしょう。何に対してでしょう。
ねえ、魚住さん?」
「・・・さてと、もう帰らなくては」 和彦は答えなかった。
「推理小説みたいですね。 面白いけど、僕もそこまでつき合えないなあ。
美恵子さん・・でしたか? 貴女もご自分の結婚のことを考えたほうが
楽しいんじゃないかなぁ。 では」
出口のほうへ向かって歩き出す。
その背中に突き刺すように言う。
「遙香は、玩具じゃないわ。 スイッチを切ることなんてできない。
貴方への想いを無理やり断ち切って、他の男との生活を余儀なくされた
彼女がどういう行動に出ると思いますか?
遙香は、どうして日本に帰ってきたんでしょう・・ねえ、魚住さん」
和彦は、コーヒー代を払うと黙って出ていった。
和彦が自宅に帰ると、ドアのチャイムを押すより早く聡美が
ドアを開ける。 大きく見開かれた目、乱れた呼吸・・。
「貴方、今誰かとすれ違わなかった?」
「いや・・・」
「美実がいないの。・・誘拐? 警察に電話するべきよね?」
聡美は、非常口から外へ出た。下を見下ろすが暗くて何も見えない。
凄い勢いで階段を駆け下りていく。 和彦もその後を追う。
1階にたどり着いて、辺りを見渡すが人影はない。
「どうしよう・・ねえ、和彦さん・・美実が」
聡美は、携帯を取り出しダイヤルした。
8階の部屋に戻り、警察を待っている。
「部屋を空けたの。 今週、うちがゴミ置き場の掃除当番なの・・。
ほんの数分の間・・と思って鍵を掛けずに出てしまったの。
戻ってみると美実の姿がどこにもなくて・・」
和彦は、押入やクローゼットの中、風呂場をもう一度見回した。
「お金は盗まれた形跡が無いの・・。 いったい誰が」
聡美は、両手で顔を覆った。
「何が目的なのかしら。 美実は、今頃泣いているに違いないわ」
美実が首を絞められているシーンが聡美の脳裏をよぎる。
殺された後、海や川へ放り込まれ・・・。
聡美は、いたたまれなくなって窓を開けベランダの手すりに身を
乗り出した。 もし彼女に何かあったら自分もここから・・。
「だいじょうぶだよ、きっと助かる」 和彦が彼女を抱き寄せた。
聡美は、和彦のあまりの冷静さに苛立ちを覚えた。
「ねえ、貴方どうしてそんなに平気でいられるの? 」
「平気じゃないよ、ただ・・・」
和彦に思い当たる節があるからだ。
ドアのチャイムが鳴る。 渋谷警察署の刑事が数人立っていた。
その中に大野隆士の顔が混じっている。
「聡美!」 思わず声を挙げる隆士。
「・・・・」
和彦は、怪訝そうな顔で二人を見つめた。
「聡美、知り合い?」
「・・ええ、学生時代の友達なのよ」
聡美が視線をそむけた。
隆士は、和彦の顔を見つめている。どこか見覚えがあるのだ。
「最近誰かに恨みを買うような事はありませんでしたか?」
50がらみの色の浅黒い刑事が尋ねる。
「いいえ、まったく覚えがありません」聡美が答える。
刑事は和彦に視線をうつして眉を上げる。
「・・・・」 なにも言わない和彦。
「旦那さん、思い当たる節があるなのら、教えてください」
そのうち、隆士が何かを思い出してはっと目を見開いた。
「ちょっといいですか?」 隆士は、和彦に合図し、彼を立たせて、
誰もいない場所で尋ねた。
「旦那さん、2年くらい前に岡島遙香という女性とつきあっていま
せんでしたか?」
「・・え?」 和彦は、驚いた。
「貴方は一体だれなんですか?」
隆士は咳払いをして、
「昔、聡美とつきあっていた男です」と言った後で、
「いや・・昔の事ですよ」と付け足した。
「たまたま見かけたんです、恵比寿で貴方と遙香さんが歩いているところ
を・・・。 それが今じゃ聡美の夫だなんて・・聡美は、知ってるん
ですか?」
「・・・・」 和彦は困惑した表情で首を横に振った。
「遙香さんは、おととしの9月に失踪してますね。 家族のほうからも
地元の警察に失踪届が出ていたようなので僕も個人的に調べて
いたんですよ。 ギリシャに住んでるそうじゃないですか、彼女。
ギリシャといえば、聡美が・・いえ、奥さんが、以前暮らしていた男性の
国籍ですよね。貴方達の間で何か有ったんですね?」
「・・・・」 和彦は頷いた。「彼女が、この数日、日本に帰ってる
んです」
犯人からの電話を逆探知するための装置が据え付けられ、2人の刑事が
そこに残ることになった。 隆士は、年輩の刑事と一緒に帰っていった。
いつもはしゃいでいる美実の姿を失った家の中、キッチンテーブルの
上にクマの縫いぐるみが置かれている。 流し台の食器入れの中に
見える美実のプラスチックのコップ・・。 聡美は、頭を抱えたまま
そこに腰掛けている。
和彦は、思い切って口を開く。
「もしかしたらだけど・・・」
「え?」 聡美が顔を上げる。「貴方なにか知ってるのね?」
「うん」 和彦は、聡美の向かいに腰掛け、彼女の両手をギュッと握り
しめた。
「君は驚くかもしれないけれども・・僕は」
聡美は、真剣な眼差しで彼を見つめる。
「実は、君の友達の岡島遙香と7年つきあってた」 うち明けてしまう。
「・・・・」 混乱する聡美。 和彦の言うことが理解できない。
「・・遙香・・? え?」 聡美の知る唯一の遙香という人物、その
顔を思い浮かべる。
「・・遙香? 遙香とつきあっていた・・って、そう言ったの?」
「僕は、彼女が大学4年の夏につきあい始めた。
実は、その前の年に君にも会ってるんだ。 梅雨時の新宿でセカンド
バッグを落として、それを君に拾ってもらった、憶えてる?」
「・・え?」
聡美は必死に思い出そうとした。 そんなことがあっただろうか。
思い出せない。
「貴方が私をそんなに前から知ってたなんて・・・」
「遙香との出会いは、偶然だった。まさか君の友達だとは知らなくて・・。
でも、つい2〜3年前に遙香の部屋の戸棚で水玉模様の傘をみつけたんだ・・
あの頃君が持ってたのと色違いの・・。そう、それで知ったんだ、遙香は
雨の日に君と一緒に歩いてた女の子だったんだって・・」
「水玉模様の傘・・。 遙香と色違いの・・? 貴方、私を尾行してたの?
信じられない !」 驚愕する聡美。
「いや」 和彦が首を振る。
「たしかに最初の1日はつけていたんだ。映画館、レストラン、大学のキャン
パス。 でもその後は、君を見失ってた。ずっと会いたいと思ってたんだ。
君に・・・!」
「遙香といつまでつきあってたの?」
聡美は、自分のきづかないところで自分の運命を大きく変える出来事が
有ったことを知る。
「たしか・・96年の7月だった・・」 和彦は出もしない鼻をすすった。
聡美の目が大きく見開かれた。
ストラティスが強制送還されたのが96年7月。 その時にまだ遙香は
和彦とつき合っていたのか。 それとも、ストラティスとの事が原因で
ふたりは別れたのか。
和彦は、爪が食い込むほど拳を強く握りしめた。
「聡美、僕が愛していたのは君なんだ!」
事実が徐々に明かされつつある今、その言葉は聡美の耳に入らない。
「・・全部話して!」 次第に感情的になる彼女の声。
「わかった」 大きく深呼吸する和彦、誤解を避けようと言葉を探す。
「・・今言えること、僕は君を失いたくないっていうことだ。
ずっとこれからも君と暮らしていきたい。 美実とお腹の子と4人で
幸せな家庭を築きたいと思ってる・・」 それ以上確かなことは何もない。
「貴方が遙香とそんなに長くつき合っていたなんて。信じられない。
ねえ、ストラティスを強制送還においやったのは、貴方なの、
遙香なの? どうしてストラティスは怪我を負ったの?
どうして遙香は、彼と暮らしているの? あの二人は愛し合って
結婚したんじゃないの?」
「・・・・」 暫く黙り込む和彦。
「遙香は、ちょうど君が美実を妊娠した頃、僕の子を身ごもった。
でも僕が生まないでほしいと頼んだ。ところがその直後、事故で彼女
は流産してしまったんだ・・それがきっかけで子供のできない体に
なってしまったのかもしれない」
聡美の顔がますます歪んでいく。
「君の友達から聞いたんだけど、遙香が今こっちへ帰っている!」
聡美は、今まで知らなかった自分を巡る複雑な人間関係に困惑した。
「なんでずっと遙香が私を避けていたのか・・今ようやく分かった。
彼女、私を恨んでいたのね・・。 貴方の私への気持ちを知って、
どれだけつらかったか。遙香は、和彦さんの事を愛していたんだわ。
その彼女が、ストラティスとつき合っていたなんて嘘・・。彼の事、
通報したのは、貴方?」
和彦には、過去の真実などどうでもよかった。自分は聡美が好きなのだ・・
それだけが伝われば、あとはどうでもいい。
「そうだ」 和彦は、思わず頷いてしまった。
「君がどうしても欲しくて、僕が通報した。ストラティスから君を奪うために」
つくり話は続く。
「遙香は、僕を諦め、君への腹いせのために、ストラティスを追いかけて
ギリシャへ向かった。 その後の経緯は知らないよ。 とにかくストラ
ティスも遙香を選んだ、それで入籍したんだろう。 だから君への連絡
が途絶えたんだ」
聡美は、ため息をついた。
「何が本当なのか分からない・・。 貴方は、人の運命をまるでチェスの駒み
たいに動かして。私と遙香の友情も引き裂いたんだわ・・。
ああ、なんてこと・・! 」 頭をかきむしる聡美。
「それより・・・実美を取り戻さなきゃ・・・・犯人は遙香かしら」
聡美は、和箪笥の一番上の引き出しを開けてみた。
和彦が近いうちに海外旅行でもしようというので、美実と自分のパスポート
をつくっておいたのだ・・。
「あ・・美実のパスポートが」
「え?」 聡美のそばに歩み寄って中を覗く和彦。
「ここに3人のパスポートが入れてあったはずなの。 美実のだけ
無い・・」
「彼女は、美実をギリシャへ連れていくつもりなんだ!」
その時、電話が鳴った。 聡美が受ける。 そばに刑事が駆け寄る。
「・・遙香?」 いきなり彼女の名前を呼ぶ。
「・・聡美・・」 相手も聡美の名前を返す。
「遙香、お願い、美実を返して」 聡美が懇願する。
「・・・・」
「聡美、今空港にいるの」
「え? ねえ、美実をどうするつもりなの?」
「・・・・」
「聡美、美実を私とストラティスにちょうだい」
「え? 」
「私が美実を育てる。 いいでしょう?」
「遙香、いきなりそんなこと。 美実はどこ? ねえ、出して」
受話器から少し離れたところで、小さな子供の声がする。
「ママ、ママ」と言う聞き慣れた美実の声だ。
不安と同時に、ひとまず美実の所在が知れて聡美は胸を撫で下ろした。
刑事は、急いで署に連絡した。「空港です」
「これからギリシャへ帰るからね。聡美も魚住先生と幸せにね」
そう言って遙香は電話を切った。
「遙香、遙香・・・」
それから少ししてドアのチャイムが鳴る。
訪ねてきたのはサキスだった。
部屋の奥に目をやるサキス。 聡美が玄関先に出ていく。
「あ、サキス、ねえ、遙香が美実を連れていってしまったの。
彼女、ギリシャへ帰るって・・・」
聡美は、彼の目をみつめるうちに何か懐かしい物を感じた。
その視線、温かい。 聡美をいとおしそうに見つめる目。
これは・・・・サキスではない。
「貴方は・・」
「しーっ」 唇に人差し指を当てる。
彼の目配せから伝わるメッセージの意味を聡美は感じた。
「魚住さん、ちょっと近くまで来たので寄ったんですけど、
今日は失礼します」
「貴方、ちょっとそこまでサキスを送ってきます」
「聡美、待って・・・」 和彦が引き留めようとする。
「すぐに戻りますから」 聡美は、サンダルを履いてサキスと出ていった。
エレベータのドアが締まったとき、聡美は迷わず言った。
「ストラティスね、そうでしょう?」
彼は、無言で聡美を抱きしめた。
「どうやって来たの? いつから日本にいたの?」
「サキスのパスポートを使って来たんだ。 強制送還された直後に
そうしておけばよかった」
エレベータは1階に着いた。 聡美は、彼の手を引いて、ちかくの
公園へと歩き出した。 互いに微笑み合う視線の中に心地よさを感じている。
何も言わなくても全てが伝わりそうなので、暫くどちらからも言葉を発する
ことなく、だまって歩いた。
公園のベンチに腰掛ける。 頭上のライトが二人の顔を明るく照らして
いる。
「聡美、僕は、ずっと記憶を失っていた。 この数週間の間で
すべて元に戻ったよ」
「ストラティス、わたし・・」
「魚住さんと結婚したんだね」
「貴方も遙香と・・・・」
「んん? うん」
お互い見つめる相手へと心のすべてが湧き上がってきそうだった。
なぜ、こんなことに・・・。
「遙香が美実を連れていってしまったの、ギリシャへ戻るって、
さっき空港から電話があったの」
「・・僕も娘に会いたい」 ストラティスが目を細める。
「貴方、これからも・・遥香と?」
「・・・・」 ストラティスは、聡美の顔をジッと見つめた。
「聡美、相変わらず美しいね」 懐かしそうに微笑んで思わず唇にキスする。
聡美は、彼の腕を引き寄せてもう一度口づけをする。
お互いにひっしと抱き合った。 聡美の肩に顎を乗せながら、
ストラティスが言う。
「遙香は、よく僕の世話をしてくれた。 心の支えにもなってくれたよ」
ストラティスは、聡美の顔を見て、
「君は、魚住さんと結婚して幸せかい?」と訊く。
聡美は、余りの懐かしさに、ストラティスと離れたくない思いで
胸がいっぱいだった。 かつての二人の思い出が鮮明に甦ってくる。
「今、このまま貴方と・・・」 聡美は、彼の胸に顔を埋めた。
「・・ストラティス、私たち魚住にはめられたのよ、遙香も、遥香も・・
あの人と・・・」
ストラティスが、聡美の肩を掴んで彼女をみつめながら首を横に振る。
「僕は、ギリシャへ戻って遙香と暮らすつもりだ。もう一度だけ君に
会っておきたかったんだよ。 聡美、君のお腹には、すでに魚住さん
の子供がいるそうじゃないか。 彼と幸せになるんだ。」
そう言ってにっこり微笑んだ。
「でも・・・・」 目を潤ませてみつめる聡美。
「大事な美実をこんな風に君から奪ってごめんよ。でも今、僕らに彼女を
預けてほしいんだ・・。その方が君だって魚住さんとやり直せるだろう。
実美は、僕らが育てるから」 ストラティスは深く頭を下げた。
「でも、美実は・・・」
「僕と美実は親子だから。 僕の両親は、今じゃ遙香を聡美だと信じてる、
美実が長いことそばにいないことを不思議に思い始めてる。
もしこの先遥香に子供ができたとしても、きっと大事にするから・・・」
「・・考えられない、・・わたし」
聡美の目から涙がこぼれ落ちる。
聡美は決して頷かなかった。 けれども、美実はストラティスの子であること
には違いない。 聡美は、ふと彼の襟元をめくり肩を覗き込む。
ウズラの卵大のあざがそこにある。 間違いない、ストラティスだ。
ただ遙香の腕に抱かれたいとしい娘を思うと、不安でならない。
「いつから日本に?」
「年末にサキスがギリシャへ戻って、僕は正月明けに来た。ときどき
君の姿も見かけたし、魚住さんと仲良く歩く姿も見たよ」
「ねえ、私たちの生活を取り戻しましょう。だって、・・・貴方が送還される
その日まで私たち・・。 他の人に振り回されたままでいいはずがないわ・・。
貴方だって、そのために日本に戻ってきたんでしょう・・・。
そうでしょう?」
今遙香の立場に自分が納まるべきだ・・たぶん、遙香だって、聡美のいる場所
に留まりたかったに違いない・・すべての人の糸が互いにもつれているのだから、
ほどき直せば・・・。
ストラティスは首を横に振り続ける。
「Hey, everything was a test of time, and we lost. The game's over now.
聡美・・。これでいい。 遥香は僕を、魚住さんは君を必要としてる。
守るべき相手がお互いに変ったんだ。君も一瞬一瞬を自分で選んで進んできた。
その結果が今じゃないのか。」
ストラティスは、聡美を叱咤した。
その後で、運命に身をゆだねることを余儀なくされた流人のように寂しげにほほ
えんだ。
「ストラティス・・・ごめんなさい、ごめ・・」
「・・謝らなくていいよ、しーっ、It's O.K. 」
聡美の背中を軽く叩きながら抱きかかえる。
「貴方、正式に離婚できたのね」
「遙香が・・・」
「あの時私にもっとお金があったら、私たち・・」
首を横に振るストラティス。
「もう帰るよ。 サキスが入れ替わってくれているから」
立ち上がるストラティス。
「さようなら、聡美、my love 」
聡美を今一度強く抱きしめた。
寸分でも相手の気持ちを疑った自分への報いに違いない・・・。
「あの頃もよく貴方の女友達に嫉妬して・・」
"Damn it." 思わず口走るストラティス。
「君と出逢った日から僕の視界には君しか映らなかったもの。君が他の男に
取られるんじゃないかと心配してたのは僕のほうだよ! See ?」
“そして実際に・・” 眉を上げてそういいたげな表情をする。
"Satomi, I saw other women in the world through you,
and I saw you through other women in the world."
「・・ストラティス、なんていったの?」
「さようなら」
「ねえ、美実を私に返して・・」
「決めたら振り向かない、チャンスは一度きりの真剣勝負だよ」
ストラティスは手を振りながら去っていった。
☆
部屋に戻る聡美・・・。
眠りから覚めたばかりのようにぼおっとしている。
「聡美、おかえり」 和彦が聡美を出迎えた。
奥で刑事が電話を使っている。
やがて刑事は、受話器を置いて二人に告げた。
「遙香パパンドレウという乗客を乗せた、フランクフルト行きの飛行機が
今、成田を立ちました。子供を連れています」
聡美は、へなへなとその場にへたり込んだ。
(つづく)
(話の続きへ)
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