41.双生児
10月の第二土曜日。
聡美は、この日から商店街の花屋で働き始めたが、
数ヶ月前からいる浅川美登利がいろいろと教えてくれるので
助かった。 浅川は、聡美と同じ29だった。
「私ね、半年前に離婚して、2歳の息子と暮らしているの。
平日は、保育園に預けているんだけど、土曜日だけ
別れた夫のところへ送っていくのよ」
「私は、まだ子供を生んで2ヶ月だけど、週末は母に甘えてばかり。
まだまだ未熟ね」
「それでも大変でしょう。 夜だって何度か起こされるでしょう」
「ええ、だから仕事は土日だけ・・。 うちもね、今子供の父親
が国に帰っているのよ」
「え? 国際結婚なの? いいなあ」 浅川は羨ましがった。
聡美は微笑んでいたが、その表情には陰りがあった。
ストラティスから、電話も手紙も返ってこない。
その月の15日。 聡美は、美実を抱いて庭に立っていた。
ふと横目でフェンスの外を見たとき、見覚えのある影が通り過ぎた
ような気がして、思わず道路へ飛び出した。
男が聡美の家の玄関のほうをうかがっている。
「あの何か?」 聡美が声を掛けた。
男が振り向いたとき、聡美は、懐かしさでいっぱいになった。
「ストラティス!」 彼女は駆け寄った。
「・・・・」
ところが相手は初対面の人間でも見るかのように首をかしげている。
“Are you Satomi by any chance? ”
男が英語で話しかけてきた。
もしかして聡美さんですか?と訊いている。
"Sure , You're Stratis, aren't you?"
「そうよ、貴方はストラティスでしょう」
彼女も、3ヶ月ぶりに頭を英語モードに切り替えて問いかけた。
「ストラティス、冗談は止めて。貴方どうやって戻ったの?」
聡美は、彼の腕をつかんだ。 しかし親しみのこもった視線は、
返ってこなかった。
「私は、ストラティスの双子の弟、サキスです」
え? 彼に双子の弟がいた?
聡美は、彼にからかわれているのではないかとまだ疑っている。
しかし強制送還された外国人が3ヶ月後に日本に再入国できるはずがない。
サキスは、聡美にパスポートを開いて見せた。
サキス・パパンドレウ・・確かに別人だった。
「今、彼は? ストラティスはどうしているの?」
彼のその後の安否が知りたい。
「それが分からないんです」
サキスの声、表情、まるでストラティスのようだった。
「8月に、 “島巡りに出かける”と家にメモを残したまま音信不通
なんです。 多少の着替えを持ち、軽装で出かけたようなんですが」
それから、サキスは、まだ首の座らぬ美実をそっと自分の胸に抱き抱え、
「兄が見たらどれだけ喜ぶか、兄の子供の頃によく似ている」
と言って微笑んだ。 聡美の胸がじーんと熱くなった。
その夜、晴彦も滋実も康平も、彼の姿を見るなり飛び上がって驚いた。
「ストラティスさん、どうして教えてくれなかったのかしら」
滋実の視線がサキスに釘付けになっている。
「小さい頃はいつも一緒でした。 でも、十代くらいから意識して
別行動をとるようになり、敢えて違うことばかりしてきました」
「そうそう、何かの本で読んだことがあるよ」 康平も面白そうに
サキスを眺めている。
「双生児って一緒に暮らしていると反発して少しずつ独自の個性を
持つようになるって。逆に生き別れになったケースのほうが考え方や
行動パターンが似てくるんだ」
聡美は、サキスが首を傾げる度に、母や弟の言葉を通訳しなくては
ならなかった。
晴彦が、タバコの煙を吐きながら、
「それにしても困ったものだな、ストラティス君は、無責任だ」
と不満を露わにする。
「兄は、責任感の人一倍強い男です。何か有ったのだと思います」
サキスが立ち上がって訴えた。
「じゃ、もし彼になにか有ったとしたら、君が責任をとってくれると
言うのか」 不機嫌そうにタバコをもみ消した。
「親爺、責任って何なんだよー」 康平が呆れて晴彦に言う。
「サキスさんだってお兄さんのことを心配している立場なのよ。
こうして聡美に知らせに遠い日本まで来てくれたんだから、
しばらくうちに居てもらいましょう」 滋実が晴彦をなだめた。
「もし何かに巻き込まれているとしたら、今頃どこでどんな思い
をしているのか・・」 聡美は、沈痛な面もちでたたずんでいた。
それから1週間ほど菊谷家に滞在して、東京見学や兄の仕事先への
挨拶を済ませた後、サキスはギリシャに帰っていった。
「聡美さん、私はまたこちらに来ます。 前から日本に興味が
あったんです。 本格的に日本の剣道も学んでみたいし、
きっと戻ってきます」 と決意していた。
「ストラティスのこと、何か分かったら教えてね」
「はい」
聡美は、全てを託すように、彼の飛行機を見送っていた。
(つづく)
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