@わたしは妊娠している!

2004年のチャイニーズ・ニュー・イヤー(1月22日、23日)前、わたしは熱心に大掃除をしていた。
チャイニーズの人たちにも、わたしたちと同じように「大掃除をして新年を迎える」という習慣がある。 いつも不真面目にチャイニーズ・ニュー・イヤーに参加しているわたしが、なぜきちんと チャイニーズの習慣にしたがっているのか。それは、「子供が欲しいから」であった。

わたしは2003年の11月に31歳になった。わたしは、年齢が「31」であろうと「45」であろうと、 大事なのは外見と心だと思っているから、別に31という数字がこたえたわけではないが、初産は 35歳までに済ませたいと思っていた。30歳のうちは、「どっちかっていうと20代に近いもんね〜♪」と 気楽に構えていたが、「31歳」という数字を改めて考えてみると、妊娠をしてから子供を産むまでに10ヶ月 。それに、子供が欲しいと思っても2〜3年かかることなんて珍しくないし、 もし不妊症だということが判明すれば、治療にも時間がかかる。すると、もう一刻の猶予もないのでは、 といきなり焦った。2003年の3月に仕事を辞めて以来、のんびりと好きなように過ごし、今まで自分の 時間がなかった分、子供を産むまでに楽しみたいと思って、子作りは先延ばしにしてきたが、 この誕生日に31歳になったことを機に、一気にわたしの子作りへの情熱がメラメラと燃えてきた。 そういうことを夫とも話し合い、じゃあそろそろ子供を作ろうか、ということになった。わたしは「2004年 に産むぞーっ」と目標を定めた。

2004年は、わたしたち夫婦にとって、大きな2つの願いがあった。まず子供が欲しいということ、 そして夫の会社がうまくいきますように、ということ。順調にいけば、夫の会社にとって大きな飛躍の年に なるはずである。 そこでわたしはふと思った。夫は毎日頑張って働いている。目標に向かって実質的な努力をしている といえるだろう。でも、わたしは、毎日ダラダラと過ごし、なんだか夫に申し訳ない。そこで わたしが考えたのが、「大掃除をする」ことだったのだ。
これはつまり、「いい年を迎えたい」と思い、「幸運が舞い込んでくるにはどうすればいいか」→ 「家をきれいにして風通しをよくし、花を飾って幸運を呼び込もう」という結論に至ったのだ。 わたしとしては普通に考えたら自然に考えがそこに行き着いたのだが、よく考えてみれば、これは 風水だ。きわめてチャイニーズ的な発想である。夫の実質的な努力に比べて、なんとなく不確実で 他力本願的な努力かも、と少し思ったが細かいことは気にしない。大事なのは、何かわたしにできることを することである。
「きれいにして新年を迎える」というのは日本人もやっていることだから、別に2003年の暮れに大掃除を してもよかったのだが、いつでも真夏のマレーシアでは「暮れも押し迫って」という感慨が全く沸かない (ある年なんか、大晦日の夜に偶然NHKをつけて、少し豪華な衣装で歌っている 浜崎あゆみを見て、夫が「あれ、これって、紅白なんじゃない?」と言ってから大晦日であるという事実に 気付いたくらいである)。 よって、知らないうちに大晦日になっていたりするので、2003年の暮れも、ついうっかりしていたら いつの間にか年が明けていて、機会を失ってしまったというわけだった。でも、ちょうどいい具合に1月22、 23日がチャイニーズニューイヤーだったので、 よっしゃ、この時までにきれいにするぞ、と思い立ったのである。

夫はこの時本当に仕事が忙しかったので、わたしは休日に夫の手を借りたりせず、一人でやった。当然 一日や二日では終わらないので、毎日やる場所を決めて、10日間ぐらいかけてやるつもりであった。
この間、本当にわたしは頑張った。普段も毎日、家中掃除をするのだが、それに加えて、窓のガラス 拭きなどの+αの掃除も毎日やった。普段は、夕方に一時間程度休憩を とるのだが、この時は、夕飯を作るまで休まず働いた。普段は開けないベランダのドアを開けて 風を通した。今までの人生で、一番肉体労働をした数日間だと思う。
それだけ頑張れば、当然体は極限状態まで疲れる。2〜3日それを繰り返したら、ごく少量の出血が あった。生理が来たと思い、「あ〜あ、今月も子供はできなかったかあ。掃除頑張ったのにな。」とがっかり したが、様子がいつもの生理とは違って、毎日微量の出血のみであった。
大掃除を始めて1週間ぐらい経った日。「う〜〜ん、なんだか体がだるい。微熱もあるし。今日は大掃除 さぼっちゃおうかな。」と思って休んでいた。大掃除は8割がた終わっているので、今日一日さぼったって まあいいだろう、と思った。でも、次の日もその翌日も熱は下がらなかった。
実は、ほかにも、わたしの体に変化があらわれていた。実は胸が少しだけ大きくなっていたのである。 もちろんブラはいつも同じサイズのものを買っているが、メーカーや製品によって多少違いがある。 だから、中にはカップが少し(少しだけだよ)余っているものがあるのだが、それがぴったりになって 来ていたのである。産後は胸がかなり大きくなることは知っていたが、妊娠していたとしても、 そんなにすぐは大きくならないだろうと思っていた。しかし、後で本で読んだところによると、妊娠中に、 2カップ以上(この2カップというのは、当然400ccのことではない)大きくなるということなので、 この時期に、ちょっと余裕のあったカップがぴったりになるぐらいは別に不思議でもなんでもないのだろう。

チャイニーズニューイヤー2日前。 大掃除をストップしてから微量の出血は止まっているし、生理もない。微熱があって体がだるく、 胸が少し大きくなっている。わたしは生理がちょっと不規則なので、少し遅れた=即妊娠 とは思わないのだが、ほかの兆候もあるし、この時点で、「妊娠しているのでは」とかなり強く思い始めた。 そうなったら、もう大掃除なんてどうでもよくなって、夫に「妊娠していないのなら、わたしは病気だから、 病院に行かなきゃ。とりあえず、 妊娠判定テスターを買いに行こうっ」と詰め寄った。

そしてチャイニーズニューイヤーイヴ。薬局で妊娠判定テスターを手に入れた。*1 わたしは、イヴのディナー (家族が集まり夕飯を食べるのだ)が終わり、夫の両親が帰った後、気持ちを落ち着かせてから検査を してみた。説明書には「尿をたらして3分待ってください」と書いてあったが、3分待つまでもなく、 尿が染み込んだ瞬間、くっきりと「陽性」を示していた。

*


夫の母方のおばあちゃんは、一言も英語が話せないので、 広東語で「元気?」「元気」「それはよかったねえ」(わたしの広東語の限界)ぐらいしか話さないのだが、 2003年のチャイニーズニューイヤーに会った時、義母が「マユミ、おばあちゃんが話があるんだって」と 言った。英語が話せないから、話っていっても話せないのになー、と思ったら、おばあちゃんはたった 一言、英語をしゃべった。
「ベイビー?」
チャイニーズの人たちにとっては結婚したらすぐ子供を産むのは当たり前みたいだ。でもわたしのまわりの 人たちはそれまで別にうるさいことを言わなかった。我慢して7年、我慢の限界だったのだろう。 友人たちは、「それってお義母さんがおばあちゃんに言わせたんじゃないのー(笑)」と言っていたが、 そうかもしれない。
それからちょうど一年、わたしのお腹の中にベイビーがいることが判明した。

わたしの体の変化を考えてみると、体って正直なものだと思う。わたしはチャイニーズニューイヤー前に、 かなりいろんな兆候があったから、妊娠していると思ったが、実はそれより前にも、妊娠した、 とかなり強く思ったことがある。2003年の12月のことだった。逆算してみると、多分ちょうど受精した頃 だと思う。
夜寝ていたら、急に下腹部から気持ち悪さがぐーーっとこみ上げてきた。20秒ぐらい続いてすぐに 治まったが、それは異物感であった。わたしの下腹部に、何かわたしじゃない物体がいる。この時、
「わたしは妊娠している!」
と確信したのだ。後から考えてみると、その直感は正しかったと言える。

わたしが妊娠を知ったとき、お腹の中の赤ちゃんは、まだ1cm程度の胎芽(胎児になる前の状態)だった。 1cm。本当に小さいなー―、小さいんだけど、命なんだなあー、と思った。わたしはこの小さな胎芽に 「ちびちびちゃん」*2 という愛称をつけた。


*1英語で言うと、「Pregnancy Test」。薬局でRM12ぐらいから。
*2この時わたしは、「本当に小さいなあ」という気持ちから自然にこの 愛称が浮かんでだのですが、しばらく後で江國香織さんの本を再読したら、江國さんの妹さんのことを、 彼女の家族がそう呼んでいたことが書いてありました。昔読んだものが記憶の底に眠っていて、 この時ぴょん、と浮かんできたのかもしれません。


Oct 15, 2004

「マレーシアで妊娠・出産」トップに戻る
NEXT