Gいいお産のために

わたしは、妊娠していると分かる前から、漠然と「自然分娩をして、母乳で育てたい」と思っていた。
というのは、妊娠・出産に限らず、何事においても「自然というのは、うまく出来ているものである」 と思っているからである。
人間はもう何百万年という月日を生き長らえてきた。その間に、当然、より生きのびやすいように 進化しているはずだ。人間も自然の一部である以上、自然に従ってお産・育児をするのが一番自然で いいことなのだろう、と感じていたのだ。

お産は痛いものである。もちろん痛いのは誰だって嫌である。
もし、出産が全く痛みを伴わないものだったら、女性の恐怖心は緩和され、もっと気軽に 出産をする人が増えるであろう。そうすれば、人類はますます繁栄する。しかし、遺伝子は、 そうは働かなかった。現代でも、お産は痛いものだ。
とすれば、痛いこと、赤ちゃんが狭い産道を苦しんで通ってくることには、意味があるに違いない。 わたしはそう考えた。それに、麻酔などをすると、赤ちゃんに影響があるとする研究結果もある。 だから、何か問題が起こらない限り、なるべく自然に産みたいと思ったのだ。

また、日本でもそうだが、マレーシアでも働く母が多いせいか、母乳率が低いようである。 本などを読むと、「母乳で育てたいけれど、出ないから」という理由で粉ミルクをあげている人も 多いようである。しかし、出産後からすぐ出て出て困るという人は稀らしい。赤ちゃんが一生懸命 吸って、何日後かに出るようになるのが普通だということだ。
ではどうして「自分は出ない」と思い込む人が多いのか。それは、出産後、母子別室にしてしまって、 授乳の機会を奪われているかららしい。母子別室にするのは、「出産で疲れているお母さんを 休ませてあげないといけないから」「感染を防ぐ為」などとという理由があるかららしいが、 本来哺乳類は、赤ちゃんが誕生した後に、お母さんがずっと世話をしてあげるものである。 「感染」という理由に関しては賛否両論あるらしいのでなんとも言えないが、 赤ちゃんの世話もできないほどお母さんが疲れてしまっているのは、 自然の姿からかけはなれているのではないだろうか。もちろんお産というのは体力を使うので、 お母さんが疲れているのは当たり前だし、だからこそ家族が助け合ったりして乗り切ったのだろうが、 粉ミルクがない時代は、赤ちゃんはお母さんのお乳を飲まなければ生きのびられないのである。 現代のお母さんたちが、出産後にお乳をあげる元気もないほど疲れてしまうのは、なぜか。

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もうひとつ、「いいお産」を考えるきっかけになったのは、7ヶ月の頃、作成したバースプランを医師と 話し合ったことだ。
「会陰が切れるぐらいなら、切開した方が治りも早いし、傷跡もきれいだし、いい」という日本での 定説を、疑うことなく信じていたわたしは、「切開は、できればしたくないけれど、裂けるぐらいなら 切って欲しい」と告げた。すると、C先生は、「切開よりも、裂傷のほうがいい」と言ったのだ。 「どうしても裂傷がいやだというなら、切ります。日本ではほとんど切るみたいだね。でも、悪いけれど、 日本の医者は間違っている。最近の研究では、裂傷のほうがいいという結果が出ている。 切開は、ざっくり切るけれど、裂傷の場合は、必要な分だけ裂けるからだ。 わたしも学生時代に習ったことと正反対の意見に初めは戸惑ったけれど、今は裂傷の方がいいと 思っている。君のおばあちゃんの 時代は、家で産んで、裂傷ができたってほとんど縫わずにそのままだったんだよ。それが自然なやり方 なんだよ。」お医者さんはそういうようなことを言った。そして、「これを読みなさい。それから インターネットでもいろんな情報が入手できるから、調べて、もう一度よく考えなさい。」と言い、 新聞記事のコピーを渡してくれた。それには、切開するグループと、切開しないグループに分けて、 それぞれの出産後の回復度などを調べていった研究のことが書かれていた。切開しない グループの方が明らかに回復が早く、切開した人の中には、一年後も痛みを訴える人がいたという。
わたしは、日本のお産の本を何冊か読んで「切開のほうがいい」と思い込んでいたので、 これは大変ショックであった。なぜ、今の日本ではこんなに会陰切開がまかり通っているのだろう。 そもそも、何十年か前までは行われていなかったことが、現在「必要」になってしまったのは、なぜなんだ ろう。

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ということで、わたしは本を読んだり、インターネットで調べたり、友達と話をしたりして「いいお産」、 そしてできれば「会陰切開をせず裂傷もできない、そしてなるべく早く産む方法」 についての情報を集め始めた。
すると、それまでは「陣痛の時間は、自分の努力ではどうしようもない」と思っていたのだけれど、 どうも早く産むコツがあるらしい、ということが分かった。
それは、
とにかくよく動き、歩く。体重が増えすぎると産道に脂肪がつきすぎて赤ちゃんが通りにくくなり 時間がかかったり、微弱陣痛になりがちなので、体重が増えすぎないようにする(できれば8kgまで)、 また、体重が増えすぎると巨大児になり、会陰が裂けやすいので、赤ちゃんを少し小さめにするためにも 体重制限は大事である、
ということであった。昔は妊娠中といえども、嫁は大事な働き手、 農作業をずいぶんやったのだろう。しかし、現代では栄養状態がいいし、あまり動かなくなったので 体重が増えすぎる妊婦が多く、全体的に難産傾向にあるらしい。そういうことが分かってきた。

陣痛が短い方がわたしは楽なので、もちろん生まれるのが早ければ早いほうがいい。しかし、わたしは 赤ちゃんへの 影響を恐れて、麻酔などの薬を使わず自然分娩をしたい、と思っていたので、もし難産になって 長い間苦しんでも、わたしが耐えれば済むことなら、ちびちびのために我慢しようと思っていた。
しかし、途中で、陣痛が短くて楽なお産であれば、赤ちゃんにとってもメリットがある、と思うように なった。陣痛が長引くとお母さんが体力を消耗するので、どうしても医学的措置をとる必要が出てくる かもしれない。その過程で薬が使われたり、出産後も母子別室になる可能性が高くなる。
だから、わたしはお腹のちびに、
「水ようかんみたいにつるる〜ん、と出ておいで、できれば2時間ぐらいで。そうすれば、 生まれてきた後、わたしたちはずっと一緒にいられるよ!」
と毎日話しかけた。ただ自分が楽をしようという理由ではなく、ちびちびにとってもメリットがある と分かれば、彼の方も努力してくれるかも・・・と思ったのだ。

また、会陰に裂傷が入らないようにするには、たくさん立ったり座ったりするといいとどこかで読んだ。 そうすると、会陰がよく伸びるらしいのだ。だから、トイレの壁をそうじしたりとか、スクワット をするといいと言うようだ。また、よつんばいの格好がいいので、拭き掃除をするといい、というのは、 昔から言われていることだ。

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わたしは、赤ちゃんが産まれたら、誰かに預けたりせずに、自分で育てたいと思っていた。 また、「子育ては胎児の時から始まっている」とも 考えていたし、つわりなど体調の不安もあったので、「妊娠が分かってから仕事を辞める」 ということはせず、完全に辞めてから子供を作り始めた。余裕を持って妊娠・出産にのぞめるように、そして、 赤ちゃんのために出来る限りのことをやれるように、そうしたかったのだ。
だから、わたしは言わば「フルタイム妊婦」であった。妊婦としてやったほうがいいことはできるだけ やろうと思った。

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ということで、まとめると、いいお産をするために、普段の生活で次のようなことに気をつけた。
  • 家事をいつにも増して頑張る。
  • 拭き掃除をする。
  • 毎日犬の散歩をする。
  • 立ったり座ったりの動きをなるべくするために、庭の草取りをいつもよりたくさんやったり、 窓拭きをするときは縦の方向に拭いていく。
  • 食事は日本食を中心に、いつもの7〜8割を目安に食べる。(気をつけなくても、胃が圧迫されて、 あまり食べることができなかった。)

また、バースプランに次のような内容を盛り込んだ。
  • 会陰切開はしない。
  • 自分で産むときのポーズを選べる。(この二つは、会陰切開をしたり裂傷があると 傷が痛むので、座って母乳をあげるのが難しくなるから。通常の仰向けの姿勢ではなく、 裂傷ができにくく、産みやすいポーズを選びたかった。)
  • 分娩後30分以内に、赤ちゃんにお乳を吸わせる。(その後2時間ぐらい、赤ちゃんを胸の上にのせて過ごす。 これは、そうすることにより母子の絆が強まるという研究結果を読んだことがあるため、そうしたいと 思った。)
  • 出産当日から母子同室にして、機会があればどんどんお乳を吸わせる。
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4ヶ月目の終わりにやっとつわりが終わったわたしは、それまでの偏った食生活と、寝たきり生活で 弱った体力と筋力のせいで、フラフラだった。つわりが終わった途端、俄然食欲が出てくる ということもなかった。
それでもなんとか、普通の生活に戻ろうと努力をした。それまで週一回掃除に来てくれていた 義母に「今までありがとう、でももう自分で出来るから、来なくていいよ。」と言った。義母は、 「本当に大丈夫?わたしは暇だから、別に来てもいいよ。」と言ってくれた。正直言うと、その時 かなり心が揺れた。週一回でもモップをかけてもらったら、楽だろうなあ・・・。
いや、しかし、安産の秘訣は「よく動くこと」だと言われているではないか。そんなことが頭を かすめたので、気を引き締めて断った。
それからは、無理をしないよう、少しずつ家事を再開した。今まで一日でやっていたことをやるのに 3日ぐらいかかったが、なんとか続けているうちに、体力が戻ってくるのが分かった。
家事をしつつ、今まで会えなかった友達と会い、妊娠前の日々に近い状態に戻っていった。

安定期と言われる5〜7ヶ月にもマイナートラブルがあったが、8ヶ月ぐらいから、体調が随分 よくなったので、毎日の運動量を少しずつ増やしていった。いつも通り掃除機をかけたりするのに 加えて、平日は30分から1時間ぐらい拭き掃除をした。9ヶ月に入ると、更に鉄格子やドア、窓などを 拭いた。普段は「いかに効率よく短い時間でやるか」ということを考えているのだが、この時は、 「家がきれいになるかどうかが重要なのではなく、わたしが必要な運動をすることが重要なのだ。」と 思っていたので、窓などを拭き時は、わざわざ上から下へ拭き、何度も何度も立ったり座ったりするように した。いつもなら当然横に拭いていき、楽をするところである。
他にも、床にモップをかければすぐに家中の拭き掃除が終わるものを、なぜこんなに時間をかけて ぞうきんがけをやらねばならないのだ・・・と思うと、バカバカしく思えたりしたが、 「ちびのため」と思い、汗だくになって掃除をする日々が続いた。
しかし、何事も頑張りすぎると続かないもの。週末は、これらのことをあんまり頑張らなかった。 掃除もほとんどさぼったし、ケーキもアイスクリームも食べた。適度に手を抜いたから、 続けられたのだろう。

そんなふうに、「もうこれで難産になっても、自然分娩できなくても、やるだけのことはやったから、 悔いはない」と思えるぐらい努力を続けて、臨月を迎えた。

Oct 15, 2004

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