Hいざ出産

予定日の2週間前から、急に体調が変わった。それまでは臨月といえども、とても元気で 動き回っていたのが、急に体がだるくなり、やたら疲れやすく眠くなった。「体がお産に向けて準備を 始めているな」という感じである。

そして、予定日のちょうど一週間前の日曜日。
少し出かけた後、帰宅して、昼寝をした。
起きてから、「あれ、なんだかお腹が痛い・・・?」と感じた。ごく軽い生理痛のような鈍い痛みが 20分間隔で来ていた。
「20分間隔ってことは、陣痛?でも、陣痛にしてはあまりにも痛みが軽い気がするし、おしるし(出産前の 出血。これが来るとその日のうちから2週間以内に生まれる)もまだだし、違うよね。」と思い、 夕飯の準備を始めた。すると、その痛みはいつの間にか消えていた。
しかし、その日一日中、痛みはないものの、なんだか子宮が活発に動いているのが感じられたので、 そろそろなのかなー、と思った。しかし、「そろそろ」から2週間かかるかもしれない。 いつ陣痛が来るかというのは、まさに神のみぞ知る。心配して来るもんじゃないし、来るときゃ来るのだ、 と思い、気にしないことにした。

さて、その日は夜の1時半頃に床に就いた。その後、うとうとして、痛みではっと目覚める、ということが 数回起こった。でも、「これって、陣痛にしては軽すぎるような・・・」と思い、眠気に勝てず そのまま再び眠りにつく、ということを繰り返した。しかし、それがさらに数回続いたので、念のため 間隔を確認したところ、15分置きに来ているということが分かった。しかし、「でもまだおしるしが 来てない」ということがひっかかっていた。もしかして、と思いトイレに行ったところ、おしるしが! この時、3時半ぐらいであった。
「ねえ、来たかも・・・。」
まだはっきりと確信を持てぬまま、夫を起こした。一通り状況を説明すると、夫は「もう行こう」 と準備を始めた。「でも、本当の陣痛か分からないよ・・・」と言いつつ、わたしも準備を始めた。
寝ている時だったので、当然パジャマから洋服に着替えなければならない。この時わたしは、
「何を着ていこう・・・」
と結構真剣に悩んでしまった。普段出かけるときのワンピースは、真夜中に出産しに病院に行くには おしゃれしすぎの気がするし、だからといって思いっきり気を抜いた格好をしてもなあ・・・、と 考えたのだ。そんなことは前もって考えておくべきだった。
結局、病院に着いたらどうせすぐに着替えるんだし、と思ったわたしは、ズボンとTシャツを着た。 そして次にしたことは、おにぎりを作ることだった。 陣痛の合間にお腹がすいたときに、炭水化物でエネルギーを補給するのだ。やはり日本人のわたしには おにぎりしか考えられない。しかし、病院に行く直前にあわてて作るはめになろうとは。いくらわたしでも そこまで無計画ではない。実は、いつでもすぐに持っていけるように、前の週に鶏ごぼう飯を一合炊き、 小さめのおにぎりを4つ作って冷凍しておいた。わたしと夫用だ。 そうすれば、病院に行く前に解凍して、のりを巻いてすぐ持っていける。
しかし、 つい2〜3日前に、ディナーがあるから夕飯はいらないと言った夫が電話をかけてきて、「ディナーが キャンセルになった。30分後に帰るんだけど、簡単なものでいいから夕飯作れる?」と聞いてきたので、 いいよ、と言ったのだけど、30分じゃご飯は炊けないので、そのおにぎり2個を解凍しておかずと一緒に 出した。すると、思いがけず「うまい、うまい」と夫に受け、「そんなにおいしかったのか・・・」 と思い、残りの2個を次の日のお昼ご飯に食べてしまった。
週末は忙しかったので、月曜日にまたおにぎりを作って冷凍しておこうと思っていたのだが、月曜日に なる前に、陣痛が始まってしまったというわけである。
幸い、小さなおにぎりが2個作れるぐらいのご飯は冷凍してあった。それを解凍しつつ、次にわたしが 悩んだことは、
「おにぎりの具は何にしよう・・・」
であった。わたしはつわりの時期にうめぼしおにぎりにはまってよく食べていたし、今でも好きだが、 陣痛中は酸っぱいものが吐き気をもよおすことがある、と知っていたので、すっぱくないもので、 手早く作れるものを、冷蔵庫の中身などを頭で検索しつつ、考えていたのである。
結局、佃煮のりと塩昆布のおにぎりを作り、入院用の荷物や、自分の枕やらの大荷物などを携えて 家を出たのは4時を少し過ぎた頃だった。車の時計を見つつ、
「あれ、なんだか陣痛が5分おきになってる・・・。」
と考えていた。

事前に陣痛兼分娩室を見せてもらった時に、看護婦にAdmission letterさえ持っていれば、電話をせずに 直接来てくれればいいです、と言われていたので、その通り、受付に直行した。 この時、4時半だった。わたしは部屋に入り、 分娩用の服に着替えてから、すぐにモニターをつけられた。夫はその間、手続きをしていた。
モニターをつけていた時間は30分で、それ以後は一度もモニターをつけられることはなかった。モニターに よると陣痛はすでに5分間隔、触診では子宮口は3〜4cm大ということだった。これが10cmまで 開いたときに、いきむことができるのだ。

モニターをはずした後は、助産婦も看護婦も出て行って、夫とわたしだけになった。この病院の 陣痛兼分娩室は、分娩台の他にシャワー室もある。わたしはスイートを選んだので、更にソファセットや テレビ、冷蔵庫などもあった。ここで自由に動き回ったり、テレビを見たり、好きな過ごし方をして 陣痛の痛みを紛らわせてくださいというわけである。
わたしが最初にしたことは、ソファに座って早速作ってきたおにぎりを食べることであった。 陣痛は来ているのでもちろん痛いのだが、「うーーん、今痛い。」とか言って、しばらく我慢していれば 大丈夫、という程度の痛みであった。わたしは夫と談笑しながらおにぎりを1つ食べ、 分娩台にとりあえず横になった。
わたしは「陣痛の逃がし方」を出産前教室で習ったので、いろいろ試してみたいという気持ちがあった。 そのひとつに、エクササイズボールに座る、というものがあった。これは体操用の大きいボールで、 出産のためにわざわざ購入した。しかし、妊婦体操にも使えるので、ずっと家で使っていた。 病院に来るときは、他にも荷物がたくさんあるので、夫が空気を抜いて、ふくらますためのポンプと 一緒に持って来た。
だから、横になったわたしに、夫が「ボールに空気入れて欲しい?」と聞き、わたしが「うん」 と答えたのは当然の成り行きであった。袋からゴソゴソとボールとポンプを出した夫は、叫んだ。
「あっ、栓を忘れた!」
栓がなかったら、いくら空気をいれても抜けていくだけである。使い物にならない・・・。このボールは、 ちょっとお尻や腰が痛いときに座ると、力が分散されるのか、結構楽であった。だから、陣痛の際には 活躍してくれるかも、と多大なる期待をかけていた。それなのに、肝心なものを置いてきてしまうなんて ・・・。
「どうする?家に取りに帰って欲しい?」
と夫は聞いたけれど、わたしはもうボールはいいから、そばにいて欲しい、と言った。陣痛のある時は、 旦那さんに当り散らす女性もいるらしいが、こんな致命的なミスを犯した夫に対しても別にわたしは 怒りがこみあげてきたりはせず、不思議ととても優しい気持ちだった。
ボールがないと分かったわたしは陣痛逃がしへの意欲も消え、そのまま横になっていた。5分おきに来る 痛みは、体の力を抜き、深呼吸すれば耐えられる痛みだった。途中、「マッサージしようか?」という 夫にしてもらったが、余計痛みが広がるような気がしたのでやめてもらった。次に、わたしの気を 紛らせようと思ったのか、話をしてくれたのだが、夫の言ったことがおかしくてちょっと笑ったら、 5分後に来るはずの痛みが、笑ったのをきっかけに3分後に来てしまったりしたので、黙ってもらった。役に 立たない夫・・・。その後は、静かに雑誌を読む彼に手を握っててもらって、5分ごとの痛みに 耐えていた。

6時前、先生が現れた。触診の後、「多分昼頃から午後2時ぐらいに生まれるでしょう。」と言った。 「大丈夫?痛みに耐えられますか?」と聞かれたので、大丈夫、と答えた。

その状態が朝の7時ごろまでずっと続いた。よく、陣痛の時は時間の経過がものすごく遅く感じられる、 というけれど、わたしはあっという間だった。5分間隔で来るので、それを数回繰り返したらもう1時間 経っていた、という感じなのだ。まあ、痛いことは痛いのだけど、耐えがたいほどの痛みではなかったので そう感じられたのかもしれない。

しかし、7時ごろ、「む、痛みが一段階アップしたな」と感じた。間隔がそれほどせばまっている ような気はしないのだが、確実にさっきまでよりは痛い。それまでは体中の力を抜く余裕があったのだが、 痛くて体に力が入ってしまう。さらに、中から赤ちゃんの頭がぐーーーっと子宮口を押してくる力が どんどん強まっている。
そして、8時過ぎ、押してくる力がどんどんどんどん強くなっていった。気を抜くと、自分の意志とは 無関係に、勝手にあそこがいきんでしまうぐらいだった。初めのうちは我慢していたが、急にもう我慢できん、 今すぐにでもいきみたい!と感じた。助産婦さんにそう言うと、触診されて、「9cm開いてる。 赤ちゃんが下りてくるの、早かったわねー。でも、10cmになるまで待たなきゃだめ。今先生が こっちに向かってるから。」と言われた。
ここからが一番つらかった。例えて言うなら、「ものすごーーーく大きなウン○が今にもでそうなのに、 トイレが見つからない」と全く同じ種類のつらさであった。もう赤ちゃんが出たがってるよ!出させて よ!とずっと思っていた。もう本当に、わたしがいきまなくても、中からぐいぐい押してくるのだ。 この時、助産婦さんが腰の辺りをマッサージしてくれたら、ふっと楽になる瞬間があったりしたのだが、 やっぱりすぐにいきみたくなる。わたしが「もう出るー」とか日本語で言っていたら、マスクから少し ガスを吸うように言われた。少し吸って、マスクをはずしたりを繰り返した。楽になるというよりは、 少し気が紛れるという程度だった。

そして9時過ぎ、先生が到着。「いきんでいいよ」と言われ、喜んだのもつかの間、ここからもつらかった。 いきみ始めてからは進歩が分かって楽しい、という人も多いみたいだが、わたしはつらかった。
「さっきまでは出たがってたくせに、なんでふんばりはじめたら出てこないの、この巨大ウン○は!」
という感じだった。この時は、お腹の痛みも当然あるはずなのだが、全く感じず、それよりも、思いっきり いきむことによって感じる腰から膝までの筋肉の疲労のほうがつらかった。
わたしは事前のバーズプランで、分娩の姿勢は自分で決める、ということにしてあって、ぜひよつんばい とかひざまずいたりするポーズをやってみたいと思っていた。その方が恥骨と尾てい骨の間が開き、重力も 加わって、赤ちゃんが下りやすくなるからだ。しかし、そこまで考える余裕がなく、とりあえず横向きに 寝た姿勢で(仰向けに寝るのは苦しいので)始めた。しばらくそれで頑張った後、先生が「ここに もたれて、よつんばいになってごらん」と言ってくれた。その後も、「ひざまずいて、旦那さんに つかまってごらん」とかいろいろ言ってくれた。試した中で、ひざまずいて夫につかまるポーズが、 一番赤ちゃんが下りてくることが感じられてよかったのだが、あるポーズを続けていると脚がつりそうに なって、次々と姿勢を変えて頑張った。
すでに出産を経験した友達は、よく「実際のお産の時は、お医者さんは赤ちゃんを受け止めるだけで、 いろいろ言ったりやったりしてくれるのは助産婦さんだよ」と言ってたのだが、わたしは助産婦さんの 言ってた言葉は、「Push harder and longer!(もっと強く、長くいきんで!)」しか覚えていない。 しかし、C先生は、「声を出さないで、このへんに力を込めて」とか、姿勢のこととかいろいろ言ってくれて、 その声はよく聞こえた。夫は、「頭がもう見えてる。あと少しだよ。」とか言ってくれた。

そして、いきみ始めてから45分後。たまたま仰向けでいきんでいた時、「頭が出た!」という感覚があった。 「頭が出たらもういきまない」と いうことに気をつけようと思っていたのだが、そんなことを思う間もなく、一気にずるるん、と体全部が 出たのが分かった。あーやっと出た、と思った。
2560gの男の子。入院してから、約5時間後だった。
それまでずっと仰向け以外の姿勢で頑張っていたのに、 たまたま仰向けだったのがいけなかったのか、裂傷はできてしまった。 赤ちゃんは少しだけ泣いたが、すぐに泣きやんだ。
生まれたばかりの赤ちゃんはすぐにわたしの元に運ばれ、その後看護婦さんが簡単に洗ってくれた。 その間わたしは、へその緒の一方がまだ体の中に入ったままの状態で、臍帯血を採取された (事前に臍帯血バンクと契約していた)。その後 胎盤を出し、裂傷を縫い合わせている時に、赤ちゃんはわたしの胸の上にのせられた。簡単に洗っただけ なので、まだ髪の毛に血がこびりついている。
「やっと会えたね、ちびちび・・・。」と思い、もちろんうれしかったが、第一印象は、
「あれ、顔がかわいくないな・・・。」
であった。そして、次に、「鼻の上にホワイトヘッド(白いブツブツ)がある」「爪が伸びすぎて 割れている」と思った。
実は、やっとちびちびに会えたら、感激の余り泣き出してしまうかも、と思っていたが、不思議と感情は静か であった。顔が想像していたのと随分違って、わたしにも夫にも似ていないように思えたので、彼が 血のつながった息子である、ということがなんだかうまく飲み込めないような気持ちだった。
それでも、大仕事を終えたわたしは、うれしかった。夫の母と妹が少しだけちびちびに対面した後、 分娩室にはわたしと夫とちびちびの3人が残され、親子3人で3時間過ごした。
新生児というのはすごく泣くものだと思っていたのだが、わたしの胸の上にいるちびちびは全く泣かず、 目をぱっちりさせて横たわっていた。3時間、お乳を含ませたりしながら3人の時間を楽しんだ。
というと美しい光景に思えるが、本当は、しばらくちびちびとの対面を楽しんだ後、前の晩にほとんど 眠っていなかったわたしは、夫に、
「落っこちないように見張っていてね。」
と言い、時々ウトウトとまどろんだ。

Oct 15, 2004

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