©Sompote Saengduenchai already reseved


 チャイヨーとはタイ人の映画人かつ実業家であるソンポーッ・セーンドゥアンチャイ氏が築いてきた
 映画の作成などにかかわる会社の総称としてここでは使っています。
 グループの中には 1)Thai Burin Film社(すでに無い)、2)チャイヨー・フィルム(ムービー?)社、
 3)チャイヨー・シティー・スタジオ社、4)ツブラヤ・チャイヨー社、5)チャイヨー・プロダクション社があ
 り、現在はツブラヤ・チャイヨー社とチャイヨー・プロダクション社が主に活動しています。
 「チャイヨー」は日本語で万歳の意味で、「ツブラヤ・チャイヨー」とは「円谷万歳」の意味になります。
 新しいウルトラマンの開発や、日本の円谷プロとの訴訟でわかるようにチャイヨー社は日本の円谷
 と非常に密接な関係があったのです。

(写真1)ハヌマーンが盗賊を握りつぶすポーズをするソンポーッ氏

 ソンポーッ氏は1941年にタイ国のサムット・プラカ
 ーン県プラパデンという所で生まれました。
 小さい頃は近くのお寺で学んだ氏ですが、当時から
 映画の仕組みに興味を持っていたそうです。
 その後、バンコクに出てきた氏は写真屋で見習い
 をしながらクルンテープ工業専門学校に通って写真
 技術を学びました。
 その技術はタイのフライ級ボクサーのポーン・キン
 ペットが世界チャンピオンになった時に撮った写真
 が賞を取るまでになりました。

 その後タイ政府貯蓄銀行でPR関係の仕事として
 16ミリフィルムで映画を製作。
 こうした実績が認められて、当時輸出産業としての
 映画産業振興に力を入れていたタイ政府の奨学金
 を得て(年表参照)日本の東宝で
 1962年から2年間研修を受けました。
 (左上の写真参照)

 映画『ゴジラ』(1948年)、『モスラ』(1961年)等
 でブレイクした東宝の怪獣映画の全盛期に日本に
 いったソンポーッ氏は円谷英二氏、黒澤明氏、本多
 猪四郎氏、三船敏郎氏などと親交をむすび後の
 タイでの事業につなげていきました。
 (左のサイン帳参照)

 この時に特に円谷英二氏に可愛がってもらった氏
 は英二氏の息子たちとも繋がりを深めました。
 氏の主張では研修時に英二氏にスコータイの仏像
 の写真を見せ、それがウルトラマンのモデルになっ
 たとのことです。
 
チャイヨーとは?
(1) (2)
チャイヨーとは何か?