円谷英二氏の薫陶を受けたソンポーッ氏はタイで日本の映画会社のサポートなどをしながらもタイ
 での特撮映画製作を企画します。
 (上の円谷英二氏のサインは研修を終えてタイに戻るソンポーッ氏に英二氏が書いたものです。)
 その最初の映画が『チャラワン』で、さらに『ターティエン』を製作しました。
 そしてもっとも知られているのが円谷との共同制作で日本でも上映された『ウルトラ6兄弟VS怪獣
 軍団』でしょう。この作品や『ジャンボーグA&ジャイアント』は特撮部分は日本で撮影されています。
 円谷英二氏やその息子である一夫氏、皐氏とも付き合いのあったソンポーッ氏は円谷の窮状を救
 うためもあり、これらの作品の製作を円谷に委託したのです。
 その後も1985年の『エリマキトカゲ一人旅』にいたるまで円谷人脈等の助けを借りて多くの特撮
 映画が作られたのです。

  円谷の関連以外でもソンポーッ氏は東宝の映画『バンコックの夜』(1966年)や東映の
  『東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯』(1973年)といった映画の製作をサポート
  し、また日本のアニメである『Dr.スランプあられちゃん』、『ドラえもん』、『一休さん』、
  『キャンディキャンディ』などをタイに持込んで公開、一般に知られてはいませんがタイの
  日本アニメブームの火付け役となっているのでした。


チャイヨーとは?
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(左)晩年の円谷英二氏に『チャラワン』の構想を報告するソンポーッ氏
(右)1974年11月30日バンコク市内コロセウム映画館での『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団上映時の様子

 円谷皐氏の死後(1995年)、円谷とチャイヨーの関係は急速に悪化して行き、この問題はタイと
 日本での提訴という形にまでなってしまいました。(=>「円谷裁判について」
 そんな中、1999年にタイのオリジナルウルトラマン「ウルトラマンミレニアム」の構想が浮上し、遂
 に2001年のバンコクでの『ウルトラマンライブショー2001』という形で結実します。
 この流れはさらに発展させられ、2004年にはさらに新ウルトラマン「ウルトラマン・エリート」が登場
 して『ウルトラマンライブショー4D』が行われました。
 ソンポーッ氏はすでに「ウルトラマン博物館」などの構想も明らかにしており,これからのタイ独自の
 ウルトラマンの動向からは目が離せないでしょう。

チャイヨーとは何か?
©Sompote Saengduenchai already reseved