予備知識:対イラク経済制裁 そもそもこれは、「イラクのクウェート侵攻への制裁」としての国連661号決議によるものです。 ただし、湾岸戦争後、「イラクの武装解除(特に大量破壊兵器)」というのが経済制裁解除の条件として入ります。 それで現在まで約12年間、対イラク経済制裁は続いているのです*。 *もしスコット・リッター氏の報告を国際社会、特にアメリカが 受け入れていたなら経済制裁はとっくに解除されていたかも しれない。 この経済制裁は食料や医薬品なども輸入が差し止められたため、長期的には湾岸戦争時の空爆よりも手ひどい打撃をイラクの 一般市民に加えました。もともと、イラクは食料自給率が30%程と低かったのに輸出入が止められたら、どうなるでしょう? 毎月数千人という規模でイラクの一般市民、特に子どもや老人が、ミイラのようにガリガリに痩せて死んでいきました。
食料危機は‘96〜97年代頃が最も深刻だったようで、当時、イラクを訪れた「アラブの子どもと仲良くする会」の伊藤政子さん
は現地の惨状を次のように話しています。 その後、国際的な批判の高まりにより、96年末に経済制裁が部分解除されます。「Oil for Food(食料のための石油プログラ ム)」といわれるこの部分解除は、簡単に言えばイラクの石油の取引を限定的に認め、食料や薬の輸入することを許す、という ものです。しかし、Oil for Food後も大勢の子ども達が死んでいくという状況は変わらず、2001年のイラク政府の発表では、‘90年 以来、160万人の一般市民が食料や医薬品の不足のために亡くなった、とされています。 ここからが志葉が現地を見て回った雑感です。 今回、イラクを訪れた目的には、Oil for Food後のイラクの実情を見てみたいということもありました。日本を発つ前読ん だ新聞記事では、「市場には食料があふれていた」とあり、現在も月5000人の人々が亡くなっているというのは、本当な のか、という疑問がありました。
さて、イラクについて市場に行くと、確かに様々な食べ物が売っています。しかし、訪問中に会見したバグダッド医科
大学のフサーム・ジョルマクリー教授は「問題は、食べ物がないことではなく、食べ物が買えないことです」と言います。
街で聞いたのですが、たとえば粉ミルク一缶が、質の良いものは3000イラクディナール(1ドル=2000イラクディナール)。
なんだ、高くないじゃないかと思うのですが、イラクの人々の平均月収は5〜10ドル程度なのだそうです。
そもそも、イラクには粉ミルク工場がありました。しかし、これらの工場は湾岸戦争の際の空爆で破壊されてしまった
のです。そして工場を復旧させるには、さまざまな部品が必要ですが、経済制裁のため、部品が輸入できません。
栄養不足による抵抗力の低下、不衛生な水により、子ども達は病気になり病院に連れていかれますが、ここでも経済制
裁が壁となります。
短い滞在期間で、まだまだ取材をしたかったのですが、今回の訪問で、Oil for Food後も経済制裁があらゆるかたちでイラク
の人々を苦しめており、特に弱い立場の人々が犠牲になっているということは確かだと思いました。12年続いた経済制裁で、こ
れまでの蓄えも尽きつつある、と人々は言います。
深刻な飢餓や貧困、保健の問題は、世界各地でありますが、イラクの場合は人為的な、しかも国連の枠組みによるものです。
クウェートから撤退し、査察団も受け入れている今、イラクの一般市民をこれ以上苦しめ続ける必要は無いでしょう。
志 葉 玲 Shiva Rei / フリーランスジャーナリスト
志葉玲さんのイラク報告は |