高橋夫妻の旅立ちと、その後

 このたびのフライフォーゲルOB&OG会会長に就任(?)された高橋正平氏とそのよき若妻の貴子さんは7月末よりニューヨークに引っ越されました。正平氏の勤務する野村証券の社員として、あちらの大学でMBA取得のため、二年間の留学にいかれることになったのです。若いもんは知らないかもしれないけど、正平さんはうちのサークルの創始者のひとりで伊澤あきら氏と同時代の伝説的フライヤーです。そしてその若妻貴子さんもまた我々のOGであり、昨年晴れて結婚されたばかりでした。その正平さんの旅立ちのあと、一月たった8月末に私長縄ジロウが私用でニューヨークにいく機会があり、お二人を訪ねました。以下そのレポート。(沢木耕太郎風に)

 僕がニューヨークマンハッタンについたのは8月20日。二人がこの島についてからちょうど一ヶ月がたったころだった。ニューヨークはとても肌寒くて、僕がこの土地で最初にしたことはまず長袖をかうことだった。

 正平さんに連絡をとったのは二日めの夜。僕は特に予定なんかなく、町を歩き回るつもりだったので次の日にも会うことができたのだが正平さんは学校のテストがあるという。でも、貴子さんは「昼間はひましてるわー。」というので、暇人どうし会いましょうという事に決定。貴子さんは「デリでお食事かってセントラルパークでお昼でも食べましょう。」と、早速ニューヨーカーっぽいことを言い出し、僕は全部おまかせコースにのることにした。

 次の日、番地を頼りに正平さんのアパート(写真左)の近くまでいって驚いた。いわゆる超高層ビル群の一角にあるそれは、8thアベニューとブロードウェイの交わるあたりにたかだかとそびえていた。(あとで聞いた話では上のほうはペントハウスになっていてアルパチーノなんかもすんでるらしい。)さっそく貴子さんに電話をして呼び出し、ひさしぶりの、とはいっても2月ぶりの、再会をはたした。相変わらずお美しく、なんかどきどきしてしまった。貴子さんは「はじめ日本人に見えなかった。中東系の人かと思った・・・」などといっていたので少し傷付いた。ともかく、そんなわけで僕にとって最初で(そして最後であろう)人妻とのデートがはじまった。

 ボクタチはとりあえずお腹がすいていたので、昼御飯を買いにいった。お二人の住まいからすこしはなれたところにそれよりも少し古いビルがあって、そこの一階にあるデリでそれぞれ好きな食事をパックにつめてもらう。そのビルは二人がこの土地にきてからしばらくのあいだ暮らしていたホテルだという。他に不動産屋が紹介してくれたアパートは、メッツの吉井とおなじだったり、とにかくハイソなお話しばかりだった。近くにはオペラ劇場などもある、いいところだった。

 その昼御飯をもって、ジョンレノンのすんでいたというバコタハウスを横切り、ストロベリーフィールズをとおってセントラルパークへ。この頃にはけっこう気温もあがってきて公園には裸同然の格好で日光浴する人がたくさんいた。ボクタチはそんな人達をしりめに、静かな木陰で食事をした。(写真右)セントラルパークというのはビルに囲まれていながら、本当にくつろげるいい公園だった。僕はごはんをたくさん買い過ぎて、全部食べるのに精一杯だった。ハトが僕の食べた御飯ののこりをついばんで、とんでいった。

 貴子さんはけっこうこの街に溶け込んでいて、僕は案内されるままにいろいろなところへつれていってもらった。自分ひとりでこの街を歩いたときよりも、なんだか地に足がついているような気がした。道をいく人達はあらゆる人種で、すべての人がニューヨーカーで、すべての人がフォーリナーなんだと感じた。すべてをのみこむパワーを感じた。そんな中を貴子さんは軽やかにおよいでいく。

 とても晴れた日で、高層ビルの合間から見える空は高く澄んでいた。貴子さんは「暇をみて大学の一般に開放している講座で英語でも習ってみようかとおもってるのよねー。」といった。それは、とてもいい考えのように感じた。せっかくのニューヨーク時代、なにかかたちにのこることをしたほうが、この理知的な女性にとっては健全なことと思ったからだ。

 僕が帰国すると同時に新潟の大会にいくんですよ、というとなんだかパラをとても懐かしむような口調で昔のことを話してくれた。この街でパラは無理だろう。ビルから飛んでつかまった人はいたらしいけど。それでもサークルを卒業していろいろな人生へ踏み出していく先輩みんなのなかでパラはとても重要な位置を占めていることだけはたしかなようだった。

 夕飯の材料を買いにいくというので、それにつきあわせてもらうことにする。

 貴子さんお気に入りのスーパーは、軒先きまでいかにも新鮮な食材がひしめく活気のある店だった。(冒頭の写真)僕も一緒に中に入ってみたが、いろいろ発見があった。珍しいチーズが山のようにあったり、なぜか米がビンづめでうってたり、わけの分からないでかい魚がドーンとおいてあったり、あとは日本より出来合いのものの比率が高いのだなあと感じた。デリもそうだが、働く女性のためにそのテの食品は種類、質ともに申し分ないようだった。

 店をでて、アパートまでポーターとしてその食材をはこんで、MoMa(近代美術館)でやっているロトチェンコ展をみにいこうと思ったので、週末に正平さんと三人でまたあおうということにして、その日はお別れした。その展覧会のことは省く。

正平さん、ローラーブレードで大クラッシュの巻きへ続く!