『右肩上がりの相関関係のビジネス戦略』と『このままでは畳の上では死ねない』が対照的
先の安部司氏は自分の子供が添加物こてこてのミートボールを口にしたとき、初めて実は自分達も消費者のひとりだということに気がつき、そのことが決して忘れられない出来事になったことは間違いない。
なぜならこれは彼の人生の中での大きな成長のポイントであり、大転換期だったからだと思う。『気がつく』という瞬間は、本当の意味で、学ぶということそのものである。
いくらいろいろな面でスキルがあっても、自分で気がついたことは、自分で判断して行動していかなければ、自分の存在自体が疑われる。「一体自分って、何だろうか?」 その存在理由や価値は?
私が大学卒業後、帰国して就職活動をしているとき、今でも忘れられない『ミドリ十字』社長との面接での場面がある。
人事課の人と英語での面接の後、社長(アメリカ人)に会った。色々と尋ねられて、私も自分探しの旅として、12日間アメリカ西海岸をヒッチハイクした経験を話した後(今では無謀であったと思う)、何か質問がありますかという問いに、その当時読んでいた、『The World Without Cancer』 という本のなかに載っていた「アメリカではアスピリンで毎年数千人死んでいるというデーターについてどう思うか」(アレルギー反応が呼吸器に表れ、呼吸困難になって窒息死するらしい、そうした体質の人はピリン系のものはだめで、麻酔にも拒否反応を示すようだ)尋ねてみた。
そのときの返答は、私にとってはかなりショックだった。間接的な情報は普通知識として脳裏に納めてはおくが、忘れてしまったり、どうでもよくなったりするものだ。が、この時は製薬会社という関係者本人を前にして、しかも彼の口からでたことを聴くのである。
「アメリカ国民は2億3000万人、そのうちアスピリンを買って飲んでいる人は1/4~1/3くらいだ。その中の数千人なんてしれている。数値的に言えば、1%も満たない0.0001%以下だ。 その売り上げ高をみろ!」
というような調子だった。そこには、統計学こそ絶対、数字こそすべて、人がどうなろうと、そんなことどうでもいい、と言わんばかりのトーンだった。
私も、米国で、知人に勧められたとき、何の疑いもなく飲んでしまったことがある。まさか自分がその0.0001%に属するとはその当時思ってはいない。そう誰しもが、その少数派に属しているとは思わないし、そう、思いたくもないものである。
昔は、癌という病もそうだった。あの人が癌で死んだと聞くと、自分には関係のない病だと思っていた。おそらく、私が子供のときは、1%位、よくあっても5,6%くらいだったに違いない。
健康診断チェックで、色々な試薬がある、それをメインにしていた会社だったはずだが、その社長室からでるとき、となりでしきりと会社の製品の売り上げを伸ばすにはどの要素を上げれば伸びるのか、いわゆるプレゼン(presentation)をやっていた。大学で習っていた統計の相関関係のグラフをいくつか出しながら。
相関関係で思い出したが、タッパウエアーの会社のスーパーバイザーがホームパーティーを行うとき、『パンを食べよう』という歌を流すのだそうだ。というのも、アメリカのようにパン食が増えれば、それだけタッパウエアーの売り上げが上がるからだそうだ。ここまでくると何だか、その考え方の単純さに苦笑してしまわざるをえない。「そうか、人間って、そんなに単純だったのか!」と。そこには職人気質かたぎとか、魂がこもった作品とか品物とか、そんな価値観よりも、数値上の伸びこそが企業人の心に訴えるのかと感じた。これから先の日本の文化と価値観が一変していくのが分かり始めたようだった。「スカッとさわやか○○コーラ」「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは○○」という具合に、イメージ戦略で私たちの頭には拭い去ることが出来ないくらいにはっきりと刻まれている。これがアメリカ風ビジネスだ!「消費者は人間というより買うマシーン、すなわち金づる、生産者の洗脳でどうにでもなる!」という具合だ!
安部司氏が、添加物のセールスをしていた頃の自分の姿を、別の観点から見れるようになって、こう記している。
「しかし、自分の「生涯の仕事」は何かがおかしい。
なんのためらいもなく、添加物を売りさばくことしか頭になかった自分。
営業成績が上がることをゲームのように楽しんでいた自分。職人の魂を売らせることに得意気になっていた自分、、、。
たとえば適切でないかもしれないが、軍事産業と同じだと思いました。人を殺傷する武器を売って懐を肥やす、あの「死の商人」たちと「同じ穴のむじな」ではないか。
このままでは畳の上では死ねない___そう思いました。」(『食品の裏側』、pp42-42.)
軍事産業に右肩上がりの相関関係をあてはめてみると、戦争の回数と規模だろう。努力して、地球上に戦争を増やせばいいということになる。こんなシステムで世界が動けば、地球上は奈落の果てになる。”I’m War President.” 華氏9.11で言っていたのを思い出す。
安部氏の著書『食品の裏側』では、『右肩上がりの相関関係のビジネス戦略』と『このままでは畳の上では死ねない』が対照的に描かれている。安部司氏にとって、救いだったのは後者のことばだ。彼の親か祖父母かまた和書からか知らないが、そこには根深い日本文化の価値観が垣間見れる。
最近、子供たちが通う小学校の「異文化を知る講演会」で、通訳を頼まれたことがある。後日、家内が聞いた話によると、その後ある小学生が、英会話を習いにいっているらしい。きっかけは、私が通訳をしているのを見たことだったらしい。さりげなく会話したり、さりげなく訳す姿がかっこいいからだったらしい。
安部司氏が「同じ穴のむじな」と言っていたように、実は私も同じようなことをやっていた。学生に英語の慣用句を覚えさせようと思って作った替え歌が『Get rid of that old stuff!』(恋は水色のメロディーで)『Don’t stick to him. Don’t stick to him.』 (Wedding Marchのメロディー)という具合に、5年間の留学生活でアメリカの文化が身体に根強くしみついている。そして、今やほとんどといってもいいくらい大学での英語教育が『右肩上がりの相関関係』の価値観を大きく掲げている。このまま鵜呑みさせ、スキルのみに向上心を抱かせることに罪悪感を感じている私は、しきりと上記の日本文化の価値観、異文化の違いやかつての阿部氏のような単一的ものの見方ではいけないということを話したり、環境問題、食育等についても機会あるごとに授業で話している。行過ぎたこともあって、今では隅に追いやられているしまつで、決して格好のいいものなどではない、武士道精神から見れば、無様なあがきとしか映らないだろう。
実は、そのことをその小学生のところに行って、打ち明けたい気持ちで一杯だ。そんな単純な動機で英語を学ぼうなどと思わないでもらいたいと。 それよりも、自分のおじいちゃん、おばあちゃんのなにげない言葉をこそ大事にしてくれと言いたいが、分かってくれそうにもないだろう。
続