色々な国々の言語を知るということは
何も、『右肩上がりの相関関係』の価値観が悪いと言っているのではない。『群盲象を撫でる』というインドの古い教えがあるように、ひとつの観点や価値観のみで、物事を決断して行くというのは、まさに賢明な方法ではないということを学ばなければならない。
私が大学時代に、毎週といってもいい位、著名人がキャンパスに来て開かれる講演会があったので、よく聴きに行ったときの事を思い出す。その中で、今でも覚えているジョークがある。
このジョークを理解するには、大学の背景をある程度知っておく必要があるので、少し述べると、
大学には、独身の学生もいれば、結婚している学生もいる。キャンパスには独身用の寮もあれば、結婚している人たちの寮もある。もちろん、大学の周りには多種にわたるアパートも存在する。言うまでも無く、独身の学生のほうがずっと多いが、結婚している人たち用にも大学が寮を設置してくれているということに、つまり大学での授業科目と同様に、ずっと選択肢の幅が広いということに感銘を受けた。
そのことから受ける豊かな感覚は、否定できない利点である。
そんな中で、大きな大学であればあるほど、自分の伴侶を見つける絶好のチャンスがある。すなわち一生で一番選択肢の幅がある時期だからかもしれない。というのも大学生活を通して、自然と接する異性の数は、非常に多いからだろう。
そんな状況の中での、講演者のスピーチは通常ジョークからはじまるのだが、実に的を得ていたのを覚えている。もちろん、その講演者は、一般の学生たちよりも年配で、結婚していて、家族(子供たち)もある。
「大学時代は、結婚するいいチャンスだ!,,,,,」
と続く、”If you are not married, you don’t know the problems of the world.”
(結婚していないということは、世の中の問題を知らないということだよ。)
色々な国々の言語を知るということは、その国の文化や利点のみを知るだけでなく、色々な問題点も同時に知るということである。まして英語が、今ではグローバル化しているということは、地球上の問題のすべてをも知らざるをえなくなるのである。それを無理やり、English for A specific Purposeというぐあいに、ある特定の目的のためだけに英語を学ばせるという選択肢も出てきているが、これぞまさにアメリカ文化の価値観、すなわち単一目的に絞り込んでの価値観と短期的すなわちその場限り等の価値観(先に述べた添加物こてこてのミートボールもそうである)で処理してしまい、そのことで果たして、豊かな価値観や生活、人間性へと結びつくかは大きな疑問である。全体を知ってのことならばともかく、まるでチェスの駒のような存在になっていくのであれば、人間性どころか、cyberbiochemirobot と化するだけだろう。続
DDT等の農薬に対する“Silent Spring”(沈黙の春)
by Rachel Carsonでそのこと(単一目的に絞り込んでの価値観と短期的(すなわちその場限り等の価値観の問題点が大きく指摘されている。(詳しくはglobal education
part1 part2 を参照、本としては「グローバル教育からパラダイムシフト」“From Global Education to Paradigm
Shift”by Masakazu Karitaをお読みください。)