『群盲象を撫でる』ということで、私なりの例


 先ほどの『群盲象を撫でる』ということで、またこれに関してもいろいろな解釈や捉え方があり、ネットで調べても今一しっくり来ないという人々のために、私なりの例をここにあげてみる。

 ある幅の広い道路をいろいろな人が渡ろうとしているとしよう。もちろん信号機もついている。あなたはその道路から少し遠いしかし真正面に道路がある位置にいて、前方を見ているとしよう。前のほうでは保育園児が列を作って青信号に変わったので保育園の先生が歩く園児達のほうを向いて「さー青になったので渡りましょう」と、保育園ではよく練習する交通ルールを守りましょうのごとく渡り始めている。また同時に、その横では大人の人達も比較的多く渡りかけている。前方での角度からは、ほとんどの車が静止していたり、減速して止まろうとしている。ところがである。前方からの角度では見えないところ、すなわち、あなたがいているところの角度でないと見えないかなり左手から、すごいスピードで乗用車が突っ走ってきている。(あなたは直感的に居眠り運転かもしれないととっさで気づくとしよう。)残念なことに道路の中央から向こうにはすぐ大きなトラックが右折したくて右折シグナルをピコピコさせながら止まっているので、その向こう側のレーンで何が起ころうとしているのか予測できるのはあなたしかいないかもしれない。もちろん道路のすぐ右側には、車がたくさん手前、真ん中、そしてその奥と3列並びそのあとに車が混んでいるように並んでいるが、左側のより前方に目をやると、ほとんど混んでいない状態に気づくとしよう。

 ここでのあなたの次に取れる行動の選択肢を分析してみよう。

1.その保育園の先生に遠くから「先生たるものが」と論理をぶちかます。

2.前方を見ないで、渡る手まえまで、ゆっくりと下を向いて歩く。

3.危ないと叫びながら、全力で走ってみんなが渡ろうとするのを食い止めようとする。

4.3をしようとちょっと試みたが、渡りかけている人達のなかの若い人達が『何叫んどう、馬鹿違う?』と言われたので

固まってしまい立ち止まる。

5.他に誰か気づくだろうと思って、もうしばらく様子を見る。

精神的な面まで選択肢を考えていくときりがないので、やめておくが、見る角度によって状況を把握する能力が変わってくるのが、

これで理解できたと思う。

 それでは、先の安部司氏が、自分の子供がもし、こう反発していたら、どんな心境になったか想像できると思う。

『パパなんで! このミートボールおいしいやん? パパが作ったようなものでしょ? パパってすごい!』

私が阿部氏だったら、を想像するだけでも、泣けて泣けて涙が止まらなくなってしまうだろう(事実泣いてしまった)。

実に悔しいやら、腹立たしいやら、子供たちの無邪気な顔を見れば見るほど、涙がと止まらなく流れ出てしまうだろう。

 

その気持ちが分かるのであれば、もしあなたが地球という全生命体の育て親だとしたら、地球上で起こってきたこと、起こっていること、それから起ころうとしていることに対して、どんな気持ちになるか分かると思う。