自分の行動の動機のpripority(優先順位)について


 この小学生の『格好いいから』、ある行動に走るということがいけないというのではない。
 以前私のゼミで、自分の行動の動機の
priority(優先順位)についてよく話し合ったことがある。自分と、他の人とのその順位のつけ方の違いから、個人個人の価値観の違いというものを導き出して、なぜそれが最も価値があると思うのか、意見交換したことを思い出す。

 そのときの、人が行動に走る動機としての選択肢は、A.exciting(わくわくする)から B.secure(安全だ、又は安定性がある)から C.interesting enough to be very curious to find out further (興味深く、もっと知りたいという好奇心を抱かせる)から D.それがcomfortable and relaxing(心地よく、安らぐ)から E.leading to develop my talent, ability, and skills(自分の才能、能力、技術を磨かせる)から F.stylish and fascinating(格好良く、魅惑させる)から G.leading to have good human relationshipにつながるから(1)家族の(2)家族以外の例えば友人とか恋人 H.グループまたは組織の一員(because I belong to the group or organization or system)だから

  これらを自分の優先順位に並べ替え、なぜそうなるのか各自の価値観を述べながら互いに意見交換する。

 またこれとは逆に、これだけはしたくないという順位も、またしたくはないが可能性が無きにしも非ずというものをいくつか考えて、逆の優先順位について話し合ったことがある。例えば友人の恋人と親密な関係になるとか、こちらになるとさすがに、みんなの意見が様々になってくる。しかし徐々に、自分自身が抱いている価値観というものが、そういう話し合いをすることではっきりと見えてくるのである。

 しかしながら、当時は、先に述べた、人が行動に走る動機のなかで、intuition(直感)で、とかimpulse(とっさ)に、という要素については述べていなかった。

 ところがどうしてどうして、こういう因子のほうが、人の行動を非常に左右したり、またされたりするものだ。つまり、social psychology(社会心理学)の分野も、ここまで来ると分析したり、予測できなくなる。つまりそれが人間性というもので、以前のように消費者を『買うマシーン』とみなしたり、洗脳しコントロールしてみたり、統計上の計算で、予測して云々してみても、、必ずといっていいほど狂ってくることがしばしばであろう。それを物語るかのように、資本主義経済の波はなかなか予測しがたいのである。

 だからこそ、結局はせっかく優先順位をつけたにもかかわらず、すべての選択肢を可能にさせる、power and control 権力と支配に走ってしまうのであろうか?

 指輪物語の最後の指輪に相当するのであろう。 またそのためにはどんな手段でも、例えば黒魔術すらも使いかねない世の中になってしまっているのだろうか?

 やはり、人間として生まれてきたからには、これだけはしたくないというものを、もっと小さいときから(ある意味で前世の記憶がぬけきれていないうちに)話し合って、育成すべきではなかったのだろうか? 今、権力を持ってしまい、本当はしたくなかったことをしてきたことに気がついた人々には、痛烈に分かる文言かもしれない。が、そういった体験を通した教訓をこのネットを通して、述べていただくことが、真の意味での学ぶということにつながるのではないだろうか? 上の、Bのsecure your careerだけが、教育の目指すものではないと、心のどこかで知ってはいるつもりでいても、つい受ける側もする側も忘れがちになるのは、なぜだろうか? だからこそ、この自分探しの旅は、必要不可欠なサイトとなっていくであろう。
 また、民を多分に受け入れて、研究し、文化価値を見出し、産へのパイプラインになることが、これからの大学機関の役割ではないだろうか(真の産学共同体性)。これまでのように、大手の産に人材を入れる事のみで、知名度を上げていくことは一方的(unilateral)流れしかおきず、それでは豊かな文化や文明を築いていく事は難しいであろう。
 (続)元大手商社マンが語る