日本人の志や如何に?
先の、道路を渡る状況での例で、角度を変えれば見える範囲がかわり、ちょっとした時間差や次元の差で、他の人々には見えないところが見えてきたりした場合、貴方はどんな行動をとるかが問題なのである。
水俣病、HIV混入血液清剤、アスベスト問題、耐震建築問題、輸入果物の枯葉剤、農薬、添加物、合成洗剤そして放射能や有害電磁波から会社の粉飾決算疑惑に至るまで、ありとあらゆるものに関しても、その鍵となる人のみならず、各自気がついた人がすぐに、必死で食い止めようとしていたら、こんなにまで犠牲者がでるところまできていなかっただろう。また少数派の犠牲者を自分とは関係ないと冷酷に切り捨てていなかったら、ヒマラヤの奥地のHunza族が癌とは無縁の種族のように、日本人にとってもあらゆる問題が無縁となっていたかもしれない。
それは、個人個人が意思決定をするときに、『一時的及び単一的な価値観のみで決断してはいけない』ということを教育の根本として教えたり、学んだりしてこなかった事が大きな原因である。
『自分の懐を肥やす』価値観とつながることのみに必死になっている姿が、如何に醜く恥ずべき事かを、教え、学んでいかなければならなくなった。
かつて日本文化には『恥とならない心構え』という武士道精神たるものが自然と養われていたのだが、『The Last Samurai』の映画のように日本国外の人たちの目で訴えられて、初めて日本人が悟るというところまで来ているのだろうか。が、まだまだ、それでも学んでいない人が多すぎるのだろうか?小学校でかつてよく見かけた二ノ宮金次郎の銅像は何を物語るものに変わってしまったのだろうか?皮肉にも、だからこそ最近の小学校では、あの銅像を見かけなくなったのかもしれない。
よく勉強して、いい点数をとって、偏差値の高い学校に入って、大手の会社に就職して、他の人よりも高い収入を得て、生活を安定させる。企業を設立して、売上を伸ばし、拡大し、更に売上を伸ばし、市場を法に触れない程度に、ある意味で独占し、固定化及びシステム化させる、出来れば支配していくことにより、会社をより安定化させる。
日本人の志や如何に? 日本文化は海外の熱烈な日本ファンのみによって守られていくのであろうか?