[朝日新聞阪神支局襲撃]
1987年(昭和62年)5月3日夜、右翼の銃弾が29歳の若者と日本の言論を虐殺した。
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5月3日
「ここも危ない」。兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で小尻知博記者ら2人が銃で殺傷された87年5月3日夜。隣の尼崎市にある毎日新聞阪神支局の記者は出入り口を施錠し、窓からの撃ち込みを警戒して電話を床に置き、はいつくばって取材を始めたという。
今月初め、阪神版などに掲載された記事でそんな情景を読み、当時の自分を思い起こした。
福井支局で泊まり勤務中、テレビで事件を知った。支局には自分1人。やはり戸締まりをした。
2カ月後、当の阪神支局に赴任。泊まりの日は寝付けなかった。怖さはあった。が、それ以上に頭の中に渦巻いたのは、なぜという疑問や怒り、そして、記者の仕事の重みと、それを続ける覚悟のようなものだった。
連休中、久しぶりに阪神支局を訪ねた。あれから14年。教科書問題をはじめ、当時より危うい時代の雰囲気を感じることも少なくない。それは、犯行声明がいう「50年前」への回帰なのか。変わらぬ笑顔の小尻記者の遺影の前で、「覚悟」をあらたにした。
(社会部デスク 扇谷 純)
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5月3日に伝えたいこと(1)
「残された人たち」
仏前に四角い赤い缶が供えられていた。あちこちに茶色のさびが目立つ。両手に余るほどの大きさの缶には、あめが入っている。
阪神支局襲撃事件で凶弾に倒れた小尻知博(当時29)の実家は、瀬戸内海に面した広島県川尻町にある。あめは落語家の桂米朝から事件直後に届けられた。取材に訪れた小尻が同じあめをおみやげに持って行ったことがあったからだ。
「まず半分食べて、残りは事件が解決したら食べようねと。1週間もすれば、捕まると思っていたから」。父の信克(73)は振り返る。
だがそれから14年間、あめは缶に収められたままだった。
信克は7回忌が過ぎたころ墨絵を始めた。紙芝居を作り、近所の子どもたちに話し聞かせている。生きがいを見つけ前向きに、と思う。「でも子どもたちを見てると、あのぐらいの時の知博は、なんてつい考えて」
母のみよ子(69)は事件後、俳句を詠むようになった。「いつまでも愚痴を言ってたら、周りまで暗くなってしまう」。やりきれなさは句の中に閉じこめる。
虫の音に ふと亡き息子 帰りきと
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87年5月3日夜。西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が侵入、支局員の犬飼兵衛(56)と小尻を撃った。犬飼は手や腹などに散弾を浴びて重傷、至近距離から腹を撃たれた小尻は、翌日未明、死亡した。
「赤報隊」を名乗る犯行声明が通信社に届き、名古屋本社社員寮、静岡支局などに事件は広がった。阪神支局襲撃前に東京本社に散弾が撃ち込まれたことも分かった。小尻や阪神支局ではなく、朝日新聞を標的にした疑いが強まった。名古屋の社員寮事件などは時効を迎え、阪神支局事件も時効まであと1年となった。
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阪神支局員だった高山顕治(39)は、目の前で同僚2人を殺傷された。
犯人の黒か茶色の目出し帽、2人のうめき声、自分にも向けられた黒い銃口――。何も考える余裕はなく、記憶は切れ切れだ。
現場でただ1人無傷だった。それが後ろめたい。「ずっと心に突き刺さっている。なぜ小尻記者が、阪神支局が、と」。名古屋本社で写真撮影を担当するいまも、事件の記事のスクラップを自宅でめくり、考える。
犬飼の体には数十の散弾が残る。「ぼんやりと犯人像が浮かんでは消えての繰り返し。いたずらに年月を経て得るものがないむなしさは、何とも言い難い」。そんな思いを押し殺し、大阪本社で勤務する。
5月3日に小尻の墓参を続けてきた。「手がかりのないまま過ぎてしまうのか」といつも時効のことを語りかける。
妻の裕子(41)はピアノ講師をしながら長女美樹(16)と2人、京都府内で暮らしてきた。2歳だった美樹は高校2年になった。父親似の娘の成長を見るにつけ、「可愛がっていた夫に成長した姿を見せてあげたい」と悔しさが募る。
「何もかもこれからという時だった夫の無念さ、残された私たちのつらさは語り尽くせない。真実を夫に報告したい」
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川尻町の小尻家には、事件後に朝日新聞に入社した若い記者が、たびたび訪ねてくる。事件の記憶が引き継がれている。そのことが、信克とみよ子を支える。
2人は毎朝、近くの小尻の墓に参る。そして語りかける。「大丈夫だ。事件の真相が明るみに出る日が必ず来る。もう少し待って欲しい」 (敬称略)
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5月3日に伝えたいこと・大谷昭宏さん
朝日新聞阪神支局襲撃から14年
阪神支局襲撃事件が発生した87年。大谷さんは1月に読売新聞を退社し、フリーのジャーナリストとして活動を始めた。その直後に起こった事件だけに、大きな衝撃を受けたという。
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戦後、現職の新聞記者が撃たれて死ぬということはなかった。新聞社同士はライバルだが、同じ新聞記者が撃たれたということに慄(りつ)然(ぜん)とした。発生当時、一部では亡くなった小尻知博記者個人を狙ったという憶測もあったが、時代状況からしてあの銃弾は朝日新聞に対する、もっと言えば言論に対するものだと直感した。
一連の事件の犯行声明で「赤報隊」は「東京より大阪の朝日のほうが反日的である」と書いている。その意味はいまだなぞのままだ。
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当時、小尻記者の記事でいえば、兵庫県警の指紋押なつの強制問題に象徴されるように、世の中が何かきな臭く反動化していく流れがあった。呼応するように、関西で朝日新聞が撃たれた。新聞各社はもともと大阪のジャーナリズムの方が反戦や民族問題などを熱心に取り扱っていた。記者が感じていた「この国はまずい雰囲気になってきた」というのが現実になってしまった。襲撃場所も関西でなければ意味がなかったのではないか。
この14年間で言論を取り巻く状況は大きく変わった。大谷さん自身は言論の自由をどう考えているのか。
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百%意見が違っても、少なくとも私たちの社会はそれを発表させる自由を持ち合わせているはず。言論の自由の保障というのはそこしかない。しかしこの国の状況は、いつのまにか徐々に後退している。国旗・国歌法や盗聴法(通信傍受法)など全部を合わせると、戦前の治安維持法より(自由の制限に)効果がある。たった14年で、ここまできてしまった。
事件後、それまで市民に「開かれていた」マスコミのガードが堅くなったと大谷さんは指摘する。
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今はどこの新聞社の本社も、面会カードを書かなければ中には入れない。昔はふらりと市民がやってきて記者に会っていたものだった。今回の事件では支局という町の人と触れる新聞社の毛細血管が襲撃された。市民とマスコミの距離が離れたという意味では、本社を銃撃されるよりも、影響は大きい。
朝日新聞社でも阪神支局襲撃事件後に入社した社員が全体の3割を超えた。今後、あの事件をどう語り継いでいくべきなのか。
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仲間を殺されたということに、震えるほどの怒りを持ち続けてほしい。それが言論を支える原動力になる。人間の感情の中で一番大事なのは怒りだ。新聞記者が怒りを忘れたらおしまいだ。小尻記者を弔うということは、最終的に言論の自由を守り続けていくことだと私は思う。
(聞き手・田村隆昭)
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1945年、東京都生まれ。早稲田大卒。68年に読売新聞大阪本社入社。87年1月に退社後は故・黒田清氏と黒田ジャーナルを設立。現在はテレビ朝日系列「サンデープロジェクト」などに出演している。主な著書に「新聞記者が危ない」「事件記者」など。大阪府豊中市在住、55歳。(6/26
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5月3日に伝えたいこと(4)
朝日新聞阪神支局襲撃から14年
壁に1枚の合成した写真が張ってあった。白熱電球の光に、見たことのある顔や姿が浮かぶ。
インド独立の父マハトマ・ガンジー、元ビートルズのジョン・レノン、黒人指導者マーチン・ルーサー・キング。そして小尻知博。
87年5月3日に朝日新聞阪神支局で銃撃された小尻をはじめ、みな凶弾に倒れた。
尼崎市の喫茶店「どるめん」で、4月の夜、写真を背に中年の男女がカウンターをはさんで向き合っていた。客の尼崎市議酒井一(50)ら3人と、店主の金成日(キムソンイル)(49)だ。
「14年間よく続いたね」
「言論を抑えようとしても、私らには効いてないよ」
小尻を悼み、言論の自由を守ろうと毎年5月3日に阪神尼崎駅前などで「青空表現市」が催されてきた。4人は当初から実行委員を務める。14年を振り返り、これからを語り合った。
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酒井は阪神事件を知り、「あの時の記者だ」と驚いた。数日前、どるめんで市民運動仲間の金から小尻を紹介されたばかりだった。通信社に届いた犯行声明で右翼のテロだと感じ、陸軍の青年将校がクーデターを企てた戦前の2・26事件を思い出した。「戦争への道をまた歩むのか。何かせなあかん」
小尻の取材を受けた人、事件に怒りを感じた人が集まり、2カ月後、最初の表現市を開いた。以来、寸劇や講演、落語などで言論の自由の大切さを訴えてきた。言論を守るには多様な表現を展開していくことが欠かせない。そう酒井は思う。
在日朝鮮人の金は、当時義務づけられていた指紋押捺(おうなつ)を拒否して逮捕され、専用の道具で強制的に指紋を取られた。小尻は特ダネで報じ、違法性を訴えた。事件に「ひょっとしてあの記事が」と身がすくんだ。
99年、通信傍受(盗聴)法や国旗・国歌法、国民総背番号制につながるとされる改正住民基本台帳法が相次いで成立した。先月には、国家主義が色濃いとの批判もある歴史教科書が検定に合格した。
金は言い聞かせる。「政治がおかしくなっている。それに声を上げることが自分なりの小尻さんへの追悼だ」
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社民党首の土井たか子(72)は事件の翌日、阪神支局を弔問に訪れた。大学で憲法を教えた。衝撃は大きかった。「憲法を生かそうと決意を新たにする日に、憲法に保障された言論の自由を暴力で封じ込めようとした。断じて許せない」。東京で毎年5月3日にある社民党系の団体主催の護憲集会などで、事件に触れてきた。
「小尻記者は悔しかったでしょう。大けがをした犬飼兵衛記者も。2人の思いを受け止め、自分の活動に生かしていきたい」と改めて護憲を誓う。
青空表現市は今年は一休みすることになった。中心メンバーが仕事や家庭の事情で相次いで尼崎を離れたためだ。阪神尼崎駅前で小尻への献花は続ける。
そして新たに事件に関するホームページを3日、立ち上げる。表現市の歩みも載せ、掲示板をつくる。「次の開催に向け、小尻さんや事件への思いを届けてほしい。多くの人に伝えたい。死を無駄にしないためにも」。金らはそう呼びかける。(敬称略)
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