イエス様はごはん?






 パンって何?
     ある人は、聖書の「人はパンだけで生きるのではない。」ということばに、「そりゃそうだ。ご飯だって、味噌汁だって食わなきゃいけねえ。」なんて言っていましたが...。
     この場合の聖書が言う「パン」は、食物のことでしょう。日本の「ごはん」ということばにも、そのような意味があると思います。私たちは、トーストを食べてもコーン・フレークを食べても、「朝ごはん」と言い、スパゲティーやうどんを食べても、「お昼ごはん」といいます。「ごはん」ということばは、食べ物の代表として食事全体のことをあらわすためにも使われているのです。
     イエス様が、「わたしはいのちのパンです。」と言われた時の「パン」も、食物全般のことをあらわしています。つまりイエス様の自己紹介によれば、「イエス様は私たちに必要な食べ物」ということになるでしょう。


 食べ物がくれるもの
     食べ物を食べることによって、私たちは生きています。
     食べるものがなければ私たちは死んでしまいます。私たちは死なないために食べます。しかし、死なない程度に食べていればいいかというと、そうではありません。私たちの体が健康に保たれ、活動のための力を維持できるようにと栄養を取るのです。そして、現状の維持だけでなく、食べることによって成長すること、つまり、より健康になること、よりきれいになること、より肉体の能力が上がることを求めています。
     けれども、食べ物が私たちに与えてくれるものは、「生きる」ことだけではないようです。私たちが食べ物を選ぶ基準には、味、舌ざわり、におい、見た目、満腹感などがあるでしょう。私たちは、食べ物によって「生かされる」ことだけでなく「満たされる」ことも求めているようです。


 イエス様が食べ物
     イエス様はご自分のことを「いのちのパン」と言われました。聖書が「いのち」という時、それは終わりのあるこの肉体のいのちよりも、肉体の死後も続く永遠のいのちを指している場合が多いようです。
     イエス様は「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」(ヨハネの福音書 6:51)と言われました。イエス様を食べれば、私たちは死なない=永遠の滅びに至らないというのです。
     イエス様は「わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」(ヨハネの福音書 6:57)と言われました。イエス様を食べれば、私たちはイエス様からいただいた新しいいのちにふさわしく生き、成長するということでしょう。
     イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる物はどんな時にも、決して乾くことがありません。」(ヨハネの福音書 6:35)と言われました。イエス様を食べれば、一時的でかわりやすい満足ではなく、いつまでも続く満足が与えられるということです。


 イエス様を食べる